【三冊筋プレス】生きる意味のなさを覗き込むための笑い(米川青馬)

2021/10/13(水)10:30 img
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すべての現代人の生は等しく無意味だ

 

 「われわれの現実において、自明なものはもうなにもない」(『意味に餓える社会』ノルベルト・ボルツ)。近代以降、僕らは宗教や民俗が示してきた自明の意味を失った。現代の僕らはもう、自らが属する宗教や民俗にだけ従って生をまっとうできない。かといって倫理は宗教や民俗の代わりにならず、科学や論理は意味をつくらない。極論すれば、すべての現代人の生は等しく無意味だ。そもそも動物の生に意味はないのだから、近現代のヒトは動物に近づいた、ともいえる。

 

 でも僕らは、自分が生きることは無意味だ、という真実を直視できない。自分がいつも別様でありうることを、完全なる自由を、ありのままのコンティンジェンシー(不確定性)を受け入れることができない。生の意味のなさは太陽と同じで、裸眼で覗くのは危険だ。

 

無意味だからこそ人生を編集できる

 

 真実を直視できない僕らは、人生に何か仮の存在意義を見出して、生きる意味をつくりだす。あるいは、面白さや楽しさに熱中し、日々を充実させてやりすごそうとする。もしくは、のっぴきならない事情や人間関係に振り回されて、真実どころではない人生を送る。大多数のヒトが三つすべてをやっている。もちろん僕もやっている。最初の二つは決して悪いことではないだろう。三つ目は千差万別で、なかには生き地獄もあると思うが、生の無意味さに比べたら大半のことはマシなのではないか。

 

 生の無意味さはチャンスだ。だからこそ、僕らには人生を編集する自由があるのだから。僕らには、災いを福に転じさせる自由だってあるのだ。ノルベルト・ボルツはそのたぐいの自由に満ちた文化をポストモダンと呼んだ

 

 


メタ認知のような、そうでないような

 

 とはいえ、ポストモダンの人生編集がどれだけうまくいったとしても、僕らの生の底には無意味が流れつづけている。世のなかには、この無意味の流れをなんとかして覗きこもうとする輩がいる。僕もその一人だ。真実に迫るのはたまらなく面白い。

 

 無意味を直に見つめるのは危ないから、この覗きにはサングラスのようなメディアが要る。その筆頭は芸術だろう。もっと手軽なメディアが欲しいなら、お笑いがオススメだ。意外と掘り出し物が見つかる。

 

 たとえば、天竺鼠・川原がYouTubeに上げた「鑑賞シリーズ」はどうだろう。全部で14本あるが、4本目の「鑑賞を鑑賞を鑑賞を鑑賞」を見てもらうと意図がわかりやすい。これは、川原がつくった元動画を川原が見ているのをアキナ・秋山が見ているのをアキナ・山名が見ているのを見る動画だ。他人を通した「メタメタメタメタ認知」動画である。メタ認知は理由なく楽しいものだ。アキナの二人も最初は「どういうこと?」と言うのだが、ほどなくメタな笑いの共有「共笑」にハマっていく。

 

 ところが、7本目「鑑賞を鑑賞を鑑賞を鑑賞を鑑賞を鑑賞しないを鑑賞」になるとずいぶん様子が変わる。まず元動画がほぼ見えない。6本目のコマンダンテ・石井には、すでに霜降り明星・せいやが何かしていることくらいしかわからない。そして、7本目のダイアン・津田は「見ていない」ので、石井たちの言葉に頼るほかなく、ほとんど理解が進まない。これはもはやメタ認知ではない。ではいったい何なのか。僕にはうまく説明できない。メタ認知のようなそうでないようなもの、としか言いようがない。僕はシリーズでこれが一番笑える。

 

メタの果て、意味の果て

 

 この後、鑑賞シリーズはこうなってこうなり、最後の14本目「鑑賞を鑑賞を鑑賞を鑑賞を鑑賞を鑑賞しないを鑑賞しないを鑑賞を鑑賞を鑑賞をりんぐりをアイドルが踊るを新宿の人が鑑賞しないを鑑賞」で、動画は新宿駅前に置かれる。ジェラードン・かみちぃとジャルジャル・後藤が、新宿の路上で踊りつづける姿を見ていると、笑いながら虚しくなる。ここには「メタの果て=意味の果て」がある。僕にとって最上の笑いは、こうして間接的にでも、生の意味のなさを覗きこませてくれる笑いだ。僕はそんな笑いに最も意味を感じる。

 

 川原が書いた絵本『ららら』(ヨシモトブックス)にこんな詩がある。
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誰のものでもないエビフライ

 

母のでもなく
父のでもなく
兄貴のでもなく
俺のでもない
エビフライ
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 もちろん、僕のでもなく、あなたのでもない。

 

 


登場人物、全員狂人

 

 物語を通じて、生の意味のなさを覗きこむこともできる。それなら残雪がいい。試しに、『最後の恋人』(平凡社)を10ページくらい立ち読みでもしてほしい。この物語は、明らかに意味がわからない。僕はあまりの意味不明ぶりに、読んでいるあいだ何度も笑った。

