【三冊筋プレス】日本語の生命力(福澤美穂子)

2021/04/22(木)10:00
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日本語の危機

 

 ヤバいといわれる日本に、どんな手を打てばいいのか。英語が世界を席巻するグローバル社会となった現代、12歳で渡米しその後20年米国に滞在しつつ日本語で小説を書く水村美苗が「日本の国語教育はまずは日本近代文学を読み継がせるのに主眼を置くべきである」と痛切に訴える『日本語が亡びるとき』。書き下ろし巻頭エッセイとして書き始めた文章が、次第に内容がふくらみ、結局は数年かけて独立した本になった経緯のある、著者渾身の一冊である。
 わかりやすい文章を書くことに注力する現代日本の国語教育は、難解な文章を読む力を養わず、日本語で書かれた先人の知恵を読み継ぐ理解力を鍛えない。これまで日本語で培われた叡智は断絶し、新たな思考は普遍語である英語での表現へと吸収されてしまうだろう。
 書き言葉が発達して成熟していたからこそ、日本は非常に質の高い文学に恵まれた。特に近代日本文学は、西洋の「近代小説」と出合い、その根底にある恋愛至上主義に衝撃を受け、抵抗し、格闘した近代日本知識人の精神の痕跡が記されている。それは日本語で味わってこそわかる喜びなのだ。読む力を鍛えて、国語の祝祭である文学を受け継いでいかなくてはならない。
 水村の日本語に対する熱くて切実な思いが胸に迫ってくる。悲痛な叫びに、ヒリヒリする。

 

日本語の呪力

 

 遡って、日本文学はどのように発生したのだろうか。その起源を解き明かそうとしたのが国文学者であり民俗学者である折口信夫の論考『日本文学の発生 序説』だ。
 折口は、古事記・日本書紀に残った歌から日本文学発生史を書き始める。いや、それは歌というよりも唱え詞。伊邪那岐ノ命、伊邪那美ノ命が「あなにやし えをとめを /あなにやし えをとこを」と言ったその言葉が、「ことわざ」という類いの神語であり、祝福にもなる呪詞だという。神から授けられた詞章、ことわざは、端的な表現になろうとする。より早く簡単に伝えられるよう、神の威力が圧縮して込められる。短くて簡潔な詞章の中に神の霊力が宿るとするのは、古代人の神への深い信頼の顕れだ。そして短いからこそ、容易に他の詞章へと写し取られていく。こうして古代の呪力は簡単化されて地名や枕詞に宿り、記紀万葉の時代にあってすら、本来の意味がわからなくなって織り込まれる。 
 呪力が宿った地名や枕詞を、「生命指標(らいふ・いんできす)」という。ライフ・インデキスとは、もともとは植物と人間との生命の交流について用いられる用語であったのを、折口が国魂と地名の関係など言葉の世界にまで広げた。「らいふ・いんできす」をもつ地名を聞くと、言葉の内容が胸のうちに広がる。なんという呪力、言葉の力、そして温かな概念なのだろう。
 日本語に生命力があることを確信させる本書は、全貌を理解するには非常に手強いが、日本語や日本文化の深さ・魅力を感じるために十分こたえてくれる。折口が日本文学の発生を問題にしつづけたのは、それが太古のことでありながら現在のことでもあるからだという。この折口の視点からすると、水村の危機感は、現代人が日本語から生命を感じ取れなくなっていることにも一因がありそうだ。日本語の豊かな生命力と断絶すれば、文学もまた先細っていくだろう。

 

記紀からの呪力再生

 

 福永武彦による『現代語訳 日本書紀』は、無条件に楽しい。漢文で書かれた全30巻の日本初の正史が、歌謡の部分を中心にしていきいきと現代の私たちの前に蘇る。扱われているのは神話の時代から持統天皇の時代まで。複数の別伝も含まれており、別様の可能性が広がっている。抄訳ながら、多様な日本がたっぷり入っている。
 「らいふ・いんできす」の感覚をもってを手に取れば、表面上は荒唐無稽、どこか無邪気な古代人の言葉や行動の奥に、隠された歴史や意図がおぼろげに浮かぶかのよう。物語として楽しんだのちに、関連する書籍に手を伸ばせば、古代の風習や歴史が言葉の端からより鮮やかに立ち上がる。そんなお楽しみも秘めた本である。
 詩人である福永は、叙事詩として、文学作品に接するように「古事記」を読んだ。歌謡以外の本文にも簡潔で歯切れのよい古代日本語のリズムを感じた。「日本書紀」も「風土記」も、歌謡の挿入された部分はすべて訳している。古代日本人によって生み出されたものゆえ、外国の叙事詩にはない共感を感じるのだそうだ。そんなこだわりをもった訳文には、日本語の響きやリズムの快さがふんだんに詰まっている。ここに、日本語で読む醍醐味がある。やさしい言葉から、日本文化の面影が漂ってくる。何か大事な核を、そうとは知らずに受け渡される。そんなふうに、思えてくる。

