【三冊筋プレス】幼な心を旅立つとき(中原洋子)

11/09(月)10:24
img

 幼い頃、私は「杉の子子ども会」という合唱団に入っていました。

そこで歌った「赤い靴」や「かなりや」は、私の原点です。それらが生まれた時代、少年少女たちはどのような日々を過ごしていたのでしょう。幼な心をテーマに日本の近代社会を見ていきたいと思います。

 

 『私の生い立ち』は、大正4年(1915年)から5年(1916年)にかけて、婦人之友社から出版された少女雑誌『新少女』に連載されていた与謝野晶子のエッセイをまとめたものです。竹久夢二の挿絵と共に、晶子の幼少期の生活とその心情、出会った少女たちの姿が素直に細やかに綴られています。

 

『新少女』4月号(主婦之友社)大正5年

 晶子の生家は堺の町で「駿河屋」という和菓子店を営んでいました。小さい頃の晶子は、かなり内気で、望むままを母に言うこともできない性格であったようです。

 家に遊びに来てくれると約束した少女が来てくれなかったときの期待と失望、学校をずる休みをしたことへの悔恨と悲しみ、友だちの髪形や着物を羨みながら母親に訴えられないやるせなさ、父が拵えてくれた西瓜燈籠を眺め、しなびていく燈籠から「老」と「死」について考えたのは、晶子が10歳ほどの頃です。

 

 『新少女』が刊行された時代は「大正デモクラシー」が台頭して、一般民衆と女性の地位向上に目が向けられていました。女子の社会的地位は低く、晶子も婦人参政権を唱え、女性教育の必要性を説いています。『私の生い立ち』にもさりげない形で人生訓がこめられ、少女に自立心を芽生えさせたいとの願いが感じられます。

 23歳で家を飛び出し鉄幹のもとに走った晶子は、30代半ばのこの頃も常に抑圧しようとする力に抵抗していました。

 

 『俤』に収められた鈴木三重吉の「千鳥」は、少年の淡い恋を綴った作品です。主人公が心を寄せた藤さんという女性は襦袢の片袖を形見に残して、知らぬ間にいなくなってしまいます。なぜいなくなったのか、少年は事情を知ることを頑なに拒み、水よりも淡いたった二日間の思い出をその袖に封じ込めます。

 明治文壇における追想文学の極上の逸品、鈴木三重吉は幼き日への限りない追憶に生きる人でありました。

 

『赤い鳥』創刊号 大正7年

 三重吉は、後年、長女の誕生をきっかけに童話を書くようになり、大正7年(1918年)、当時の児童教育の動向に反旗をひるがえすかのように童話童謡雑誌『赤い鳥』を創刊します。

 子どもの美しい空想や感情を育てることを目指した『赤い鳥』は、芥川龍之介、北原白秋、泉鏡花らの作品が掲載され、教訓色に塗りつぶされていた児童読み物が芸術的に高められていき、児童文学の発展に画期的な役割を果たすことになりました。

 子どものみならず、子どもの心を失わない全ての大人に向けて作品は書かれました。明治大正の作家や芸術家たちは、少年少女の感情に立ち戻ることで、時代や社会、日本に矢を放ったのです。

 

 一方、大衆の中から労働を通して生まれてきたものもあります。

貧しい農家が口減らしのために「子守り」として住み込み奉公させた少女たち、この少女たちは「守り子」と呼ばれました。この子守娘たちの嘆き節はそのまま、数も知れぬネエヤたちが口ずさんだ「守り子唄」へと地続きに繋がっていきます。

 子守りの労苦、仲間や家刀自の批評、背の子の問題、少女たちは唄のなかで恨みやつらみ、幼い悪意と憎しみを存分に吐き出しました。

守り子唄は、少女たちの置かれた社会的現実に対する幼い「抵抗の唄」でもあったのです。

 

五木の子守唄

(五木の子守唄 歌・鮫島由美子)

おどま勧進かんじん あん衆たちゃよかし

よか衆よか帯 よか着物

 

 「五木の子守唄」は、典型的な守り子唄です。赤坂憲雄は『子守り唄の誕生』の中で、その誕生の秘密を追いました。

 そこから浮かび上がってくるのはナガレモンの存在です。守り子は本来他郷から雇われてきたよそ者、村人からすればヨソモンであり、ナガレモンです。乞食や物もらい同然だったカンジン(山伏や修行者)に子守りの少女は自らを仮託して歌ったのです。

 

 日本では長いこと、子どもは親の所有物とされ、家を継ぐのは当り前、里子に出されようが、身売りされようが従うしかありませんでした。守り子でなくても、子どもはヨソモンだったのかもしれません。

 その中で子どもたちは、矛盾や葛藤と懸命に折り合いをつけつつ生き抜いていきます。

 幼な心に溜めこんだ鬱憤をバネにして、晶子は家を飛び出し理想へと向かって羽ばたきました。三重吉は幼な心に生きる人として『赤い鳥』を携えて童謡運動をおこし、時代に風穴をあけました。子守娘たちの悲惨と抵抗の歴史は「守り子唄」に忘れ形見のように刻印されています。

 日本の近代という時代に抵抗した幼な心の存在、切なさと健気の底に流れる強さが、そこから浮かび上がってきます。

 幼な心は私たちの原郷であり、そこを旅立つことで私たちはそれを失いますが、失うことでそれは永遠の象徴となる。幼な心は失うことによって支えられているのです。

 

【多読ジム Season03・夏】

 

●スタジオゆいゆい

●アイキャッチ画像:

 左:『子守唄の誕生』赤坂憲雄/講談社現代新書

 真ん中:『私の生い立ち』与謝野晶子/岩波文庫
 右:『俤』鈴木三重吉・水上瀧太郎他/ポプラ社
●3冊の関係性(編集思考素):三位一体型

 

           <時代への抵抗>

           『私の生い立ち』
              ●
             ・ ・
            ・   ・
           ●・・・・・●
          『俤』  『子守り歌の誕生』

 


  • 中原洋子

    編集的先達:ルイ・アームストロング。リアルでの編集ワークショップや企業研修もその美声で軽やかにこなす軽井沢在住のジャズシンガー。渋谷のビストロで週一で占星術師をやっていたという経歴をもつ。次なる野望は『声に出して歌いたい日本文学』のジャズ歌い。

  • 多読ほんほん2017 冊師◎中原洋子

    私が編集学校の門をくぐったのは、2015年秋でした。伝説の松丸本舗はすでになく、序もエディットツアーもありませんでした。千夜千冊や『知の編集術』は、その頃の私にはチンプンカンプンで、ただ「編集力チェックで感じた「面白い […]

  • 【三冊屋】<生命>が時代の理念となるとき(中原洋子)

    人は一人で生まれ、一人で死ぬ。そう気づいた時に、宇宙は一気に近づいてくるように思う。そこにあるのは、絶対的な孤独感、広大な宇宙空間に放り出された一人ぼっちの自分だ。    人類は小さな球の上で  眠り起きそし […]

  • 【三冊筋プレス】おれはひとりの修羅なのだ(中原洋子)

    明治時代、西洋文化が日本に入ってきて、学問、芸術、思想などの多くの基本用語が日本語に翻訳された。翻訳語研究者である柳父章は、『翻訳語成立事情』の中で、漢字を用いて舶来の新しい概念を作ろうと奮闘した、当時の知識人たちの迷 […]