【三冊筋プレス】小さな魔法の待ち伏せ(福澤美穂子)

2021/02/11(木)10:10
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目覚めよと経済の声夏きざす -2020年5月-

 

 東京で最初の緊急事態宣言がやっと解除された頃、千夜千冊に意外な一冊がアップされた。村田沙耶香の『コンビニ人間』だ。前夜はカート・ヴォネガット・ジュニア『プレイヤー・ピアノ』、次夜はジェイムズ・ジョイス『ダブリンの人びと』。10月刊行の千夜千冊エディション『方法文学』に収録されたこの2冊に挟まれた『コンビニ人間』の著者村田沙耶香は、『方法文学』の口絵写真に登場しパソコン画面のなかで笑顔を、キーボードの上で寝顔を披露する。夢の中でも本を読んでいるのか、画面の向こうが夢の中なのか、不思議な写真だ。
 『コンビニ人間』の主人公古倉恵子は、ひょんなことから18年間バイトしたコンビニを辞めるはめになる。すると「何のために眠ればいいのか」「何をして過ごせばいいのか」「何のために栄養をとっているのか」わからなくなり、世界から切断されたように静寂に包まれてしまう。コンビニこそが、恵子が意味を感じて生きていける場所。「世界の部品」になっていきいきと働ける聖域、ユートピアなのだ。コンビニの声を聞き、コンビニ人間である自分に気づいた恵子は、新たなバイト先を探そうと目覚める。「気持ちが悪い。お前なんか人間じゃない」と言われても、意に介さない。その潔さが、爽快。
 周囲は「異常」「異質」「変人」などのレッテルを恵子に貼る。しかし世間一般の価値基準を脇において、コンビニ店員としての評価のものさしを適用すれば非常に優秀と測られるだろう。普通と異常は、「情報の地」によっていくらでも変わる。2016年に本書で芥川賞を受賞した村田を、「小さな魔法を大きくつかう」「愉しみな作家」と松岡校長は評する。

 

言霊の自在に行き交ふ七夕月 -2020年7月-

 

 「地」が変わると言葉の手触りも変わる。たとえば日本で「ワイン」という言葉が普通に使われるようになったのは昭和57年頃のことだそう。それまでは「葡萄酒」といい、「甘口葡萄酒」「生葡萄酒(キブドウシュ)」という言葉もあった。当然、「生ビール」は「キビール」と読む。今だったら「ナマビール」。ほんの一昔前の言葉の「地」はかくも違う。2020年7月に刊行されたミステリ作家・北村薫の手で編まれた古今東西の詩歌のアンソロジー『詩歌の待ち伏せ』は、そんなふうにときに軽やかに言葉の来歴を追いながら、読みの深さと不思議を見せてくれる。天金の書を見立てた「かもめ来よ」や、井伏鱒二の漢詩訳「サヨナラダケガジンセイダ」など、風韻講座で出会った詩歌との再会にも心が躍る。
 「更ける」といえば「秋」や「夜」。そういうあたりまえの言葉のつながりをあえてずらし、「風更けて」と詠んだのが藤原定家である。

 

   さ筵や待つ夜の秋の風更けて月を片敷く宇治の橋姫

 

 奇をてらった難解で危うい表現と鴨長明によって批判される一方、複雑で奇抜で魅力的と評され、約700年後の土井晩翠「星落秋風五丈原」でもその表現が使われる。言葉の入れ替えという小さな魔法の大きな効果だ。紹介する著者北村薫の語りの順序と手筈が、魔法のように伏せられたものを開けていく。

 

秋深し隣りはミクロを覗く人 -2020年10月-

 

 見立てという魔法で難解な身体の仕組みを易々と解きほぐすのは、2020年10月に発刊された『おしゃべり病理医のカラダと病気の図鑑』。身体の仕組みを物流の流れに例えて説明する。校長の執筆術に肖りながら、図解を豊富に用いて説かれる身体システムの精巧さ、素晴らしさ。そこには著者小倉加奈子の細胞や身体の仕組みへの愛がにじみ出ている。そしてバナナで例示されるように、正常と異常の境い目は見極めづらい。細胞がいるべき場所でなすべきことをしていれば、身体は正常に保たれる。別の場所に居たりするべきことをしていないと、病態になる。細胞が身体という世界の「部品」としていきいき働く状態が正常で、「地」がずれて意味を見失い働けなくなると病気になる。病魔の出現だ。だとすれば、コンビニ人間でいいのではないか。人体サプライチェーンという見立てに、コンビニがフィットする。
 「地」がずれたとき、言葉は魔術的で新鮮な意味をもたらすけれど拒否反応を招くこともある。身体はもっと繊細で、人には聞こえない小さな悲鳴を上げるだろう。新型コロナウィルスが待ち伏せしていた2020年は、小さな魔法で日常をいきいきさせる編集力の愉快が、いつもにまして試された。2021年にはどんな本が待ち伏せしているのか、どんな魔法が発揮できるのか、楽しみである。

