松岡校長に贈る九天年賀の「編集道」

2020/01/22(水)09:38
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「年賀状は今年で最後にします」という最終通告のような年賀状が次々に舞い込む近年、反比例するかのごとく年々ヒートアップする年賀が松岡正剛校長の手元に毎年届けられる。送り主は九天玄氣組。2006年の発足年から欠かさず送り続けており、今年で14年となる(発足前を含めるとトータルで16年)。

毎年趣向は異なるものの、基本は組員の言葉を束ねてクラフト作品に仕立て、新年を寿ぐというスタイルだ。毎年お題を考えるのは福岡在住の中野組長、それをクラフト作品に仕上げるのは北九州のクラフト作家でデザイナーの内倉須磨子である。九天の年賀編集は組の発足と、活動の動脈ともなる重要なポジションゆえに、なにがあろうと死守してきた年越しパッサージュである。

秋ごろになると組長は取り憑かれたように「年賀、年賀」と口にし始めるのが常である。年末の足音を感知する頃、edit cafeの九天ラウンジに組長から「お題」が届く。受け取った組員は、練り上げた「回答」を提出する。お察しの通り、ここまでは師範代と学衆の編集稽古でのやりとりがモデルとなっている。




しかし九天の編集は、その先にあるといっていい。実際に膝を突き合わせて「手作業」をする場を必ず設けることにしている。もちろん参集可能なエリアの組員が主体となるが、このプロセスを経るからこそ、九天年賀に生きた編集が宿る。これまで作った年賀のスタイルは、豆本、巻物、おみくじ、サイコロ、連凧、独楽など、じつに多彩である。干支をひと回りした2018年以降は書籍スタイルに切り替え、もっぱら松岡校長の著書をモチーフにしたオリジナルブックを編集している。『擬-MODOKI-』『少年の憂鬱』と続き、2020年は千夜千冊エディション『ことば漬』をもとに、九天玄氣組エディション『せいごお漬』を編んだ。こちらは近いうちにお披露目したい。


 

あの「松岡正剛」に喜んでもらえるにはどうすればいいか。半端な年賀は作れない。もちろん焼き直しのような作品などもってのほかだ。限りを尽くして仕上げた作品を宅急便に託してお届けすると、「本年も意外ですばらしい年賀をありがとう」と松岡校長から毎年礼状が届く。そんな九天の年賀作品を、次回より数回に分けて紹介する。まずは九天年賀のクオリティを引き上げる内倉須磨子に組長がインタビュー、おもに2017年までの年賀作品についてふりかえる。

 

 

  • 中野由紀昌

    編集的先達:石牟礼道子。侠気と九州愛あふれる九天玄氣組組長。組員の信頼は厚く、イシスで最も活気ある支所をつくった。個人事務所として黒ひょうたんがシンボルの「瓢箪座」を設立し、九州遊学を続ける。

コメント

1~3件/3件

川邊透

2025-07-01

発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。