「編集の世紀」のために:⽯弘之【AIDA01】

2021/10/03(日)10:30 img
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2020年10月から翌3月にかけて、豪徳寺・本楼でHyper-Editing Platform[AIDA]SeasonⅠが開催されました。全六講のうち、第二講ではジャーナリストの石弘之、第三講は建築家の隈研吾、第四講は進化生物学者の倉谷滋、第五講は政治学者の片山杜秀がゲスト登壇。「AIDA考」は、代将・金宗代が各氏の編集方法を取り出しながら、講義をエディティング・レポートするPAST連載です。

 

 コロナウイルスはどこから来てどこへ行くのか。フランスの画家ポール・ゴーギャンの「人はどこから来て、どこへいくのか(D’où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?)」に肖って名づけられたタイトルのスライド群は66枚にも及んだ。全スライドを目次仕立てにしてみると、あらためて驚かされる。講義をもとにしてそのまま一冊から数冊の本が書けてしまいそうなほど、”構成力”と”情報量”がみなぎっている。

 

 情報編集は大きく「コンパイル」(編纂)「エディット」(編集)に分かれる。二つは明快に区別できるものではないが、わかりやすく言い換えると、先ほどの”情報量”は「コンパイル」、”構成力”は「エディット」にあたいする。ザッと目次を眺めてみるだけでも、石弘之がいかにコンパイルに徹しているかがよくわかる。

 

<目次仕立て>

コロナウイルスはどこから来てどこへ行くのか 石弘之

 

はじめに

ウイルスのイメージ ウイルスの大きさ どこにでもいるウイルス(1) どこにでもいるウイルス(2)

ウイルスは生物か無生物か 次々に発見される巨大ウイルス 病気を運んでくる微生物

ウイルス病の起源 君はウイルス病にかかったことがあるか? ウイルスが起こしたパンデミック・ワースト7

コロナウイルスの素性 そして新型ウイルスが侵入してきた そして20世紀に入って恐ろしいことが起きた

コロナウイルスはどこからきたのか コロナウイルスの感染経路

キクガラシコウモリがコロナウイルスをうつした張本人 コロナウイルスとコウモリの濃密な関係

コウモリが運んできたウイルス病 めずらしいコウモリ 東京で見られるコウモリ

コウモリはいいヤツ? 悪いヤツ?

 

なぜ、ウイルス感染症が増えてきたのか

コロナ流行の最大の理由は都市の過密化 感染症流行の原因 環境の変化と病気 病気を起こすウイルスの種類

832種が動物由来感染症 世界では野生動物を食べる習慣が多い なぜウイルスは流行しているのか

 

ヒトはウイルスのおかげで生きている

からだのなかの40兆個以上の細菌が存在する ウイルスは細菌から人体を守っている

ウイルスは遺伝子の運び屋 ヒトをつくったのはウイルスだった 絶滅ウイルスから生命進化を考える

哺乳類の胎盤はウイルスが関与してつくられた 赤ちゃんが生まれるのはウイルスのお陰

雨を降らせるのもウイルス 植物を助けるウイルス 覚悟を固めたカクゴウイルス

ウイルスは今年度のノーベル化学賞に貢献

 

コロナウイルス重症化の遺伝子はネアンデルタール人から受け継いだ

人類の進化 ネアンデルタール人 芸術的能力 現生人類の出アフリカ 現生人類とネアンデルタールの交雑

ネアンデルタールとの交雑 私たちの遺伝子の2%はネアンデルタール人由来 どんな遺伝子を引き継いだ

コロナの重症化遺伝子 重症化遺伝子の民族差 ヒトの染色体

ネアンデルタール人由来のコロナ重症化遺伝子保持の割合

 

どのように収束するのか

過去の収束には3通りあった ①医学的収束ーワクチンや医薬品開発 ワクチン摂取は急ぐな

②社会的収束ー感染者の増加で「集団免疫」 ③平和的収束 次のコロナに備えろ

今この瞬間にも変異をつづけている 85万種のウイルスに感染の危険ー国際機関の警告

コロナ禍の残した教訓 推薦図書

 

コロナウイルス・シソーラス

 ー「コンパイル」と「エディット」のあいだ

 コンパイルとは、コンピュータの「機械言語処理(コンパイラ)」に由来し、バラバラの情報をひとつのホリゾントに落とし込む作業をさす。そのとき、各テーマやジャンルの「グロッサリー(語彙)」に加え、どの程度のシソーラス・マップが作れるかも含めて点検しておくと、そこからすぐにエディットに取り掛かることができる。このことを松岡正剛座長は「コンパイルの目指すべきはシソーラス(類語辞典)だ」と述べている。

 66枚のスライドはまさしくコロナウイルスの類語辞典の様相だ。千夜千冊でも紹介されている『角川類語辞典』をはじめ、おもしろいシソーラスには並べ方にきわだった特徴があるように、石はその「オーダー・エディティング」に賭けているかのようでもある。

 

 講義は、「風が吹けば、桶屋が儲かる」の「IF-THEN」さながらに、60段階以上の推論と連想の連鎖によって無数のプロフィールを浮かび上がらせ、ようやくターゲットとおぼしきに地点に漂着する。それは「コロナ禍の残した教訓」という最後の一枚だ。この一枚にこそ、冒頭の問いに対する、石の見解が最も顕著にあらわれている。


 簡単にいえば、コロナウイルスをやっつければそれでいいのかという問いかけである。その回答は、たとえば草原のシマウマとライオンの関係から容易に導くことができる。「草原の経済学」にかぎらず、そもそもダーウィンが『種の起源』で提唱したように、天敵の存在は、⽣物進化の⽅向性を決定づけ、その⽣物⽣存や多様性を維持する大きな原動⼒となってきた。天敵なくしてヒトを含めたすべての動物の存続はない。天敵がいなくなれば、遺伝⼦の劣化がはじまる。石はそう結論づけた。