 

 なにしろ、こんな感じの文章がひたすら続くのだ。
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 その後、ヴィンセントが草地に来て下品な振舞いに及んだのだった。彼女は彼の腕をじっくり見たが、その毛むくじゃらな腕にはなんの傷痕もなかった。そのときヴィンセントは色情狂のような目で彼女を見ながらわけのわからないことをいった。「きみはだれだ? モロッコ人か?」リサは彼の耳に大声で叫んだ。「わたしは賭博城から来たの!!」彼は寝返りを打って草に顔を押しつけながらはっきりといった。「わたしはアラビアと日本の血統の女が欲しいんだ。さもないと、きみにはぼくが見えなくなる」彼はそういうが早いか、いびきをかきはじめた。
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 これだけ読むと、ヴィンセントが狂人に見えるだろう。しかし、この小説では、登場人物全員が揃いも揃ってこんな調子なのだ。しかも、一貫したストーリーはどこにもない。

 

生の無意味さの物語

 

 残雪本人は、序文で自著をこんなふうに解説している。
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常軌を無視し勝手気ままでなにものにも縛られない、またとらえどころのなさすぎる小説
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ここに描いたのは、原始の欲望、動物的な切なる渇きであって、それとの唯一の違いはその欲求に意識が隠れているということだけ
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この小説は、いかなる水平面の描写も、通常の筋の論理による操縦も排斥している
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 つまり残雪は、ヒトの動物性を際立たせた、全編にわたって「生の無意味さ」の物語を狙って書いたのだ。とんでもないヒトである。

 

 こんなにおかしな物語なのに、不思議と僕は最後まで読み進めることができた。読んでいるうちに、むしろこれが本当のヒトの姿かもしれない、とすら思うようになった(さすがに、読んでいないときにはそこまでは思わないのだが)。「わたしの空間の中の人々はある面から見れば異星人のようだが、実はもっとも普遍的な人類の欲望を赤裸々に発揮しているにすぎない」と残雪は書いているが、きっとそのとおりなのだ。困ったことに、僕たちの生は『最後の恋人』の登場人物たちのように意味がない。そのことに大きな意味がある。

 

 

Info


⊕ アイキャッチ画像

∈『意味に餓える社会』ノルベルト・ボルツ/東京大学出版会
∈『ららら』川原克己/ヨシモトブックス
∈『最後の恋人』残雪/平凡社


⊕ 多読ジム Season07・秋
∈選本テーマ:笑う三冊
∈スタジオNOTES(中原洋子冊師)
∈3冊の関係性(編集思考素):三間連結型
 『意味に餓える社会』→『ららら』→『最後の恋人』


⊕ 著者プロフィール
∈ノルベルト・ボルツ
 1953年生まれ。ベルリン自由大学のヤーコプ・タウベスのもとで宗教哲学を修め、自身はアドルノ美学で博士号を取得した。両大戦にはさまれた時期の哲学的ロマン主義の研究で著作テビュー(『批判理論の系譜学』)。1992~2002年、エッセン統合大学芸術・デザイン研究所のコミュニケーション論教授。2002年以来、ベルリン工科大学言語・コミュニケーション研究所のメディア学教授。
 ボルツは本書の前に『仮象小史』『批判理論の系譜学』『カオスとシミュレーション』『グーテンベルク銀河系の終焉に』(いずれも法政大学出版局)、および『制御されたカオス』『カルト・マーケティング』といった著作などをものしている。本書の後には『世界コミュニケーション』(東京大学出版会)、『ベンヤミンの現在』『人間とは何か』(ともに共著・法政大学出版局)などを書いている。

 

∈川原克己
元精子。お笑いコンビ・天竺鼠の一員。キングオブコント2008・2009・2013ファイナリスト。

 

∈残雪
1953年5月31日、地元の新聞『新湖南報』社長の鄧洪釣と、同社の人事部に勤める李茵との間の第六子として、中国湖南省長沙市に生まれる。父親が1957年に「右派」として追放され、母親は労働改造に送られ、20年に渡り一家は様々な迫害を受ける。文化大革命時には、父が収監された監獄近くの小屋で一人暮らしを強いられた。裸足の医者、工場勤務、代理教師などの仕事や結婚を経て、夫と裁縫を独習し、それによって生計を立てた。1980年代に創作を開始し、1985年から作品を発表し始める。その作品は各国語に翻訳され、世界的な評価を得た。2015年、『最後の恋人』がブックエキスポ・アメリカの最優秀翻訳文学賞を受賞した。2016年にはノイシュタット文学賞にノミネートされ、2019年には”Love in the New Millennium”がブッカー国際賞にノミネートされた。『黄泥街』『突囲表演』『蒼老たる浮雲』『カッコウが鳴くあの一瞬』『暗夜』『かつて描かれたことのない境地』 などが訳されている。


  • 米川青馬

    編集的先達:フランツ・カフカ。ふだんはライター。号は云亭(うんてい)。趣味は観劇。最近は劇場だけでなく 区民農園にも通う。好物は納豆とスイーツ。道産子なので雪の日に傘はささない。