汁講で語られる教室名の秘密―50[守]

2023/01/17(火)14:00
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 「異次元イーディ」という教室名の原型は[破]にあった。
 番選ボードレールも折り返しを迎えた1月4日。異次元イーディ教室の汁講で師範代の新坂彩子から明かされた。

 

 稽古のやり方やかける時間など、学衆が気になることや質問したいことを中心に交わし合いが進む中、学衆の村山から新坂に1つの質問が出された。「異次元イーディ教室のイーディがまだはっきりしなくて気になります」。

 

勧学会でイーディ・セジウィックの名だけは明かしていた新坂が、1冊の本を画面に映し語り始めた。新坂とイーディの出会いは20代の頃に買った『イーディ』という本であった。

 

抜群のスタイル、自信に満ちたポーズ、チャーミングな笑顔。写真の中で見る彼女は完璧なモデルである。けれども、彼女の魅力はそれだけではない、むしろそこではないように感じた。『イーディ』を読み終えた後、なぜ私自身が彼女に魅力を感じるのかが分かったような気がした。彼女の“バランスの悪さ”は最大の魅力であった。


そう感じた新坂は、自分の中にある“バランスの悪さ”とイーディを重ねた。その後編集学校に入門し、[破]のセイゴオ知文術で『フラジャイル』と出会う。

 

実はネットワーカーの活躍の傍らには、その人こそがネットワーカーだというべき人が必ずいる。アンディ・ウォーホルにとって、それはイーディだった。彼女がすべてをつないだのだ。
──『フラジャイル』松岡正剛

 

 その時、新坂が感じていたイーディの魅力は“バランスの悪さ”の中の“弱さ”だったのだと気がつく。『フラジャイル』の中のイーディに出会うことで、“弱さ”を感じているときに見える景色、感じる感覚を大事にできるようになった。
 イーディへの想いを強くした新坂は、教室名の候補として「イーディ」を挙げた。そこに松岡校長の編集が加わり、「異次元イーディ教室」の名が誕生したのである。編集学校のイーディとなった新坂は、学衆を異次元にいざなうべく、編集道と数学道をひたむきに進む。



師範代に登板すると松岡校長手書きの教室名カードが贈られる

 


 今回の汁講で教室の学衆同士そして師範代と学衆は初めて顔を合わせた。初めて顔を合わせるのであれば、自己紹介がつきものだ。今回も例外ではない。しかし、イシス編集学校の自己紹介は一味違う。自己紹介の方法にも師範代の編集が光る。新坂からは事前に「“今の心境・状況”を1冊の本で表しながら自己紹介する」というお題が出された。4名の学衆は入門のきっかけ、仕事、今の環境などに注意のカーソルを向けながら、本と自分をインタースコアして見せた。

 

新坂彩子
『結ぼれ』R.D.レイン
今学校では「探求」の授業があり、それをキーワードに編集学校にもたどり着いた。これまでほどいてきたものを繋げていきたい。

 

千葉聡子
外は、良寛。』松岡正剛
松岡校長と田中泯さんが舞台をしていることから興味を持った。外国の人に日本の文化を伝えたいが、まずは自分が日本の文化を学びたい。

 

村山哲也
『テヘランでロリータを読む』アーザル・ナフィーシー
カンボジアという異国にいながら日本の編集学校で学んでいる今の自分と本が重なる。編集学校で稽古していると自分の中の棚卸をしているように感じる。

 

菅井明子
『森沢カフェ』森沢明夫
仕事にのめりこんでしまうので違うこともやりたいと思い入門した。登場人物の温かさを感じるエッセイを選んだ。

 

小林祐衣
『広報・PR実践』日本パブリックリレーションズ協会
転職が契機となり編集学校にも入門した。現在この本でPRプランナー試験の勉強もしている。

 

 「日本」を探求しようとする千葉、カンボジアから参加し別院に勧学会に対角線を引く村山、偶然にも新坂と同職で娘から紹介されて入門した菅井、着物で登場し新たなフィールドに挑戦中の小林。自己紹介の様子からは、編集学校の稽古の先を見据え、自身の現状を打破しようとする目的意識がヒシヒシと伝わってくる。今稽古している[守]、またはその先で手にする方法はそれぞれの想いにドライブをかけてくれるはずである。

 

 異次元イーディ教室でも既に進破を見据えている学衆がいる。松岡正剛の仕事術を稽古する[破]で、新坂のようにその後に大きな影響を与える劇的な出会いがあるかもしれない。

 50[守]もいよいよ最終コーナーに差し掛かる。[守]を終えた後のことをイメージし始める学衆も多いだろう。卒門の先は、38題の方法と型を持って自らのフィールドで編集するか、編集学校の奥へ一歩進んでさらなる編集術を稽古するかのどちらかである。少しでも気になるなら後者がオススメだ。やはり「稽古」は継続するに限る。そこには偶然のめぐり合わせも待っている。

 


汁講には学衆・師範代の他、学番匠・師範も参加した

左上から、鈴木(学匠)、森本(師範)、新坂、菅井、村山、千葉、小林、石井(番匠)

 

 

 


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  • 森本康裕

    編集的先達:宮本武蔵。エンジンがかかっているのか、いないのかわからない?趣味は部屋の整理で、こだわりは携帯メーカーを同じにすること?いや、見た目で侮るなかれ。瀬戸を超え続け、命がけの実利主義で休みなく編集道を走る。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。