巣の入口に集結して、何やら相談中のニホンミツバチたち。言葉はなくても、ダンスや触れ合いやそれに基づく現場探索の積み重ねによって、短時間で最良の意思決定に辿り着く。人間はどこで間違ってしまったのだろう。
生物たちが独自の知覚と行動でつくりだす世界を「環世界(Umwelt)」という。おなじ時間と空間を共有しているが、どの生き物もそれぞれに違う世界を生きている。
「世界はひとつ」と信じて生きてきた人間たちにとって自分という輪郭が崩れる概念ではないか?
この「環世界」がちょっとユニークなマダニの生態をみてみよう。マダニは木の上に棲み、じっと通りかかる獲物を待ち続ける。そしてたまたま通りかかった獲物の発する微量な酪酸の匂いを察知し、体温で位置を感知して獲物の下に落下して吸血する。これらの一連の営みがマダニの「環世界」なのだ。
一方、人間の「環世界」の研究は進んでいないが、特異な「環世界」をもつ盲目の琵琶法師をみてみよう。彼らは暗闇に住み、聴覚と皮膚感覚で世界を体験する。
人間の知覚の大部分を占める視覚の統御から解放された琵琶法師はその自己の輪郭や主体のありようは常人とは異なるものだった。そんな心身の状態は異界に住む見えないモノの波動と同調でき、そのざわめきを声という語りによって代弁することができた。
自己の輪郭がないがゆえに容易に転移されるシャーマニックな職能をもっていた。琵琶法師が途絶える今ではこの霊威を発する不思議な「環世界」は知り得ない事が多くある。
「環世界」はどうも視覚優位で物質主義の現代人からは姿を隠している世界のようだ。置かれた環境に埋め込まれた存在として自分を捉えてみる。マダニのように嗅覚や触覚をたより、琵琶法師のように視覚以外の感覚を研ぎ澄ますとその世界は少しずつ現れるのかもしれない。
●3冊の本:
『生物から見た世界』ユクスキュル/岩波文庫
『目で見るものと心で見るもの』谷川俊太郎他/草思社
『琵琶法師』兵藤裕己/岩波新書
金 宗 代 QUIM JONG DAE
編集的先達:夢野久作
最年少《典離》以来、幻のNARASIA3、近大DONDEN、多読ジム、KADOKAWAエディットタウンと数々のプロジェクトを牽引。先鋭的な編集センスをもつエディスト副編集長。
photo: yukari goto
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