天下をとるでよ? 名古屋の編集名コンビ、やつしツアーだぎゃあ

2020/08/21(金)15:30
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 ナ・ゴ・ヤはええよ コジマがおるがねー
 ナ・ゴ・ヤはええよ クノがうまいがねー やっとかめ!
 
オンラインエディットツアー真っ盛りの夏。名古屋の奴らが魅せてくれた。
松岡正剛御用達コーヒーショップ、名古屋・バンキコーヒーをスタジオに開催された、エディットツアー「編集はええで!やっとかめ 名古屋やつし祭」。
 
銀色に光る珈琲焙煎マシン、散りばめられた「真行草」の団扇、尾張漫才のBGM。一期一会のしつらえ、もてなしで参加者を迎えたのは、バンキ店主の編集アーティスト小島伸吾、ワークショップの四天王の一人、女神・久野美奈子である。
 
参加者全員が愛知県在住。まさに「でらナゴヤづくし」のツアーとなった。テーマはナゴヤ名物編集術「やつし」だ。
 
「やつし」とは、水戸黄門が水戸のご隠居になるように身分が高い人が世を忍ぶ仮の姿になるようなことをいう。お迎えの尾張漫才は熱田神宮のおほほ祭りこと、笑酔人神事(えようどしんじ)が元になり、芸能になり門付芸にやつしていったという。もともと神に捧げていた神事が芸になったわけである。
 
 
小島は、ひょっとこ面を頭に乗せて、紋付袴のやつしTシャツで前のめりに、おかめもイザナギ・イザナミのやつしなのだと畳み掛ける。おもむろに小島が自作の円空仏を取り出した。逆毛、怒った目、荒々しい切り出し。これをやつしたものがあるのです。何かわかりますか? 
 
ちゃーら、へっちゃらー。歌いながら小島が手書きフリップを取り出した。そう、円空のやつしが、名古屋が生んだ大漫画家・鳥山明のドラゴンボールの悟空だというのだ。円空だけではない。西遊記の現代版にやつし、七星玉で南総里見八犬伝を重ね、燃えよドラゴンの功夫まで合わせた。
 
この「やつし」と「かさね」が、世界で知られるアニメ第1位のドラゴンボールを生んだ。元の情報が重なってパワーが増す。本歌をやつしは超える。それが名古屋の編集なのですという小島は誇らしげであった。
 
 
後半は久野美奈子の真骨頂、編集ワークショップである。
 
情報の地と図を動かしていく編集の型をしっかりとおさえると、「編集エンジンは無理やり押されることで起動する」とばかりに笑顔の久野は参加者に、自らを見立ててやつすことを強要する。やつしが染み付いている名古屋人たちは、久野のお題に難なく呼応した。
 
・夏を地にすると冷や水入りのコップ。なぜなら、大変な汗かきなのです。
・畑では汗だくの草刈機です。草むしりばかりさせられています。
・家庭では大海に浮かぶ小舟です。妻と娘二人で男の私は日々揺らされています。
・私は娘の手である。母の足である。
・前世では熊でした。指示だけを出す熊と周りに言われています。
・会議中はここぞというときしか発言しないゴルゴ、食事中はウンチクの多い魯山人。
 
さらに、オンラインツアー中に触発された参加者は「やつし」の漢字、「窶し」を調べ、非日常のおしゃれという意味もあるという新たな情報が差し出されるというおまけつき。
 
 
会心のナビゲーター久野は「私はニッコリと微笑む刃物である」と自身を見立ててみせた。「でも怖くないですよ(笑)」と久野。間髪入れず「オホホホ」小島のおほほ神事ばりの高笑いが響いた。
 
「尾張名古屋は久野・小島でもつ」とイシス編集学校では言われてきたが、今回の万全の運びを支えたのは裏方陣であった。脇を固めた佐藤玲子師範代のこまめなチャット編集、面影座のスタッフのカメラワーク、小島夫人こと貴ボーのサポート。いよいよ名古屋支所・曼名伽組の天下どりが見えてきたかもしれない。
 
名古屋の「やつし」編集は、属性に束縛された現代人や社会にも一石を投じる可能性を秘めている。次回の進化を期待させるエディットツアーの一夜となった。
 
 ゴー!ゴー!なごや 未来の首都 名古屋
 待ってりゃあよ 見てりゃあよ 天下を取るがねー
  • 吉村堅樹

    僧侶で神父。塾講師でスナックホスト。ガードマンで映画助監督。介護ヘルパーでゲームデバッガー。節操ない転職の果て辿り着いた編集学校。揺らぐことないイシス愛が買われて、2012年から林頭に。

コメント

1~3件/3件

川邊透

2025-07-01

発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。