’16校長校話「伝承と継承」(2/4) 大切を引き受ける

12/20(金)10:47
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≪ (1/4) 漱石に寄せて

 

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第54回感門之盟(37守)校長校話「伝承と継承」

2016/9/17 於:伝承ホール

 

 このことは、我々の中に伝承されてきたものを何かに継承し直す、ということが起こっているということです。イチローや錦織のように自分のプレーを観てくれということもあるけれど、40歳、50歳になると、自分がやってきたことは何だろう、それがどう継承されていくか、ということが気になっていきます。継承となると自分だけのことではない、人と一緒じゃないとできないということになるので、そうなると初めて、それまで自分がやってきたことが「伝承」に見えるんです。それがtraditionでありtradである、ということがわかるときがある。おそらく漱石は、そういうものを感じたのだろうと思います。

 それから150年たって、一人のアメリカ帰りの女性が、もうアメリカは嫌だと言って、漱石のことを真剣に考えるようになります。

 

 アメリカが嫌になったという人は、いろいろいますね。たとえば赤坂真理は、アメリカの高校に行くのですが、嫌々ながら参加したディベートの授業を思い出しながら、やがて「東京プリズン」という作品を書きます。僕はこの作品に感服しました。アメリカの高校で彼女が嫌がりながらもやったディベートというのは、日本の天皇に戦争責任があるかどうかというテーマでした。たまたま「天皇には戦争責任がある」という側に彼女はつかされることになり、拙い英語力で英訳された資料を読み、もとは英語だった日本国憲法にも分け入ることになります。そういう言語のインタースコアに無理やり取り組むことになった後、赤坂真理はアメリカから帰って、微妙な日本的な感覚だけで小説を書くようになります。そしてある日突然、漱石の馬と牛を思い出し、「牛だ、これをやらないと」と思ったのでしょう。彼女もアメリカではない「日本」を書き始めます。

 

 今日僕がここで紹介するのは、水村美苗という女性です。後に、僕の友人でもある経済学者の岩井克人の奥さんにもなる女性ですが、アメリカにいた彼女は、憧れていたアメリカが実は自分に合わないと思って日本に帰ります。ジョセフ・コンラッドの「闇の奥」にあれだけ傾倒した漱石もイギリスを嫌って、いまのキャメロン以降のイギリスがくだらないように、ターナーもジョン・ラスキンもいないイギリスに何かを思いました。ある年になると、そういうことを愕然と感じることがあるんです。

 

 水村さんは、漱石が「明暗」で書いたものを引き受けよう、と思います。あまり日本人が読んでいない「明暗」を伝承にし、それを「レジェンド=伝説」にするには、継承しないとできない。これは津田と清子の物語ですが、主人公の津田はかつての恋人である清子から何かを伝えられていると思っているんだけれど、それが何かわからない。それが何だろうかと津田は考える。水村さんは、そのことを書いている漱石になっていって、途中で中断している作品を何度も何度も読み込んでいきながら、そのまま「続 明暗」を書きます。大変話題になりました。

 

 伝承と継承というのは、なかなか説明しがたいけれど、ある種こういったことで本格化することがあります。ひょっとしたら断絶し中断するかもしれないもので、世界遺産のように、あるいは国宝のように、無形文化財の技術のように、大事にしたいと思ってから継承されるべきものが見えてくることはよくあります。一方、コツコツと鑿(のみ)をふるったり、枯れかけた桜を佐野籐右衛門のように蘇らせようとしていることを人が知らずにいれば、これは伝承でも継承でもない。桜がやっと咲いた、すごいな、という話で終わってしまって、そこに継承と伝承がインタースコアされていることや、明と暗、あるいはポアンカレの偶然が関わっている、という姿はなかなか現れない。そこで、クリエイターたちや映画監督たちや作家たちは、何かそこに継続するものを作ろうとする。テレビのシリーズもそうですね。これも大事なんです。何かしらスタートを切れば、そこに何かが継承されるから伝承が起こる。

 

 そういうケースはたくさんあります。近代日本人が五里霧中の中を突き進んでいって、明治天皇が亡くなり乃木大将ご夫妻が自害するといったものを通り過ぎたその後、国家がそこそこ出来上がり、街も人もそれなりに裕福になった時代に出現した作家たちは、空想としての継承される場所、伝承の場(トポス)をつくりたくなります。ARですね。そこに自分なりの思いを書き込む、リプリゼントしておくことによって、それを読んだ人が次をつくっていく。ウィリアム・フォークナーがつくったヨクナパトーファという架空の街はそういうものです。ありとあらゆる人間の欲望と憎悪が全部書いてある。だがそれはどこでもない、架空の街です。ガルシア=マルケスの「百年の孤独」ではないけれど、何十年・何百年と続いている。そこがサンクチュアリになることもある。宮沢賢治のイーハトーブを想像してもらうといいです。宮沢賢治はものすごく過激な青年でしたから、当時の田中智學の国柱会に行って、自分は日本のために死にたい、と言います。これは漱石も書いていることですが、国家がちゃんとやっているのならいいのだけど、やらないのなら、自分の脳天に鶴橋をうってでも国家に対抗する、というのが「私の個人主義」です。すごい個人主義ですね。

 

 宮沢賢治もそういう青年でしたが、国柱会で門前払いをくわされます。故郷にもどってみると、素封家である家を継ぐことができない。そこで、雲が観音様に見えるような豊かな空や、風がマントを翻す又三郎になるような、そういうイーハトーブをつくります。

 

 

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■関連千夜

 

 


  • 加藤めぐみ

    編集的先達:山本貴光。品詞を擬人化した物語でAT大賞、予想通りにぶっちぎり典離。編纂と編集、データとカプタ、ロジカルとアナロジーを自在に綾なすリテラル・アーチスト。イシスが次の世に贈る「21世紀の女」、それがカトメグだ。

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