オンラインで古を稽える。輪読座が大盛況!

2020/05/25(月)13:49
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「大丈夫かな。みんなに伝わっているかな」。

輪読座「世阿弥を読む」の第一輪(第一回)を終え、輪読師・高橋秀元、通称バジラ高橋がつぶやいた。オンライン輪読座に戸惑いを隠せない。

 

イシス編集学校唯一のリアル講座として長年開催していた輪読座だが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、初めての完全オンライン開催となったのだ。

今まではバジラの目の前に輪読衆がいて、輪読衆の反応や質問に呼応した知を編集して手渡していた。しかし今回、バジラの目の前にあるのは、2台のカメラとオンライン参加する輪読衆が映し出された画面のみだった。雑音が入らないようにと、輪読衆はマイクをミュートにしており、相づちの言葉も聞こえない。

 

 

参加者の呼応のない静かな本楼だが、バジラの知の波は止まらない。父、観阿弥の至芸の世界観を、世阿弥が極上の編集で『風姿花伝』にどのように記していったのか。観世座を保つための猿楽能基盤「条々三位一体」と「猿楽座心得」を重ねたバジラ特製図像で『風姿花伝』にある世阿弥の編集を読み解いていく。

 

 

 

イシス編集学校20周年に合わせ、満を持しての世阿弥にバジラの気合はひとしおだ。

それを感じたのか、画面に並ぶ輪読衆の集中が高まる。その面々はイシス編集学校の学衆だけでなく、師範、師範代、なんと三津田知子花伝所花目付に田中晶子花伝所長とオールスター。

 

参加者が少なかったり、リアル開催ができない感染症の影響があったりと、輪読座に数々の開催の危機があったことを感じさせない盛況ぶり。オンラインながら参加者は30名を超え、イシス編集学校の師範代になるための花伝所を受講しつつ輪読座もあわせて参加している人も多い。これぞ「稽古条々」「稽古は強かれ、情識はなかれ」だ。『風姿花伝』こと『花伝書』に肖ったイシス編集学校の花伝所には世阿弥の精神が息づいている。

 

松岡正剛校長は花伝所を「既存社会の価値観が忘れられている今、世の中にない価値がある」と語る。師範代という新しい才能を発信し続ける花伝所の根底にあるのは世阿弥の心なのだ。

 

世阿弥の型を読みあう輪読座。第一輪は、動画と資料でキャッチアップできる。この機会を逃してなるものか。輪読座第二輪は『風姿花伝』以後、世阿弥の四十代から六十代までの熟慮の成果を集成した『花鏡』を読みあう。間もなく5月31日に開催だ。知の古を稽えたいのなら、ぜひ飛び込んでみてはいかがだろう。

 

詳細はこちらから。

 

  • 衣笠純子

    編集的先達:モーリス・ラヴェル。劇団四季元団員で何を歌ってもミュージカルになる特技の持ち主。折れない編集メンタルと無尽蔵の編集体力、編集工学への使命感の三位一体を備える。オリエンタルな魅力で、なぜかイタリア人に愛される、らしい。

コメント

1~3件/3件

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。

山田細香

2025-06-22

 小学校に入ってすぐにレゴを買ってもらい、ハマった。手持ちのブロックを色や形ごとに袋分けすることから始まり、形をイメージしながら袋に手を入れ、ガラガラかき回しながらパーツを選んで組み立てる。完成したら夕方4時からNHKで放送される世界各国の風景映像の前にかざし、クルクル方向を変えて眺めてから壊す。バラバラになった部品をまた分ける。この繰り返しが楽しくてたまらなかった。
 ブロックはグリッドが決まっているので繊細な表現をするのは難しい。だからイメージしたモノをまず略図化する必要がある。近くから遠くから眺めてみて、作りたい形のアウトラインを決める。これが上手くいかないと、「らしさ」は浮かび上がってこない。