 

 水村が警告した日本語と日本文学に対する危機感は、これからもますます募るだろう。日本近代文学の読書を通じて滅亡に抵抗する一方で、古代日本の呪力や生命力を感じながら大らかに日本の古典を堪能する。できれば言葉の奥深くへと紐解いていく。そんなふうに近代と古代、日本文学の全史を通してあらゆるところから日本語の息吹を感じていく。そのおもしろさに多くの人が気づいたら、ちょっとやそっとのことでは日本語は滅びない。
 「人間をある人間たらしめるのは、国家でもなく、血でもなく、その人間が使う言葉である」と水村は言う。ヤバいと言われる日本を救う、しなやかでしたたかな文学の力を信じたい。

 

Info


参考千夜⊕
∈1699夜『日本語が亡びるとき』水村美苗
∈1599夜『枕詞論』近藤信義
∈1011夜『日本史の誕生』岡田英弘

 

⊕アイキャッチ画像⊕
『増補 日本語が亡びるとき』水村美苗/ちくま文庫
『日本文学の発生 序説』折口信夫/角川ソフィア文庫
『現代語訳 日本書紀』福永武彦訳/河出文庫

 

⊕多読ジム Season05・冬⊕
∈選本テーマ:日本する
∈スタジオゆいゆい(渡曾真澄冊師)
∈3冊の関係性(編集思考素):一種合成

   『増補 日本語が亡びるとき』┐
                 ├『現代語訳 日本書紀』
   『日本文学の発生 序説』──┘

 

⊕著者プロフィール⊕
∈水村美苗

 東京に生まれる。12歳の時、父親の仕事の都合で家族と共にアメリカに移り住むがなじめず、昭和二年発行の改造社版の「日本現代文学全集」を読んで過ごす。アメリカのイェール大学で学んだときに、たまたま二年間教えに来ていた加藤周一氏と知己になる。30代になって日本に一度戻るが、再び渡米して大学で日本近代文学を教えながら、日本語で小説を書き始めた。
 『日本語が亡びるとき』は2009年、小林秀雄賞を受賞。他の著書に『續明暗』(夏目漱石の未完の小説『明暗』の続きを書き1990年芸術選奨新人賞受賞)、『私小説 from left to right』(1995年野間文芸新人賞受賞)、『本格小説』(エミリー・ブロンテの『嵐が丘』を翻案し、2003年読売文学賞受賞)、『母の遺産―新聞小説』(2012年大佛次郎賞受賞)。

 

∈折口信夫

 1887年(明治20年)、大阪に生まれる。国文学者、民俗学者、歌人(歌人としての名は「釈迢空」)、詩人。国文学、民俗学の域に捉われることなく古代研究、学問研究を続け、終生教壇に立った。

 代表作に『古代研究』『口訳万葉集』『死者の書』、歌集に『海やまのあひだ』『倭をぐな』等。1953年(昭和28年)没。没後、全集にまとめられた功績により日本芸術院恩賜賞を受賞。

 

∈福永武彦

 1918年(大正7年)、福岡県に生まれる。堀辰雄との親交を経て、1942年に加藤周一、中村真一郎らと「マチネ・ポエティク」を結成し、西欧的な思考を追求しながら日本詩の方法的実験(日本語による定型押韻詩)を試みる。1947年、結核で国立東京療養所に入所。1954年長篇小説『草の花』で作家としての地位確立。1956年(昭和31年)4月から9月にかけては、「古事記」「日本書紀」「風土記」の翻訳に取り組む。1979年(昭和54年)没。
 著書に『ゴーギャンの世界』(毎日出版文化賞受賞)、『死の鳥』(日本文学大賞受賞)等多数。


  • 福澤美穂子

    編集的先達:石井桃子。夢二の絵から出てきたような柳腰で、謎のメタファーとともにさらっと歯に衣着せぬ発言も言ってのける。常に初心の瑞々しさを失わない少女のような魅力をもち、チャイコフスキーのピアノにも編集にも一途に恋する求道者でもある。