【三冊筋プレス】笑う門には神がいる(福澤美穂子)

2021/11/07(日)09:16
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原点は「笑い」

 

 「人間の出来る最大の仕事は、人が行く悲しい運命を忘れさせるような、その瞬間だけでも抵抗出来るようないい笑いをみんなで作り合っていくこと」。2010年に没した劇作家の井上ひさしは語る。幼少時に戦争を体験し、二度とこのような悲惨なことは起こしてはならないとの信念で筆を執る人だった。インタビュー番組をもとにまとめられた『ふかいことをおもしろく』で、井上の人生と創作の原点が、やさしい言葉で語り明かされる。

 

戦争を笑いとばす

 

 人間は古代から戦争を繰り返している。戦争によって人間の扱える技術は発展した。暮らしが便利になった面があることは否めない。しかし、戦争は悲惨だ。市井の人は戦争に厭きている。憎むべき、避けるべきもの。好戦的なのは権力者だけ。そんな権力者=男を揶揄した作品が古代ギリシアの喜劇作家アリストパネスによって書かれた『女の平和』だ。この作品は、前431年から始まったペロポネソス戦争への抗議として書かれたという。同盟国から援軍を集めてシチリア島への大遠征を敢行したアテーナイは、前413年スパルタに惨敗する。市民のおよそ半数の男が奴隷になり、殺された。この劇が上演されたのはその直後。それでも戦争は、前404年まで結局約四半世紀も続いた。
 「ギリシャを救えるのは、もはやあたしたち女しかいない!」。物語は、アテーナイの城砦アクロポリスの正門前に美貌のリューシストラテーが立つ場面から始まる。各地の女性に呼びかけ、戦争を止める秘策を告げる。敵国スパルタからも女丈夫のラムピトーが駆けつけた。戦争を終わらせ、男たちに戻ってきてほしいのは、どこの国も同じなのだ。
 当時の女性は、結婚後は家の管理と子どもの養育に縛られていた。外出の際は、女奴隷か年長の親族のエスコートが必要で、単独行動は許されない。一般の女性は「家に閉じ込めておくべき存在」で、社会教育を受ける機会もなく、政治的教養もない。なのでこのように女性が反戦活動をするなど現実には起こり得ない。アリストパネスは荒唐無稽な、空想社会を描いたといえよう。そして戦争の悲しさを、戦争を行う男の愚かさを笑いとばしたのだ。
 物語の半ば、リューシストラテーは女神に訴える。「アテーナイとギリシャと馬鹿どもの、『戦争好き』なる疫病を、すっかり治してくださいまし!」。残念ながらこの疫病は今もまだ地球上にはびこっている。
 女たちのはかりごとはめでたく成功し、戦争は終結する。笑い声や歌声が響き、皆は神に向かって合唱するが、神は特に何をするでもない。
 『女の平和』は、21世紀の今も演じ続けられている。反戦運動として世界中で朗読会が行われ、リューシストラテーの戦略は現実的なストライキ手段として、スーダンやリベリアで展開された。しかしこれだけ長きにわたり世界中の人に読み継がれているこの作品の魅力の中心は、平和への希求よりも、あっけらかんとした開放的な猥雑さと幸福感、そして滑稽さにあるのだと思う。戦争って、馬鹿馬鹿しい。戦争を行う男たちも愚かだ。神に祈りつつも任せっきりにしない女性たちの行動力が素晴らしい。

 

みんなが笑う日

 

 時は移って、現代の平和な日本。神様は、人間の見えないところでけっこう忙しく働いているようだ。万城目学『パーマネント神喜劇』は縁結びの神様が主人公である。人間界と同じく神様も仕事に明け暮れ出世競争をし、そして万能ではなく「できることといったら、人間を信じることだけ」といったありさまだ。絵馬に書かれた願いが叶うように誠意をもって対応する神様の道具は、言霊。出会った人たちが、幸運に寄りかかるのではなく、いつの間にか自力で前向きに生きていくのも素敵である。
 万城目は「人間の営みのすぐ側に神様の営みがあるくらいの」距離感で神を描く。神は人知を越えたことを描くためのツールなのである。本人が気づかないうちに、その人の生き方を変える機能を果たしている。そっと背中を押す感じが近いかもしれない。「冷静になるつもりが、思い切り熱くなって、言いたいことを全部言ってしまった」と慌てる神様の姿に人間らしさを感じ、親近感を抱き、緩い笑いを誘われる。心が日向ぼっこするような気持ちになる。
 表紙の絵がまた味がある。眺めているだけで、笑いがこみ上げてくる。人間の目には見えないはずの神様の姿だ。とても福々しい顔に、おめでたい柄の137色のシャツ。遺伝子の二重らせん柄なのか、謎めいている。
 ラストシーンで神様は言う。「それにしても、いい眺めだなあ。ほら、みんなが笑っている。誰もが、とてもうれしそう」。
 誰もが笑って、嬉しそうにしている眺め。これは井上ひさしが客席に見た光景だろう。井上は言う。「初日の幕が開いて、お客さんが拍手をして、『いい芝居でした』『感動しました』『笑いました』と言ってくれるのが何よりの報酬なのです」。

