おまたせ!編集談義・再会!喜々なオンライン汁講

2020/07/16(木)10:24
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 3台のカメラを用意して、45[守]師範代・古野伸治は待っていた。1台は「おまたせ再会」の教室名カードと『松岡正剛千夜千冊』を、もう1台は『日本文化の核心』と『文体練習』を映し出している。


 2020年6月27日19時。次々と4人の学衆と師範が画面上に出揃った。オープニング動画が流れて、一気に学衆たちは未知な体験へ引き付けられた。
45[守]で最初のオンライン汁講が口火を切った。

 

イシス編集学校の汁講といえば、それまでテキストのみでやり取りしていた面々が、初めて互いに姿を明かし合うのが醍醐味のひとつ。古野はそこに「お題」を仕掛けた。
【わたしをアブダクって!(自己紹介)】。学衆は名前を伏せて数字を名乗り入室。各々自己紹介として「面白かった・印象に残った稽古」を語っていく。それをヒントにアブダクション。「○○番さんはだれ?」
開講当初より、古野に薦められて指南感想を書き、共読してきた学衆たちから「やっぱり!」と的中した喜びの声が飛び交った。

 

あっという間に3時間が経っていた。
2002年6[守]で入門。8年ぶり3度目の師範代登板。編集学校でリアルな汁講体験を数々積んできた古野の終了直後の感想が、その充実ぶりを表していた。

 「やっぱり、編集は面白い!回答は嬉しい、指南は楽しい!オンラインは即レスだし、場づくりだし、表情応答だし、ワクワクする!でした」

 

学衆たちからも続々と、興奮と感動が詰まった感想が届けられた。

 「土曜日はあっという間の3時間!ありがとうございました。皆さんの雰囲気やお顔を見て、なぜか、どなたか分かってしまう不思議」

 「テキストのみのやり取りから対面へ。普段は味わえない体験、面白かったです」

 

 教室から汁講という場へ動くとき、いちばん大きく変わるのは、テキストが声と表情になること。これが叶うのであれば、たとえ身体は離ればなれであっても、オンラインで「場」は出来上がっていく。コロナ禍のおかげで、「対面」の意味を広げる時間となった。

 

 45[守]21教室それぞれに、オンライン汁講への挑戦の夏が始まっている。

  • 山根尚子

    編集的先達:内田樹。身体も言葉も笑顔もひたすら柔らかいヨガ講師。あらゆることを生き生きとした情報ととらえ、むっちゃ楽しそうに語れるのが真骨頂。「ISIS」の字をヨガで見事現した壁紙は無料配布中。

コメント

1~3件/3件

川邊透

2025-07-01

発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。