髪棚の三冊 vol.2-2「粋」のススメ

2019/10/23(水)11:49
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デザインは「主・客・場」のインタースコア。エディストな美容師がヘアデザインの現場で雑読乱考する編集問答録。

 

髪棚の三冊 vol.2「粋」のススメ

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『美意識の芽』(五十嵐郁雄、GIGA SPIRIT)
「いき」の構造』(九鬼周造、岩波文庫)
『ブランドの世紀』(山田登世子、マガジンハウス)
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■モダン軸とエロス軸

 

 とはいえ九鬼が構造的に描出した「粋」の概念は、21世紀に生きる私たちにとってはやや古風でドメスティックな感覚にみえることは否めない。そこで五十嵐さんは美容ジャーナリストとしての視点を九鬼マトリクスに重畳させて、「粋」の概念のアップデートを試みた。

 

 五十嵐さんはこんなふうに考えた。
 伝統的な女性の一生は、無垢で清らかな少女時代から始まり、華やかな女盛りを経過して、品性を備えながら熟して行く。この規範的とも言えるクラシックなタイムラインを「」の三間連結に切り取って、まずは仮置きしておく。
 ついで、女性の社会進出に象徴されるような現代的価値観を体現するタイムラインを、鮮烈な新奇さから洗練された知性への成熟と捉え、その過程で往来する多様な美意識の発動に「」というラベリングを与えることにした。
 ここで重要なことは、「粋」をリニアな三間連結「新 → 粋 → 知」のなかに定位するのではなく、非線形で動的なインタラクション「」を媒介する編集装置として描いたことだろう。つまり「」とは、過剰を抑制する知的なセンスであり、既成の価値観を逆転させるイノベーティブなモードなのだ。
 こうした次第を五十嵐さんは「モダン軸」と「エロス軸」による直交座標型二軸四方にマッピングして、「粋」の持つダイナミックな揺らぎや佇まいをも座標軸の上にトレースしてみせたのだった。

 

『美意識の芽』(五十嵐郁雄、GIGA SPIRIT)より

 

モダン軸(ヨコ軸):

時代に対する姿勢。従来からある価値観を大切にするか、新時代の価値観を積極的に取り入れるか。

エロス軸(タテ軸):

表現が抑制的か開放的か 

 

=夢が夢として可能性に満ちている。清純。ロマンティック。
=先例のないような斬新さ。前衛。キッチュ。ポストモダン。
=従来的な価値観の核心。エレガンス。女性的な華、男性的な力を体現する。
=先進性の体現。能力や合理性の極み。都会的な洗練。インテリジェンス。
=控えめで無難な価値意識。品格。伝統。シック。
=個に重きを置きながら本質を極めようとする価値観。モダンの側のエレガンス。

 

※「」については、その体現者が現代においては絶滅していると五十嵐は考えたためマトリクスから除外された。とはいえ「」は今やデジタライズされることでフィルターバブルの庇護を獲得し、むしろ強かに生きながらえているように見える。

 

 五十嵐マトリクスについて特筆しておくべきことは、座標上に布置された全ての概念が動的なベクトルを保持していることだろう。マトリクスからは、時代の流れにともなって変遷する「時代の気分」や、その背後ではたらく「流行の力学」なども読み取ることができるのだ。

 たとえば20世紀初頭以降の価値意識の変遷について、私が採録した蟻の巣セミナーでの講義録の一部を以下にキーノートしておくので参考にされたい。

 

20世紀の価値意識は、マトリクスの左下の象限を起点として「8」の字を描くように変遷してきた。


(1)20世紀初頭

前世紀の産業革命が起爆剤となって「」から「」へ向かおうとした。「アールヌーボー」→「アールデコ」に象徴されるように、あらゆる製品生産の場は工房から工場へ移り、モノもコトも重厚長大から軽薄短小へと錬磨されて行った。この流れはミッドセンチュリーを迎えて尚加速し、科学技術の進歩と経済の拡大に乗って、誰もが明るくポジティブな未来像を描いた。高度成長の時代。「1964東京五輪」はこのフェイズ。


(2)20世紀後半

環境汚染やオイルショッック、東西冷戦による緊張などから、過剰な進歩への反動として時代の空気は「」から「」へ向かう。一億総中流時代。SF映画などで描かれる未来像が、明るく希望に満ちた進歩主義から退廃的で陰を帯びたものへ変容し始めたのはこのフェイズ。


(3)20世紀末

さらに共産圏の崩壊やバブル崩壊を経て、世紀をまたぎつつ時代の気分は「」から「」へ向かった。エスニックブームや、「カワイイ」に象徴される「キッチュ」への指向はこのフェイズで説明できるだろう。多様性を手がかりに、硬直した時代をブレイクスルーしようとするベクトル。


(4)21世紀初頭

21世紀のスタートは911と311によって風向きが変わり、「」から再び「」へ戻ろうとしているように見える。「2020東京五輪」はこの保守化の流れにおいて準備されようとしている。

 

 

[髪棚の三冊vol.2]「粋」のススメ
1)蟻牙の鋭鋒
2)モダン軸とエロス軸
3)貴族と帰属
4)中心と周縁

  • 深谷もと佳

    編集的先達:五十嵐郁雄。自作物語で語り部ライブ、ブラonブラウスの魅せブラ・ブラ。レディー・モトカは破天荒な無頼派にみえて情に厚い。編集工学を体現する世界唯一の美容師。クリパルのヨギーニ。