【三冊筋プレス】道に迷いたい 物に入りたい(米川青馬)

2021/08/30(月)09:38
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エディアカラ生物群は旅をした

 

 およそ五億四千万年前に絶滅したエディアカラ紀の生き物たちは、連続する曲がりくねった跡を残した。世界最古のトレイルだ。以来、生物たちは絶えずトレイルを行き交ってきた。(※トレイルとは「野生の道路」だ。動物が踏みならしてつくる道、あるいは人がつくる山野などの未舗装道路のことだ。)

 

 アリは旅をする。デュフール腺から「トレイルのフェロモン」を分泌し、一時的なトレイルをつくる。向かう先に食料がある限り、他のアリはフェロモントレイルを辿る。後続がトレイルに連なると、アリの行列ができあがる。

 

 ゾウは旅をする。トレイルをつくりながら移動し、群れで数百キロを軽々と踏破する。ゾウは地勢を読み取る天才であり、ゾウの身体すべてがトレイルをつくるのに完璧に設計されている。トレイルは迷子のゾウに方向を教え、異質な個体群を結びつけることができる。

 

 ウシは旅をする。四十頭のウシの群れが、洗練されたコンピュータ・プログラムと対抗して、野原を渡る最も効率的な道を探すという仕事を与えられた。その結果、ウシはコンピュータを十パーセントも上回る成績を上げた。ウシはコンピュータ以上のトレイル設計者だ。

 

 トレイルは、動物界で最もエレガントな情報共有法だ。つくることにも従うことにもとくに知性を必要とせず、簡単に使いこなせるが効果は大きい。多くの動物がトレイルの達人であり、生き残るためにトレイルを最大限活用している。以上のことは、すべてロバート・ムーアが『トレイルズ』に記したことだ。

 


ヒトはいろんな旅をする

 

 はじめ、ヒトは動物と同じようにトレイルを歩いた。定住化とともにトレイルは発展して道となり、一部はローマ道やシルクロードのような大街道となった。
 近現代人は機関車や自動車や飛行機を発明し、世界に線路とハイウェイと航空路の網目を編んで、旅をさま変わりさせた。ペール・アンデションの言う通り、現代人は、効率的かつ快適な旅をしなければいけないと思っている。そう思いこんでいる。

 

 とはいえ、個別に見ていけば、現代の旅は千差万別だ。予定ギチギチの大人数パックツアーがあれば、明日がわからない放浪旅もある。将来を見つけるための旅があれば、ノスタルジーに浸る旅もある。ヒッチハイク旅、無鉄砲な旅、旅行記を辿る旅なんかもある。
 アメリカ・アパラチア山脈に沿ってほぼ3500キロ続く「アパラチアン・トレイル」という道がある。ロバート・ムーアは、アパラチアン・トレイルの全行程を歩いたスルーハイカーの一人だ。やろうと思えば、そんな旅だってできる。ヒトは動物と違い、いろんな目的でいろんな旅をする。もちろん、旅をしない自由もある。

 

 僕はといえば、「道に迷うこと」はすべて旅だと感じてきた。知らない路地に迷いこめば、あっというまに旅立ちだ。
 若いころ、仕事中の昼休みを長く取れたときによくやっていた遊びがある。ルールは簡単。銀座のオフィスを出た瞬間、頭で考えることを完全に止めて、足の意見に従う。それだけだ。同じ界隈をグルグル回っても、いくら無駄に歩いても一切気にしない。どこまでも足が行きたいところに向かう。
 すると、既知の道さえ旅ができる。そのうちたどり着くのは、僕の身体がそのとき最も欲しているご飯、あるいは場所だった。あるとき、僕の足は新橋駅からゆりかもめに乗って二駅先の竹芝駅で降り、気づいたらファミレスで東京湾を眺めていた。こんな遊びに何度癒やされたかわからない。

 僕にとっては道に迷うことが旅であり、生きることだ。「追い求め、迷うのはよいことだ」とゲーテは書いている。「わたしたちは追い求め、迷うことによってのみ学ぶのだから」。どうあがいても、道を歩くことは権威にひれ伏すことだ。それなら、せめて道に迷いたい。

 


芭蕉は面影を辿る旅をした

 