 

Info


⊕アイキャッチ画像⊕
∈北村薫『詩歌の待ち伏せ』(ちくま文庫)
∈小倉加奈子『おしゃべり病理医のカラダと病気の図鑑』(CCCメディアハウス) 
∈村田沙耶香『コンビニ人間』(文春文庫)

 

⊕多読ジム Season04・秋⊕
∈選本テーマ:2020年の三冊
∈スタジオだんだん(新井陽大冊師)
∈3冊の関係性(編集思考素):三間連結

 『コンビニ人間』→『詩歌の待ち伏せ』→『おしゃべり病理医のカラダと病気の図鑑』

 

⊕著者プロフィール⊕

∈村田沙耶香

 1979年千葉県生まれ。小説家。2003年「授乳」で群像新人文学賞優秀作受賞。2009年『ギンイロノウタ』で野間文芸新人賞受賞。2013年『しろいろの街の、その骨の体温の』で三島由紀夫賞受賞。2016年に『コンビニ人間』で芥川賞受賞。他の著書に『マウス』『殺人出産』『消滅世界』など。
 小説を書き始めたのは小3か小4の頃という。兄の本棚で星新一、新井素子、眉村卓を漁り、作家が持つ美しい「文体」に憧れ、真似し、さらに自分の文体というものを持ちたいと願ったそうだ。高校で山田詠美の本と出合うと言葉が熱を持っているように感じ、書きたいものが純文学になるも、言葉の美しさへの憧れが強くなりすぎ、スランプに陥る。大学時代、『書く人はここで躓く!』の著者宮原昭夫が教える横浜文学学校を通うようになって、スランプ脱出。コンビニでアルバイトを始めるのも大学時代。
 子供の頃に特に夢中になった遊びは小説や漫画をかくこと。アイデアが浮かんでこなかったり、行き詰ったりした時のストレス解消法は他の小説を書くこと。本を書くときのアイデアの練り方は、とにかくノートに文字を書くこと。手と頭が連動しているのでアイデアが浮かぶという。歩きながら考えることも多いそう。「既成概念が壊れると、自分自身でも書いていて発見がある」という一般常識ではないところを出発点する頼もしい姿勢を持つ。

 

∈北村薫

 1949年埼玉県生まれ。作家・アンソロジスト。大学時代はミステリ・クラブに所属。高校で国語教師をするかたわら、89年「覆面作家」として『空飛ぶ馬』でデビュー。91年『夜の蝉』で日本推理作家協会賞受賞。06年『ニッポン硬貨の謎』で本格ミステリ大賞〈評論・研究部門〉を受賞。09年『鷺と雪』(ベッキーさんシリーズ)で直木賞受賞。『秋の花』などの「円紫さんと私」シリーズ、『覆面作家は二人いる』シリーズ、『スキップ』『ターン』『リセット』の「時と人」三部作、「中野のお父さん」シリーズ、実父宮本演彦の若き日の日記を基にした評伝「いとま申して」三部作など著書多数。読書家、本格推理ファンとして、評論、アンソロジーにも腕をふるい、〈本の達人〉としても知られている。本名は宮本和男。父親は折口信夫に師事した国語教師。

 

∈小倉加奈子

 順天堂大学医学部附属練馬病院病理診断科先任准教授、臨床検査科長。医学博士、病理専門医、臨床検査専門医。外科病理診断全般を担当し、研修医・医学生の指導にあたる。NPO法人「病理診断の総合力を向上させる会」理事。
 イシス編集学校師範であり火元組。32守遊球マクロファージ教室師範代。趣味はクラシックバレエと読書。二児の母。「子どものころから内臓の絵を描くのが大好きでした」「自分が好きになったヒトやモノのことを、それらがどんなに魅力的で素敵なのか、ずっと伝え続けていきたい」と語る。 編集的先達は、以前は清少納言だったが、現在はナシーム・ニコラス・タレブ。多読ジムSeason 02では「募集中」と記したとか。仕事も生活もイシスもすべて重ねて超加速する編集アスリートで体育会系。経産省STEAMライブラリー教材「おしゃべり病理医のMEditLabo」開発中。常に編集的冒険が注目される存在。遊刊エディストで「をぐら離」「おしゃべり病理医 編集ノート」を連載中。


  • 福澤美穂子

    編集的先達:石井桃子。夢二の絵から出てきたような柳腰で、謎のメタファーとともにさらっと歯に衣着せぬ発言も言ってのける。常に初心の瑞々しさを失わない少女のような魅力をもち、チャイコフスキーのピアノにも編集にも一途に恋する求道者でもある。