 古来から長く続く「戦争好きなる疫病」を駆逐するのは容易ではない。この病を癒す力は、神ではなく笑いにあるのではないか。みなが平和に笑う世の中になれば、病いも癒えるのではないか。
 笑いは人間が他者と関わってつくるもの。争いや哀しみに暮れることよりも、笑う努力をするほうが人生ゼッタイ愉快だ。

 

Info
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参考千夜⊕
∈975夜『東京セブンローズ』井上ひさし

∈1625夜『夜中の電話』井上麻矢
⊕アイキャッチ画像⊕

∈『女の平和』アリストパーネス(佐藤雅彦訳)/論創社
∈『パーマネント神喜劇』万城目学/新潮社
∈『ふかいことをおもしろく 創作の原点』井上ひさし/PHP研究所

⊕多読ジム Season07・夏⊕
∈選本テーマ:笑う本
∈スタジオ凹凸(景山卓也冊師)
∈3冊の関係性(編集思考素):二点分岐

             ┌『女の平和』
『ふかいことをおもしろく』┤
             └『パーマネント神喜劇』


⊕著者プロフィール⊕
∈アリストパーネス
古代ギリシアの喜劇詩人。紀元前446年頃のアテーナイに生まれ、60年余りの生涯を生きる。44編あるといわれる作品のうち、現存するのは11編。作品は政治色が強く、農民の立場から和平論を主張し、手工業者層から成り上がった扇動政治家を憎み、新流行の思想や倫理を風刺した。作品中では、個人攻撃が激しく、卑猥語あるいは性的イメージが頻出し、超自然超論理の奇抜な発想がみられる。日ごろ抑圧されている暴力や卑猥性への市民たちの願望を舞台上で解放し、平和や世の変革の幻想を味わわせ、ことば遊びと発想の妙で笑いをふんだんに提供した。平和主義者であるよりも、喜劇作者。同じものの焼き直しはせず、いつも新しい工夫を考えたそうだ。主な作品は、『雲』『蛙』『蜂』『鳥』『平和』等。

∈万城目学
 1976(昭和51)年、大阪府生まれ。京都大学法学部卒業。在学中の21歳の時にたまたま小説を書いてみたら「なんかへたくそ」(本人の言葉)だったが、うまくなりそうな予感がしたらしい。化学繊維会社勤務を経て、2006(平成18)年に『鴨川ホルモー』でボイルドエッグズ新人賞を受賞しデビュー。同作品は、第5回輝く!ブランチBOOK対象新人賞受賞、第4回2007年本屋大賞第6位。近代建築にも造詣が深く、門井慶喜との共著『ぼくらの近代建築デラックス!』(文藝春秋社)がある。
 小さい頃からコンプレックスがなく、明るい諦念を持つ根暗な陽気もの、と自身の性格を評している。「笑い」に関しては全く意識しておらず、真面目に書いた作品を編集者から「笑えた」と言われてムッとするらしい。影響を受けた作家はチャールズ・ブコウスキーに司馬遼太郎。

∈井上ひさし
 1934(昭和9)年、山形県生まれ。2010(平成22)年、肺癌により75歳で亡くなる。作家・劇作家、ヘビースモーカー。護憲平和と反戦を説いた「九条の会」の呼びかけ人の一人。蔵書20万冊、一日の読書量30冊という題の読書家で、「本は人類がたどりついた最高の装置」。上智大学外国語学部フランス語学科卒業。在学中から台本を手がけ、放送作家として執筆活動をスタートしている。1964(昭和39)年には、NHKの連続人形劇『ひょっこりひょうたん島』(共作)の台本を執筆。1969年『日本人のへそ』で演劇界にデビュー。この作品の地口とキャラクタリゼーションの妙法は「1000年来の笑撃」と千夜千冊で評されている。「日本語という生きた組織文化そのものを体現するすべての動向を引き受けた革命者」と松岡校長は大絶賛。『私家版日本語文法』『井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法』『吉里吉里人』『不忠臣蔵』『東京セブンローズ』等著書多数。
 1972(昭和47)年、『手鎖心中』で直木賞を受賞。1984(昭和59)年には劇団「こまつ座」を旗揚げ。同劇団は娘の井上麻矢が引き受け、現在も活動を続けている。1987(昭和62)年には、蔵書を生まれ故郷の川西町に寄贈して図書館「遅筆堂文庫」開館。井上の遅筆を、司馬遼太郎は温かく擁護したらしい。


  • 福澤美穂子

    編集的先達:石井桃子。夢二の絵から出てきたような柳腰で、謎のメタファーとともにさらっと歯に衣着せぬ発言も言ってのける。常に初心の瑞々しさを失わない少女のような魅力をもち、チャイコフスキーのピアノにも編集にも一途に恋する求道者でもある。

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