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多読ほんほん2016 冊師◎増岡麻子
- 2020/10/04(日)17:00
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2016年より遡ること、数十年前。
父の本棚は、子ども時代の私にとって未知の世界でした。メディアに関わる仕事をしていた父が、学生時代に読んでいた柴田翔や福永武彦、カミュといった小説家の作品やノンフィクションの新書のほか、本棚には仕事の参考資料、たとえば凄惨な事件のルポルタージュなどが並んでいました。それらをこっそり読んで衝撃を受けた思春期。
父の本棚にある本を読むことが、成長の通過儀礼だったのだと思います。答えを教えてくれる教育的な場というより、知らないものが潜んでいる「宝探し」のような場所でもありました。
実家を離れ、いつしかその本棚が記憶から薄れていく間に、私は企業の専門ライブラリーで仕事を始めます。「読書」を趣味に留めるのではなく、ビジネスや生き方にまで広くアウトプットさせる術を探し続けたある日、ウェブ検索から「編集工学研究所」という不思議な会社を見つけ、やがてイシス編集学校の存在を知ることになったのでした。2015年に序・守・破コースを受講、2016年春から夏
にかけて花伝所で汗をかき、その年の秋。35期守の師範代デビューを迎えました。
2016年はオバマ大統領の広島訪問、トランプ政権の誕生、天皇の生前退位声明発表など、国内外で時代の転換を実感するニュースが続きましたが、私の最も大きい出来事は師範代ロールをつとめたことです。
そして、2017年にも近づく時期に飛び込んできたのが、松岡校長が肺がんを宣告されたというお知らせでした。常に強いパワーを放たれ、迷える子羊な学衆あるいは新米師範代に「編集術」を手渡してくださる校長の病に呆然とした、その日を今も覚えています。
様々な記憶が滲んだ2016年、千夜千冊からの1冊を紹介します。
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『夜中の電話 父・井上ひさし 最後の言葉』
井上麻矢
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小説家で劇作家である井上ひさし氏の娘、麻矢さんが上梓されたこの本は、私が師範代を務めた38期守で2度目の「伝習座」を迎える直前、千夜千冊にアップされました。
両親の離婚から家族の崩壊、父との断絶を経験しながらも彼の手掛ける劇団「こまつ座」運営を任された麻矢さん。松岡校長と同じ病に伏したひさし氏が、彼女に伝えたかった77の言葉が連なります。
少し抜粋します。
・いつもなぜ? そう問い続けていること。
・ふゆかいなことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに書くこと。
・まっすぐなことを、ひかえめに、ひかえめなことをわくわくと、
わくわくすることをさりげなく、さりげないことをはっきりと。
・大きなことを小さく処理する。
・その人の原風景を触れてみる。
麻矢さんが受け取ったこれらの言葉は、病が進行するなかで父が必死に語ったメッセージです。それは娘に託す、仕事やこれからを生きるために大切なもの。編集学校での学びにも重なります。
自分以外の人がもつ風景を想像する。書けそうにもないことを書く。
見えないものを見据えようとする。
父娘の対話を読み、さらに<多読ジム>のトレーニングを始めてから、私は何度も父の本棚を思い出すようになりました。それは「A」を教えてくれるのではなく、様々な[なぜ」「なに」を引き起こす場だったからだと思い返しています。
・なぜ、昭和50年代に学校内、家庭内暴力が多発したのか。
・隠れキリシタンはどのようにして弾劾されたのか。
・南京事件って何事だったんだろう。
・『赤ずきん』や『白雪姫』の作者が伝えたかったのは何だろう。
本を通じて様々な疑問が湧いたあの頃。加えていえば、父がどのような思いや疑問を持って本を並べ、組み替えていたのだろうか。書棚を訪れる、そんなシンプルな行為すら難しいコロナ禍のいま、私は父とゆっくり語り合いたくなっています。
『夜中の電話』で麻矢さんが死に物ぐるいで、仕事や生き方の「型」を反復し、継承する様を、松岡校長が編集学校に関わる者たちへの伝承と重ねて考えられているように、私も父が読みふけった本を共読し、読書の時間を継いでいきたい。父と娘、編集を手渡すひとと、受け継ぐひと。ひさし氏と麻矢さんの尽きることのなかった夜更けの対話は、2016年から遡って子ども時代の思い出にまで繋がり、2020年へと渡ります。
記憶と心、そして本と人を混ぜこぜにする「編集の力」はこれからも変容を挟みながら、未知の人たちへ伝承されていくことが楽しみでなりません。
それでは、2017年へ。スタジオNOTESの中原洋子冊師にバトンをお渡しします。