【三冊筋プレス】「幼な心」を旅させて 本の向こうに見ていた風景(田中泰子)

11/19(木)11:00
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 夏の思い出は、外遊びの熱気を纏い忍び込んだ父の書斎の匂い。ひっそり輝く鉱物の標本や化石に囲まれページをめくる世界地図。無数とも思える図鑑や本から数冊を、気まぐれに取り出し、入念に眺めた時間。

 

 読書は本の中を旅する時間、その行為は「行きて還る物語」だと、幼少期より膨大な読書量を誇る池澤夏樹・春菜親子は、初の共著『ぜんぶ本の話』で断言する。

 

 

スカラブ号とアマゾン号の旗と大おばさんの日傘のロゴ、そして 子供たちの行動範囲に点在する世界の秘境を示した地図

          

 この本の児童文学の章で、冒険の細部の描写がリアルだと、アーサー・ランサムが紹介されている。ランサムの本業は文芸評論家で、エドガー・アラン・ポーやオスカー・ワイルドの書評を書いた。ロシア革命時代には、通信社の特派員として、レーニンやトロツキーら革命指導者と知り合いスクープを取っている。前線へ三度も出た。18歳から始めた文芸生活の前半生は、波乱の連続だった。後年、幼い頃から親しんだ湖水地方に落ち着き、友人の子らに帆走を教え、彼らと楽しい時を過ごす。その頃の経験が「ツバメ号シリーズ」に生かされている。

 『スカラブ号の夏休み』は、その11冊目。古風で考えの合わない大おばに、母がその不在を叱られないよう気遣う姉妹と、状況を理解し協力する姉弟、四人の子供たちの物語である。姉妹の母が子供たちを残し、病気療養の旅に出たと伝え聞き、突然訪れた大おばに、姉妹と夏休みを楽しむために滞在している姉弟の存在を悟られないよう、姉妹は大おばの前で従順な殉教者として振る舞い、姉弟は森に隠れ住む「ピクト人」となってその存在を隠す。周囲の大人たちを巻き込みながら、物語は展開。最後には、子供たちの画策によって引き起こされた辻褄の合わない事態に、疑念を抱いた大おばの取った行動が原因で、大おば自身が大捜索の対象となってしまうのだが、その時の大おばの心の内を察してかばう姉妹と、その行為を子供の成長と捉え讃える大おば、双方からの歩み寄りが描かれていて清々しい。

 終わりよければ全て良し。「スカラブ、アホイ!」高らかに響く掛け声に、かつてのように私の顔もほころんでしまう。                                     

 このシリーズの大半は、イギリスの湖水地方が舞台である。桂冠詩人ワーズワースが自然破壊に警鐘を鳴らし、ビアトリクス・ポターも関わったナショナル・トラストが保護に努める地域である。豊かな自然の中で、鳥や昆虫や植物を観察し、鉱石を探し、上陸した無人島で子供だけで生活する。北極、アマゾン川、カンチェンジュンガ、遠征先を符号で呼ぶごっこ遊びのような冒険は、子供たちの成長とともに湖水から海洋へと広がって行く。

 

 

『ダーウィンと進化論』(ジュニアサイエンス)クリスタン・ローソンと 『新訳ビーグル号航海記』下p.242 フィンチ類の嘴

 

 『ビーグル号航海記』のダーウィンは、まさにランサムの描く子供たちが、目指した姿だと言える。        

 ビーグル号が5年の歳月をかけて、南アメリカ、南太平洋、オーストラリア、インド洋の海岸線を行きつ戻りつ調査する間、ダーウィンは、パタゴニアやガラパゴスなどに上陸。各地の地質、生物を詳しく観察した。その記録は20年の時を経て『種の起源』として発表される。神による天地創造を信じてビーグル号に乗船した青年は、航海中の体験で進化論者となって下船したことになる。

 彼が踏破した土地はいずれも辺境の地であった。中でも最果ての地は、マゼランが「悪魔の大地」と表現し、後の探検家や文学者が想像の翼を羽ばたかせたパタゴニアである。「グレゴリー岬に住む有名な〈パタゴニア巨人〉と対面し、あついもてなしを受けた」と、1832年にダーウィンは書いている。だが、巨人たちの身長は期待したほど高くはなく、その後もヨーロッパ人が訪れるたびに縮む。入植者の持ち込んだ伝染病や文化の影響を受け、討伐の対象にもなって、その数は激減。発見の50年後には、民族として消滅した。

 探査の途中で遭遇した人種差別や革命の実情にも、真摯に言及する航海記の最後は「旅は、われわれに次の事実をも発見させてくれるーー 一度も会ったこともなく、また今後ふたたび言葉を交わすこともなさそうな赤の他人に向けて、少しの見返りも期待せずに喜んで援助を与えてくれる、ほんとうに親切な人たちが、この世にはなんとたくさんいることか」という一文で結ばれている。

 

ティエラ・デル・フエゴ島からマゼラン海峡を通り抜けるビーグル号 『ダーウィンと進化論』(丸善出版)p.61

 

 

 ランサムもダーウィンも、幼少年期に芽生えた好奇心に導かれた探求者であった。

 ランサムは幼児の頃すでに本に目覚め、後に出版社の編集長として仕事仲間となる人物と友情を構築し、父からは、湖水地方の生活と釣りの楽しみを教わっている。

 少年期のダーウィンは昆虫採集や魚釣りを好み、彼の祖父エラズマスは生物学において、進化論的な考えを持ち込んだ最初の人であった。そしてダーウィンの大学時代の恩師は、このエラズマス・ダーウィンとラマルクの信奉者だったのだ。

 彼らのその後が、まるで幼年期に確定していたように見えるではないか。 

 

 

上から時計回りに、『ダーウィンと進化論』(丸善出版)クリスタン・ローソン、『アーサー・ランサムの生涯』(筑摩書房)ヒュー・ブローガン、『パタゴニアふたたび』(白水社)ブルース・チャトウィン ポール・セルー、『パタゴニア』(河出書房新社)ブルース・チャトウィン

 

 

 あの夏の日、私は、風を読み帆を操る子供たちに自分を重ね、新種の動植物や化石を求めてたどり着いた新天地で、原住民の歓待を受けるダーウィンのエピソードに憧れて、水平線の彼方の遥かな国に思いを馳せたのではなかったか。そして自分が何者かもわからぬうちに、知らないところへ行きたいと切に願い、自由にやりたいことをやれる大人になりたいと思い続けていたのである。

 その思いが支えとなって、今私はここにいる。

 人生は続く。読書も続く。未知を渇望する「幼な心」は、旅を求めてやまない。

 

 

【多読ジム Season03・夏】

 ●スタジオ*ローグ

 ●アイキャッチ画像

   左;『スカラブ号の夏休み』アーサー・ランサム/岩波少年文庫

 真ん中:『新訳ビーグル号航海記』チャールズ・R・ダーウィン/平凡社

   右:『ぜんぶ本の話』池澤夏樹・池澤春菜/毎日新聞社

 

 ●3冊の関係性(編集思考素):三間連結型

    →『ぜんぶ本の話』池澤夏樹・池澤春菜

   ↑  ↓

   ↑ 『スカラブ号の夏休み』アーサー・ランサム

   ↑  ↓

    ←『新訳ビーグル号航海記』チャールズ・R・ダーウィン


  • 田中泰子

    編集的先達:ブルース・チャトウィン。29破を突破後も物語講座、風韻講座、そして多読ジムを開講と同時に連続受講中。遊読ナチュラリストである。現在は健康にいい家庭料理愛好家として、アレンジシフォンケーキを編集中。