【三冊筋プレス】アマチュア園芸家は書く(松井路代)

2022/02/03(木)09:10
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白洲正子もチャペックもウィリアム・モリスもメーテルリンクもみんなボタニストの編集的先達だ。<多読ジム>Season08・秋、三冊筋エッセイのテーマは「ボタニカルな三冊」。今季のライターチームはほぼほぼオール冊師の布陣をしく。日本フェチの福澤美穂子(スタジオ彡ふらここ)、軽井沢というトポスにゾッコンの中原洋子(スタジオNOTES)、編集かあさんでおなじみ松井路代(スタジオ茶々々)、ついに三冊筋デビューを果たした増岡麻子(スタジオこんれん)の四名の冊師たち。そこに、多読ジムSPコースとスタンダードコースを同時受講しながら読創文と三冊筋の両方を見事に書き切った熱読派の戸田由香と、代将・金宗代連なって、ボタニカル・リーディングに臨む。


 

 植物利用で生き延びたホモ・サピエンス

 地球温暖化の原因が人間の活動ということは「疑う余地がない」。2021年8月に各国の科学者でつくる国連のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)が報告書に記した言葉だ。
 20万年前に体毛を失ったホモ・サピエンスがどうやって生き延びたのかといえば、植物を利用する方法をつぎつぎに編み出してきたというのが大きいだろう。実や根茎の採集をして命をつないだ。火が燃えた後は、植物の育ちがいいということにもすぐに気がついた。焼き畑農業のはじまりだ。草や木を加工し、衣類、住居、移動の快適性をあげる技術もどんどん洗練されていった。
 人類は世界中に広がったが、異なる集団が接触した時や洪水などで一時的に資源が減ったときなどは争いが起きるようになった。納税制度や書字・記譜の仕組みを発展させた集団が優位にたった。「歴史」が織りなされるようになったのは、人間が光合成で直接太陽エネルギーを活用できないという負からの大逆転の賜物だった。
 しかし今、私たちは気候変動の影響を受けつつある。「環境倫理的にしてはいけないこと」が増えてきて、少しずつうんざりし始めている。
 
 私は植物に働かされている

 世界史と環境問題を植物の視点から見て語り直したのが、イギリス在住のアマチュア園芸家・緑ゆうこさんのエッセイ『植物になって人間をながめてみると』だ。人間が植物を利用していたのではなく、動けない植物が広がるために人間が働かされてきたのではないかという仮説を立ててみると、人を悩ますさまざまな環境問題、社会問題の構造が爽快なぐらいはっきり見えてくる。 
 バナナ、タバコ、ゴム、コーヒー、アブラヤシ。いずれも人間を見事なぐらい魅了して、海すらやすやすと移動して生息域を広げた。植物を育てようとすれば、世話する人が必要になる。白人はまず先住民を働かせ、彼らが人口を減らすとアフリカ大陸から黒人労働者を連れてきた。BLM運動だって、植物に端を発していたのだ。
 この本の嫌味のなさは、人間がいかに植物に魅了され、働いてしまうかということを著者自身が心底わかっているところにある。著者はイギリスに住んで長くなればなるほど、日本の植物への愛がつのるようになったという。帰国するたびにヤマモミジや銀杏の種を持ち帰り、どきどきしながら芽出しに奮闘してしまうと告白する。二酸化炭素を排出するミニ焼畑だってしてしまう。それも食べるための野菜栽培が目的ではない、ただただ自分好みの花や木を育て愛でるためである。

 タカネギキョウを誇る日

 愛でるための園芸といえば、チェコスロバキアの作家カレル・チャペックもそうだ。1920年代に連載された随筆『園芸家12カ月』には、人が植物を植えることによってどんな変化を起こすかがユーモアをまじえて書かれている。
 若い時、人は花を女の子に送るものだと思っている。園芸を始めると、それは鍬で耕され、肥料をもらい、移植され、剪定され、ウドンコ病から保護されているものだということを正確に知るようになる。
 雨はただ降ってるのではなく、ああ、庭に降っているんだと思うようになる。ものの見方がすっかり変わってしまう。「別」の目が生まれる。
 何より人を変えるのは、自分の庭を持つことだ。
 20世紀のはじめの中央ヨーロッパは、資本家と労働者の対立が激しくなった地域である。『園芸家12カ月』にもメーデー(労働の日)をテーマにした章が入っている。チャペックは、労働そのものを祝うべきではない、タカネギキョウが立派に育ったことを祝うべき日だという。
 「庭を持つ」ことは「私有財産を持つ」ということだから園芸は保守的になりやすい。種まきの土ひとつとっても、絶対的に正しいやり方はない。どんな革命も、発芽の時期を早めることはできない。それらが骨身にしみているからこそ、植物を植えている人間は利口になれる。とはいえ、そんな話よりもバラ色の花を咲かせるフロックスの話をしていたいチャペックなのだ。