 

 だが、講義中はタイムリミットが迫っていためか、控え目に提示するにとどまった。キクガラシコウモリやカクゴウイルスを筆頭に、何枚ものスライドを用意して、「たくさんのコウモリ」「たくさんのウイルス」の例示を嬉々として紹介していた様子とは対照的だ。おそらく天敵論の奥には「21世紀を再生の世紀にしたい」(『環境再興史』)という壮大なターゲットを見据えているのだろう。

 あるいは、コンパイル族シソーラス派の石にとっては、「桶屋が儲かる」というすでに確定した結論そのものは、もしかしたらさほどワクワクするものではないのかもしれない。アリストテレスの三段論法しかり、たしかに結論はいかようにでも導き出せる。それなら、結論を急ぐよりも、”いかように”という「方法」をめぐっていたほうがよっぽどおもしろいはずである。

 『知の編集術』の言葉を借りるなら、「問題の糸口は主題を結びつける『あいだ』にあって、その『あいだ』を見出す『方法』こそが大事になっているはずなのだ」

 

 

「連続概念」としての情報生命

 松岡座長が「今日の講義でいちばん凄いところ」と指摘したのが、この「ウイルスは生物か無生物か」のヘッドラインである。

 ウイルスは生物なのか、無生物なのか。世界の科学者たちは80年以上ものあいだ論争を続けてきたが、いまだに決着がついていない。とはいえ、これはウイルスにかぎったことではなく、生物あるいは生命のようでかつ非生命的なものは他にも存在する。これまでの生物学はあまりに白黒つけようとし過ぎてきたようだ。これらを定義しえないことが現代生物学の限界であり、あらためて生命と非生命を「連続概念」として捉えられるような新しい定義が必要であると石は提唱した。

 

 そのひとつの回答として、松岡座長はかねてより編集工学にもとづいて「情報生命」というコンセプトを掲げている。これは「生命の発生」と「情報様式の発生」が同時発生したとみる考え方である。すなわち、「情報の動向が生命という現象を発現させた」という見方だ。

 20世紀後半の分子生物学の大きな発展により、「生命科学」と「情報科学」の融合が試みられるようになった。そうした先端科学から生まれた「ゲノム編集」という用語が象徴しているように、「情報生命」は決して奇抜な発想ではない。

 

 ただし、編集工学では『千夜千冊エディション 情報生命』の目次のとおり、その範疇は生物学にとどまらない。なぜなら、「情報」をやりとりしているのは遺伝子だけではないからだ。原始地球のどこかに「最初の情報コード」が付着して以来、生体膜に包まれた情報高分子から生命体は生まれ、コピーや変異を繰り返しながら、ついに人間は「心」というものを獲得した。さらに言葉や記号や道具や機械などによって「情報の痕跡」を次々と外部化していった。その際たるものがコンピュータとインターネットだろう。こうして今やあらゆる情報がウェブ・ネットワークを出入りするようになった。

 このように原初の情報からインターネット空間までを射程とする「情報生命」は、まさに一つの「連続概念」といえるだろう。

 

 

 

天敵論のルル三条

 「ヒトはウイルスのおかげで生きている」の章では、「ウイルスは遺伝子の運び屋」「ヒトをつくったのはウイルスだった」「哺乳類の胎盤はウイルスが関与してつくられた」「赤ちゃんが生まれるのはウイルスのお陰」「雨を降らせるのもウイルス」「植物を助けるウイルス」「覚悟を固めたカクゴウイルス」「ウイルスは今年度のノーベル化学賞に貢献」など、”たくさんのウイルス”を次々と列挙している。

 とりわけ「ウイルスは遺伝子の運び屋」は、情報生命史の観点からもきわめて大切な指摘である。通常、「遺伝⼦」というと親から⼦へと垂直⽅向に伝わる「垂直遺伝」が連想されるが、なんとウイルスは⽣物から別の⽣物へと⽔平⽅向に遺伝⼦を運びこむ。つまり、「水平遺伝」する”遺伝⼦の運び屋”だというのである。

 さらに体内に侵入したウイルスは、遺伝子の一部となって内在化していく。個体の⽣存に有利な変異が起こる場合はとくに内在化されやすい。胎盤の形成、母胎の免疫系、精⼦が卵⼦に侵⼊する⽅法もウイルス由来であることが分かっている。

 

 このことを踏まえてあらためて「コロナ禍の残した教訓」を考察する。「遺伝子の運び屋」という「ロール」を考えてみれば、ウイルスは明らかにヒトや生物の「共生者」だ。庇護者、守護者と言っても過言ではない。ヒトを含めた哺乳類の進化は、ウイルスの恩恵なくしては絶対に考えられない。にもかかわらず、いま私たちがウイルスを「共生者というロール」として見る目を持てずにいるのはなぜだろうか。

 「個」としてのコロナウイルスのふるまいがあまりにも目立ちすぎているせいだろうか。そのために「類」としてのウイルスの「ロール」が顧みられないせいだろうか。

 天敵か、共生者かという二者択一は置いておくにしても、どんな「ルル三条」によって天敵論を規定しているのかという問いは一考の価値があるのではないだろうか。

 

写真:後藤由加里


  • 金 宗 代 QUIM JONG DAE

    編集的先達:モーリス・メーテルリンク
    セイゴオ師匠の編集芸に憧れて、イシス編集学校、編集工学研究所の様々なメディエーション・プロジェクトに参画。ポップでパンクな「サブカルズ」の動向に目を光らせる。
    photo: yukari goto