’16校長校話「伝承と継承」(1/4) 漱石によせて

2019/12/17(火)10:44
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 2019年の師走も半ばを過ぎ、イシス編集学校の20周年がいよいよ間近に迫る。先月行われた<多読ジム>の打ち合わせでは、編集学校の歴史に思いをいたす一幕もあった。

 

 5年、10年という刻みのほかにも、講座の新設をはじめとする歴史の節目は数多い。なかでも、刷り立ての『インタースコア 共読する方法の学校』(松岡正剛・イシス編集学校、春秋社)で幕を開け、[守]・[破]の大規模なお題改編が実施された2016年は、Next ISISに向かう大きな転換期だったと言えるだろう。

 

 お題改編後の[守]で初の卒門式となった第54回感門之盟(37[守])は、渋谷区の伝承ホールで大々的に催された。司会は佐々木局長と吉村林頭が務め、石黒謙吾氏をはじめとする豪華ゲストのトークや学衆同士の対談など、盛りだくさんのイベントとなった。参加叶った面々は、花道を通って舞台に登場した師範代たちの晴れ姿や、吉村林頭の生カラオケを印象深く覚えているのではないだろうか。

 

 プログラムの最後を飾った校長校話のテーマは「伝承と継承」。今こそ再読されるべき校話として、遊刊エディストでも紹介することとした。これら校話の書き起こしには、有志の「蔵出し隊」が力を尽くしている。

 

 

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第54回感門之盟(37[守])校長校話「伝承と継承」

2016/9/17 於:伝承ホール

 

 伝承と継承。「伝える」、それを「承る」という「伝承」とは何でしょうか。tradition、tradあるいはtradeなどと言います。tradeというとプロ野球のトレードという風にも使いますが、tradというとトラッドファッションがありますね。「伝承」というのは、とてもたくさんの意味を抱えている言葉です。

 

 夏目漱石が最後に書いた作品に「明暗」というものがあります。残念ながら漱石は、途中で体を壊し病に臥せってしまいました。正岡子規も結核を患いましたが、いまでは助かるような病気で多くの人が命を落とした時代でした。漱石はなぜ「明暗」と名付けたのですか。どういう話だったでしょう。何より未完であるということがとても不思議です。よんどころなき理由で未完となったわけですが、モーツァルトやイサムノグチの作品のように、未完成とか未完というのは、わたしたちの何かをそそったり、抉ったり、暗示したりしますね。レオナルド・ダ・ヴィンチも未完成を重視しましたし、民藝の柳宗悦なども粗相や未完成ということを言いました。

 

 漱石の「明暗」は物語としては完成していませんが、執筆の途中に書いた手紙が何通か残っています。漱石の手紙ですからどれも興味深いのだけれど、そのひとつに非常に奇妙なことが書いてあります。「人間は」、というのはつまりは当時の近代人ですね。明治の西洋文化を受け入れて、富国強兵の教育を受けて、文明開化をつっぱしって、鹿鳴館でドレスを来てタンゴやワルツを踊ってみたり、ウィリアム・ターナーのように機関車に感動したりと、そういった近代人である人間は「馬」になろうとしてきた、と。自分もそうだったが、しかしここに来て、自分あるいは人間は「牛」になろうとするということも時々考えないとならないのではないか、と漱石は言うんです。これは漱石らしい言葉ですね。

 

 「馬」になるか「牛」になるかというのは、これも漱石が書いていることですが、ポアンカレの偶然がそこに関与するかどうかによって変わる。ドビュッシーの「牧神の午後」が流れるような喫茶店で、女給さんに「何になさいますか?」と聞かれた瞬間に「コーヒー」と言ってしまう、そこに何が関与しているのかということを寺田寅彦が書いたように、ポアンカレの偶然が関わるというのは私たちにとって何とも言えない一瞬です。コーヒーと紅茶くらいならともかく、馬でいくか牛でいくかということが、ある日のある偶然によって選択されるのだとすれば、これはただならないことがそこに潜んでいるのかもしれない。「明暗」とは、そのことです。

 

 諸君が編集学校に関わったのは、もちろんいろいろなきっかけや伝染・感染があったことと思います。しかし、いろいろな経緯を分解したり方程式や確率論にしようとしても入り切らないものを引き連れて、わたしたちはここにこうして集まることになっている。漱石は、なんで「牛」を考えたのでしょうか。僕もいろいろと考えさせられました。走るのではなく、押すとか引っ張るということでしょうね。牛は、人間がのったものを押したり引きずったりしながら、地面がぬかるみであればぬかるみなりに、坂であれば坂なりのテンポで進んでいく。なかなか私たちは牛を選択するということを思いつかないけれど、漱石は死を前にして牛を選ぼうと思うんですね。

 

 

”牛になる事はどうしても必要です。吾々はとかく馬になりたがるが、牛には中々なり切れないです。…牛は超然として押して行くのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。”

(漱石の手紙より)

 

 

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■関連千夜

 

 

’16校長校話「伝承と継承」

 


  • 加藤めぐみ

    編集的先達:山本貴光。品詞を擬人化した物語でAT大賞、予想通りにぶっちぎり典離。編纂と編集、データとカプタ、ロジカルとアナロジーを自在に綾なすリテラル・アーチスト。イシスが次の世に贈る「21世紀の女」、それがカトメグだ。

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