多読ほんほんリレー03 ¶2002年¶ 冊匠◎大音美弥子

2020/06/29(月)13:52
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空にかがやく木村久美子月匠、地の塩のような吉野陽子冊師という敬愛ひときわの先達の手を経たバトンを受け取りました大音です。入門は2004年9月。「おしまい」の挨拶が決まって「どんとはれ」の西川あづみ師範代による童感どんと教室でした。451夜『正月の来た道』大林太良に始まり、689夜『「いき」の構造』九鬼周造に終わる2002年の千夜千冊──そこには500夜『エクリ』アルベルト・ジャコメッティも600夜『リア王』ウィリアム・シェイクスピアも含まれていました──は当時まったく未知の世界。創生期への遅刻を悔やみつつ、この年の一冊を選びます。


 『まさかさかさま動物回文集』文・石津ちひろ、絵・長新太


2002年という年は、上から読んでも2002、下から読んでも2002。どうってことないじゃんと思われるかもしれませんが、次に回文できる年号は2112年。たぶん今、この駄文を読んでいる誰も生きていなさそうな先の話です(それまでに西暦が別の暦にとってかわることも考えられる世界情勢ですが)。

 

編集学校のこの年は、微妙で決定的な変化を遂げていたと聞きます。それは、「学衆から初めて師範代になった」師範代に教えられた学衆が「師範代になって」教え始めた年だったから。ちょっとややこしいですが、編集術によるミームが初めて垂直伝承した画期と呼べるでしょう。教室や勧学会の中を飛び交う言葉たちは、外の世間とは少しだけ違う「型」に満ちていたはず。そして、熱中する学びを間に置きながら、たいていは「遊び」と「笑い」と「やらかし」が「フラジャイル」や「異例」を取り巻いてきたことが、イシスをどこにもない色に染め上げてきました。

 

本書の回文から引用すれば、「チンパンジイから怪人パンチ」が日々送られる教室で、最初は「かたくなになくたか」だった学衆の心もとけてゆき、ラスト間際では「たぶうおかしてしかおうぶた」が教室にも勧学会にも続出した、と容易に想像できます。そんななか、キリ番ゲットへの情熱も熱く燃えたに違いありません。

 

新自由主義と多国籍業によるグローバリゼーションがカジノ資本主義をもたらす世界の片隅で、編集術が「なんか変」を見逃さず、笑いにつつむアマチュアリズムによって根付いていったことは、現役サラリーマンの田中耕一さんがノーベル賞受賞の報に「てっきりドッキリだと思った」というのと同じぐらい、ほっこりする誇りを抱ける出来事です。

 

千夜千冊にこの類の本はないのかと思し召しのみなさんに、コトダマの力を生かしてきた古今の歌やネット上の言葉遊びを紹介する高柳蕗子さんの『はじめちょろちょろなかぱっぱ』が、この年ちょうど執筆中だったろうこと(出版は2003年3月)を添えておきます。


それでは、「2003年」へ。米川青馬師範に、バトンをお渡しします☆彡

  • 金 宗 代 QUIM JONG DAE

    編集的先達:宮崎滔天
    最年少《典離》以来、幻のNARASIA3、近大DONDEN、多読ジム、KADOKAWAエディットタウンと数々のプロジェクトを牽引。先鋭的な編集センスをもつエディスト副編集長。
    photo: yukari goto

コメント

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山田細香

2025-06-22

 小学校に入ってすぐにレゴを買ってもらい、ハマった。手持ちのブロックを色や形ごとに袋分けすることから始まり、形をイメージしながら袋に手を入れ、ガラガラかき回しながらパーツを選んで組み立てる。完成したら夕方4時からNHKで放送される世界各国の風景映像の前にかざし、クルクル方向を変えて眺めてから壊す。バラバラになった部品をまた分ける。この繰り返しが楽しくてたまらなかった。
 ブロックはグリッドが決まっているので繊細な表現をするのは難しい。だからイメージしたモノをまず略図化する必要がある。近くから遠くから眺めてみて、作りたい形のアウトラインを決める。これが上手くいかないと、「らしさ」は浮かび上がってこない。

堀江純一

2025-06-20

石川淳といえば、同姓同名のマンガ家に、いしかわじゅん、という人がいますが、彼にはちょっとした笑い話があります。
ある時、いしかわ氏の口座に心当たりのない振り込みがあった。しばらくして出版社から連絡が…。
「文学者の石川淳先生の原稿料を、間違えて、いしかわ先生のところに振り込んでしまいました!!」
振り込み返してくれと言われてその通りにしたそうですが、「間違えた先がオレだったからよかったけど、反対だったらどうしてたんだろうね」と笑い話にされてました。(マンガ家いしかわじゅんについては「マンガのスコア」吾妻ひでお回、安彦良和回などをご参照のこと)

ところで石川淳と聞くと、本格的な大文豪といった感じで、なんとなく近寄りがたい気がしませんか。しかし意外に洒脱な文体はリーダビリティが高く、物語の運びもエンタメ心にあふれています。「山桜」は幕切れも鮮やかな幻想譚。「鷹」は愛煙家必読のマジックリアリズム。「前身」は石川淳に意外なギャグセンスがあることを知らしめる抱腹絶倒の爆笑譚。是非ご一読を。

川邊透

2025-06-17

私たちを取り巻く世界、私たちが感じる世界を相対化し、ふんわふわな気持ちにさせてくれるエピソード、楽しく拝聴しました。

虫に因むお話がたくさん出てきましたね。
イモムシが蛹~蝶に変態する瀬戸際の心象とはどういうものなのか、確かに、気になってしようがありません。
チョウや蚊のように、指先で味を感じられるようになったとしたら、私たちのグルメ生活はいったいどんな衣替えをするのでしょう。

虫たちの「カラダセンサー」のあれこれが少しでも気になった方には、ロンドン大学教授(感覚・行動生態学)ラース・チットカ著『ハチは心をもっている』がオススメです。
(カモノハシが圧力場、電場のようなものを感じているというお話がありましたが、)身近なハチたちが、あのコンパクトな体の中に隠し持っている、電場、地場、偏光等々を感じ取るしくみについて、科学的検証の苦労話などにもニンマリしつつ、遠く深く知ることができます。
で、タイトルが示すように、読み進むうちに、ハチにまつわるトンデモ話は感覚ワールド界隈に留まらず、私たちの「心」を相対化し、「意識」を優しく包み込んで無重力宇宙に置き去りにしてしまいます。
ぜひ、めくるめく昆虫沼の一端を覗き見してみてください。

おかわり旬感本
(6)『ハチは心をもっている』ラース・チットカ(著)今西康子(訳)みすず書房 2025