 殺生石や瑞巌寺では西行の痕跡を追い、白河の関では能因法師や源頼政の古歌を想起し、松島や象潟では先人とともに絶景を楽しんだ。平泉では、かつて栄華を誇った奥州藤原家三代と義経が一場の夢と消えた廃墟に涙した。
 芭蕉はこうして東北・北陸の歌枕を巡り、面影を辿る旅をして『おくのほそ道』を記した。単なるノスタルジーの旅ではない。乞食行脚を志した風狂の旅であり、義経の魂を鎮める旅であり、地方俳壇の開拓を狙ったビジネスの旅であり、不易流行とかるみを知る旅であり、何よりも先人に習いながら句をつくって敲く旅だった。

 

 もう一つ、「物に入る旅」だった。芭蕉は「習へといふは、物に入りて、その微に顕れて情感ずるや、句と成るところなり」という教えを残している。芭蕉は石に入り松に入り、廃墟に入って歌をなしたのだ。一切の私意分別を捨て、静かに物を見て物となり、「微」にあらわれるところに「情」を感じて、そのまま「句」になっていったのだ。
 それは物に迷うことでもあっただろう。物に入り、物に迷うあいだ、芭蕉はこれ以上なく楽しく想像したのではないか。長い旅に出るときは芭蕉に倣いたい。

 


 

Info


⊕アイキャッチ画像⊕
『トレイルズ』ロバート・ムーア/A&F
『旅の効用』ペール・アンデション/草思社
『おくのほそ道』松尾芭蕉/角川ソフィア文庫

 

⊕多読ジム Season06・夏⊕
∈選本テーマ:旅する三冊
∈スタジオふらここ(福澤美穂子冊師)

∈3冊の関係性(編集思考素):三間連結型

 

 『トレイルズ』→『旅の効用』→『おくのほそ道』

 

⊕著者プロフィール⊕
ロバート・ムーア
 ミドルベリー大学環境ジャーナリズム・フェローシップ受給者でいくつかのノンフィクション作品に対し受賞歴がある。現在の著書は本書だけで、現在次の著書を書いている。なお、本書は2017年全米アウトドアブック賞を受賞している。『Harper’s Magazine』 『n + 1』 『New York Magazine』 『GQ』などの雑誌に寄稿している。カナダ、ブリティッシュ・コロンビア州ハーフムーンベイ在住。アパラチアン・トレイルの全行程を歩いた「スルーハイカー」の一人でもある。

 

∈ペール・アンデション
 スウェーデンのジャーナリスト・作家。1962年、同国南部のハルスタハンマル生まれ。同国でもっとも著名な旅行誌『ヴァガボンド』の共同創業者。過去30年にわたってインドを中心に世界各地を旅する。現在ストックホルム在住。2015年刊行の前著がベストセラーになり、一躍人気作家となる。

 

∈松尾芭蕉
 寛永21年に伊賀上野に生まれている。藤堂藩の無足人(土着郷士)の次男。貞門の北村季吟に惹かれ、29歳で江戸に出た。発句合せ『貝おほひ』を自選自費でつくり、これをポートフォリオ代わり、名刺代わりにした。江戸では日本橋の魚問屋の鯉屋杉風のもとに草鞋を脱いだ。延宝8年、芭蕉は江戸市中を離れて隅田川対岸の新開地・深川に移り住んだ。泊船堂である。これが最初の芭蕉庵になった。貞享元年(1684)8月、芭蕉は初めての旅に出る。「野ざらしを心に風のしむ身かな」と詠んで、能因・西行を胸に秘め、東海道の西の歌枕をたずねた。『野ざらし紀行』執筆の1年後、芭蕉はあの「古池や蛙飛こむ水の音」を詠んだ。笈の小文の旅をそのまま更科紀行にのばした芭蕉が、岐阜・鳴海・熱田をへて8月に更科の月見をしたのちに、江戸の芭蕉庵に戻ってきて、後の月見を開いたのは9月のことである。それから半年もたたぬうちに、芭蕉は奥の細道の旅に出る。大垣から伊勢へ赴き、伊勢遷宮に立ち会えることを寿いだ。芭蕉は伊勢からそのまま奈良・京都にまわり、伊賀上野に帰ったところで、長きにわたった旅に終止符を打った。元禄3年(1690)の正月である。その後、芭蕉は大津の幻住庵に入っていった。京都落柿舎を経て去来の家に移り、渾身のフラジリティをこめて最後の編集にかかったのが『猿蓑』になる。江戸に戻った後、元禄7年(1694年)にふたたび西へ行き、大阪で死去。


  • 米川青馬

    編集的先達:フランツ・カフカ。ふだんはライター。号は云亭(うんてい)。趣味は観劇。最近は劇場だけでなく 区民農園にも通う。好物は納豆とスイーツ。道産子なので雪の日に傘はささない。