04:ゴミを編集する【高橋陽一の越境ジャンキー】

2022/08/30(火)08:47
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いつしか「モノとの相互包摂的な関係を模索する旅路」となりつつあるこの連載。第四回は「ゴミ」にカーソルをあて、日本人との関係を少々紐解いてみることに。

 

・捨てたら化ける/ゴミが妖怪に?

 

 冒頭の写真は、廃棄された書籍の山である。本というパッケージに収められた情報たちは、このあとリサイクル工場で溶解され、白紙として「リセット」される。これら書籍が廃棄された経緯としては、遺品整理や断捨離など様々な理由がありそうだが、ある時点まで有用であったモノが/不用となり、持ち主との関係を切断され/目の前から消し去られる、この写真は無縁化したモノたちの「墓場」とも言える。

 

 このような無縁化したゴミの山に対して、中世の日本人はそこに「霊」が宿っているとして、ゴミが妖怪化する姿をイメージした。荒俣宏の『妖怪にされちゃったモノ辞典』によると、妖怪化したゴミたちは「九十九神/付喪神(つくもがみ)」と呼ばれ、もともとは空っぽのウツワ(器)だった道具たちが、長く使われるうちにモノとして「霊」を宿していたが、年末の「煤払い」で容赦なく一掃されて妖怪に変化するのだという。ちなみに「どんと焼き」は、こうして妖怪化したモノたちを浄化させる行事であると信じられていたようだ。

 

打ち捨てられ、妖怪化した鍋や釜たちの姿
画像出典:百鬼夜行絵巻(Wikimedia Commons / Public Domain)

 

 なお、平安時代に登場した「付喪神」たちは、室町時代に『付喪神絵巻』や『百鬼夜行絵巻』として物語化され、次第に「山川草木悉皆成仏」の教えを説く役割を担ったとされる。

 

・ゴミが売り物だった江戸時代

 

 都市計画家のケヴィン・リンチは『廃棄の文化誌』において、廃棄物とは「生産と消費の後に残る、使用済みの、価値のない物質」であるとし、特に廃棄が経済的な観点での有用性やコンテクストに左右される点に着目する(なお、彼はモノだけなく「廃棄される場所」との関係性についても紐解いており、この点については別の機会に取り上げてみたい)。

 

 この廃棄を生産と消費の経済活動から紐解くという観点では、稲村光郎『ごみと日本人』が興味深い。稲村は、廃棄物のリサイクルが高度に実現されていた江戸時代のシステムが、明治以降の近代化の過程でどのように解体していったのか、膨大な文献資料をもとに紐解いているが、その分岐点は1900年に成立した「汚物掃除法」にあるという。

 

 江戸のゴミは、当初は下水溝や空き地(会所地)に捨てられていたが、明暦元年(1655年)以降は深川周辺の埋め立てに用いられ、寛文二年(1662年)頃には船によるゴミ収集が制度化される。以降は、江戸城下の水路を利用し、町ごとに指定された請負人が町内のゴミを収集し、生ゴミや灰などは肥料として、廃材などは燃料として、その他は古物商などに販売するという商流が成立してゆく(特に生ゴミは屎尿とともに集積され、水路で千葉方面の農村へと運ばれ肥料として売買されていた)。

 

 こうした経済循環の成立には、水路の存在が大きかったようだ。近年の考古学研究によると、水運が困難な江戸の山の手エリアでは、庭先にゴミが埋め立てられていたようで、おそらく収集人としてはコストに見合わなかったのであろう。ちなみに明治初頭の記録では、基本は無償であった請負人によるゴミ収集も、山の手では有償であったという。

 

 しかし、こうした江戸のリサイクル経済も、肥料の多様化/肥科学の普及によって、明治以降次第に立ち行かなくなってゆく。つまり、ゴミを無料で収集し/肥料として販売するというビジネスが成立しなくなったのである。こうしてゴミ収集が次第に滞り衛生面での不安が広がる中で、そこに重なるように「コレラ禍」などの疫病が発生する。このような背景のもと制定されたのが「汚物掃除法」である。これ以降、ゴミ収集は行政サービス化し、生ゴミは主に焼却処分され/その灰を埋め立てに用いる、現代のゴミ処理システムへと移行してゆく。

 

・廃棄物から新たな「変化の物語」を紡ぐ

 

 ところで、冒頭で紹介した廃棄本たちだが、これらを「編集」して、新たな物語を紡ぎだそうとしている会社がある。古書買取・販売事業を行う「バリューブックス」は、買取価格が付けられない「市場性が低い古書」たちを、単に廃棄/古紙回収に回すことに疑問を感じたという。そこで、それら古書たちのプロフィールを広げ/新たな意味を発見するために、その「地」を公共性に置き換え、子供/入院患者/被災者など、それら古書たちが必要とされる様々な場面をイメージし、そこから「ブックギフト」というプロジェクトを立ち上げた。また、リサイクルする古紙についても、そこに「本だった頃の面影」を残し再生する「本だったノート」というプロジェクトも最近開始した。

 

 中世の日本人が「空だったモノ(器)に、百年近くの時間を経て霊が乗り移る姿」をイメージし「草木成仏」の物語を紡いだように、我々もまた「地」を様々に置き換えながら「ゴミ」のプロフィールを豊かにし、新たなターゲットを発見してゆく「変化の物語」を紡ぎ出す必要があるのかもしれない。

 

 

参考文献

・ケヴィン・リンチ『廃棄の文化誌』工作舎(1994年)
・稲村光郎『ごみと日本人』ミネルヴァ書房(2015年)
・荒俣宏『妖怪にされちゃったモノ事典』秀和システム(2019年)

 

関連千夜千冊

・757夜「草木虫魚の人類学」岩田慶治

・1601夜「ビッグデータを開拓せよ」坂内正夫監修

 


  • 高橋陽一

    編集的先達:ヘッド博士の世界塔。古今東西の幅広い読書量と多重なマルチ職業とディープなフェチ。世界中の給水塔をこよなく愛し、系統樹まで描いた。現在進行中の野望は、脳内で発酵しつつある物語編集の方法を「社会実装」すること。

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