 人間よりも賢明な存在

 チャペックは「ロボット」という言葉を世に送り出した人物として有名である。ロボットの概念は、作家たちの想像力を刺激し、さまざまな物語が生まれた。その一つがアイザック・アシモフが20世紀中盤に書いたSF『われはロボット』シリーズである。
 軸になるキャラクターはロボット心理学者、スーザン・キャルヴィン。21世紀初頭にUSロボット社に入社し、50年の間、ロボット技術の跳躍と人間社会の激変を目撃し、自らもその中で少なからぬ役割を果たすことになる。
 驚くことに人類はロボット技術が向上し社会に浸透するに伴ってロボットを嫌うようになる。地球外での活動のみが許され、太陽系の開拓が進む。鉱山開発ロボットなどの需要が伸び、USロボット社は大企業に発展する。
 2050年代、大戦を経た人類は経済政策における需給調整をマシンに任せるようになった。国境はなくなり、ついに、あらゆる紛争が避けられるようになった。
 マシンによる支配を厭い、人間の発言権を回復しようとする<人間同盟>の広がりに対して、老境に達したスーザンはいう。「わたしはロボットが好きです。人間よりもずっと好きです」。ロボット工学三原則によって、人を傷つけることもないし、圧政を敷くことも、汚職を行うことも、愚行に走ることも、偏見を抱くこともできないからだ。
 「われわれの技術文明は不幸や悲惨さを取りのぞいたけれど、それ以上の不幸や悲惨さを作りだしてもいる」というスーザンの考察にドキリとした。


 労働から離れる哲学を生み出すために


 『植物から人間を眺めていると』の最終章「考える」にこうあった。「この世界の管理に人間はもうなるべくよけいな口を出さず、植物におまかせしたらどうか」。
 ゲノム編集などのバイオ技術で植物をもっと人間のために働かせば環境問題やエネルギー問題が解決できると信じつづけることは、もしかしたら無理があるのかもしれない。
 植物を働かせようとして、逆に人間が働かされるはめになってきた例は世界史にはごまんとある。サトウキビは土地を荒廃させるだけでなく、そこから作られた砂糖が依存を引き起こし、まわりまわって医療費の増大に拍車をかけている。人間がどうして甘い飲みものを欲するかといえば、現代社会に増える「どうでもいい仕事」のストレスを解消するためだったりする。

 現実世界には、需要供給の完璧なシステムを計算してくれるマシンはない。人間自身がどうにかして、たえざるシステムの再構築に向かわなくてはならないのだ。
 それは世界観の更新を伴う、とてつもなく難しいチャレンジだろう。けれども学校を離れて庭で育っている長男を見ていると、悲観が少し薄れてくる。
 プランターでもいい。「自分の庭」で、物言わぬ知性の持ち主である植物とインタースコアを始めよう。植物は友達で、慈しみの対象で、方法を磨くための先生にもなる。人間の思考のクセを痛いほど知ることができて、地球の見方も社会の見方が新しくなっていくだろう。新しくなった見方を書くことで交換しよう。『植物から人間を眺めていると』は長男も読んで、いろいろわかったと言っていた。世界史を知る前に読んじゃったけどと笑っていた。


 

∈『園芸家12カ月』カレル・チャペック 小松太郎訳/中公文庫

∈『われはロボット』アイザック・アシモフ、小尾芙佐訳/早川書房

∈『植物になって人間をながめてみると』緑ゆうこ/紀伊國屋書店

⊕多読ジム Season08・秋⊕

∈選本テーマ:ボタニカルな三冊

∈スタジオ茶々々(松井路代冊師)


∈3冊の関係性(編集思考素):二点分岐型

『園芸家12カ月』
                  >『われはロボット』
『植物になって人間をながめてみると』

 


  • 松井 路代

    編集的先達:中島敦。2007年生の長男と独自のホームエデュケーション。オペラ好きの夫、小学生の娘と奈良在住の主婦。離では典離、物語講座では冠綴賞というイシスの二冠王。野望は子ども編集学校と小説家デビュー。