人はどうして学ぶのか?「わかる」の先にあるものは 33[花]入伝式

2020/05/30(土)09:02
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「わかる」というのは、学びの終着点ではありません。
深谷は、ざくりとハサミを入れた。33[花]入伝式のことだった。

 

イシスの美容師は、マインドセットさえイメチェンできる。15年以上書き継がれる編集学校秘伝の式目に、大胆に剃りをいれたのが深谷もと佳花伝師範。自身が営む美容室から、斜め15度でカメラを見つめ問いかける。

 


人はなぜ、学ぶのでしょう?
ざっくり申しあげれば、

「わかる」ということを目指しているわけです。

 

学びたいと思う前提には、「わからない」という状態がある。つまり、不足という【原郷】を旅立つところから学びは始まる。

 

深谷は、[破]で学ぶ【英雄五段階構造】と照らして説明する。

【原郷】を出立した私たちは、なんらかの【困難】と遭遇しながら、「わかる」にたどり着く。

でも、その「わかる」は決してゴールではない、と低音のハスキーボイスが轟く。

 

 


「わかる」というステージは、

【目的の察知】です。

「わかる」というところで止まっていては、

十分ではありません。

 

「わからない」ということが「わかる」に変わった瞬間、世界の見え方が更新される。その新しい世界で、わかったことを実践せよ。それこそが【彼方での闘争】である。
編集術を学び、手に入れたならば、それを使い倒すべし。

商売道具のハサミを見せながら、編集術もプラグマティックなツールであることを印象づける。

 

 

では、と深谷は問う。
その実践を通して、私たちはどこへ【帰還】するのか、と。


『ただわからない』という状態から、
『わかる』という状態を経由して向かうのは、
『まだわからない』の境地。

 

使命感に満ちた口ぶりだった。「わかる」のその先にこそ、まだ見ぬ世界が広がっているのだ。33[花]は全員でそこを目指すのだと旗を振る。その熱風は、画面のむこうにも吹きこんだ。

 

 

オブザーブしていた梅澤奈央(42[破]師範代)は思い出していた。2年前、29[花]入伝式で深谷の話を棒立ちで聞いたことを。本楼を飛び交うジャーゴンに半泣きになった。「わからない」の泥沼でもがき、[守][破]師範代を経たいま、ようやく深谷の言葉がすこし「わかる」。【困難】が派手なほど、【察知】の喜びも【帰還】への期待もひとしおだ。

 

 

深谷はこう結んだ。

「わかる」までは個人戦。でもその先は、師範代も師範もおなじこと。

編集学校の同志として、

ともに、未知へ冒険していこうではありませんか。

 

たった2分間で、学びの本質までリバースし、ターゲットを更新してみせた。

 

 

(本楼写真:後藤由加里)

 

 

 

▼もっと学びたい方に
髪棚の三冊 vol.1-2「たくさんの私」と「なめらかな自分」
キエラン・イーガン『想像力を触発する教育』(1540夜)
ジョセフ・キャンベル『千の顔をもつ英雄』(704夜)

 

 

入伝式の1週間前、オンラインガイダンスで「コップを空にせよ」と説く深谷。毎度、松岡校長が賞賛する語り。その秘訣は、徹底したツール活用にある。ハサミ、コップだけでなく、[守][破]編集術、さらに花伝所必携「15のイーガンの想像力解発ツール」まで。

  • 梅澤奈央

    編集的先達:平松洋子。ライティングよし、コミュニケーションよし、そして勇み足気味の突破力よし。イシスでも一二を争う負けん気の強さとしつこさで、講座のプロセスをメディア化するという開校以来20年手つかずだった難行を果たす。校長松岡正剛に「イシス初のジャーナリスト」と評された。
    イシス編集学校メルマガ「編集ウメ子」配信中。

コメント

1~3件/3件

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。

山田細香

2025-06-22

 小学校に入ってすぐにレゴを買ってもらい、ハマった。手持ちのブロックを色や形ごとに袋分けすることから始まり、形をイメージしながら袋に手を入れ、ガラガラかき回しながらパーツを選んで組み立てる。完成したら夕方4時からNHKで放送される世界各国の風景映像の前にかざし、クルクル方向を変えて眺めてから壊す。バラバラになった部品をまた分ける。この繰り返しが楽しくてたまらなかった。
 ブロックはグリッドが決まっているので繊細な表現をするのは難しい。だからイメージしたモノをまず略図化する必要がある。近くから遠くから眺めてみて、作りたい形のアウトラインを決める。これが上手くいかないと、「らしさ」は浮かび上がってこない。