自ら編み上げた携帯巣の中で暮らすツマグロフトメイガの幼虫。時おり顔を覗かせてはコナラの葉を齧る。共に学び合う同志もなく、拠り所となる編み図もなく、己の排泄物のみを材料にして小さな虫の一生を紡いでいく。
多読ジムの名物冊師が”気になる読衆”にずばりインタビューする新企画「冊師が聞く」。
第三回のインタビュアーは中原洋子冊師(スタジオNOTE)。今季Season06の「三冊筋プレス」は締切寸前。次シーズンの多読ジムSeason07の申し込みも締切寸前。多読ジムとはどんな講座なのか?
◆小林奈緒さん(スタジオNOTES)◆
14&37守、14,37,42破、守破両方のお題改編の前後を学衆として体験されている大ベテラン。村上春樹ファン。教育関係の出版社にお勤め。小学生と2歳のお嬢さんと旦那様の4人家族。「会社員」、「母」、「妻」というポリロールをこなしながら、多読ジムをシーズン02から継続受講。超多忙の中、シーズン04では物語講座を受講しつつ、多読ジムの正規お題をコンプリートという偉業を達成。ナウル諸島に行きたい…と呟く多読ジマー。
第3回のインタビュアーは中原洋子冊師(スタジオNOTES)。多読ジムには、他講座のロールを抱えた人が多い。もちろん完走は大変だ。しかし、ここに「会社員」、「母」、「妻」というポリロールをこなしながら、多読ジムと物語講座を同時受講し、見事に完走した者がいる。なぜ、彼らはポリロールしながら駆け抜けられるのだろう? その秘密に迫ってみた。
◎多読ジム season07・夏◎ 締切間近!!
∈START
2021年7月12日(月)
∈MENU
<1>ブッククエスト(BQ):ノンフィクションの名著
<2>エディション読み :『文明の奥と底』
<3>三冊筋プレス :笑う3冊
∈URL
中原洋子
編集的先達:ルイ・アームストロング。リアルでの編集ワークショップや企業研修もその美声で軽やかにこなす軽井沢在住のジャズシンガー。渋谷のビストロで週一で占星術師をやっていたという経歴をもつ。次なる野望は『声に出して歌いたい日本文学』のジャズ歌い。
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2025年の夏は、関東では40℃越えの日々が続いた。 軽井沢も33℃という暑さを記録し、冷房設備のない家では購入計画が練られた。 この暑さの中、浅羽米はどのように育っていくのだろうか。 &nb […]
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コメント
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2025-11-18
自ら編み上げた携帯巣の中で暮らすツマグロフトメイガの幼虫。時おり顔を覗かせてはコナラの葉を齧る。共に学び合う同志もなく、拠り所となる編み図もなく、己の排泄物のみを材料にして小さな虫の一生を紡いでいく。
2025-11-13
夜行列車に乗り込んだ一人のハードボイルド風の男。この男は、今しがた買い込んだ400円の幕の内弁当をどのような順序で食べるべきかで悩んでいる。失敗は許されない!これは持てる知力の全てをかけた総力戦なのだ!!
泉昌之のデビュー短篇「夜行」(初出1981年「ガロ」)は、ふだん私たちが経験している些末なこだわりを拡大して見せて笑いを取った。のちにこれが「グルメマンガ」の一変種である「食通マンガ」という巨大ジャンルを形成することになるとは誰も知らない。
(※大ヒットした「孤独のグルメ」の原作者は「泉昌之」コンビの一人、久住昌之)
2025-11-11
木々が色づきを増すこの季節、日当たりがよくて展望の利く場所で、いつまでも日光浴するバッタをたまに見かける。日々の生き残り競争からしばし解放された彼らのことをこれからは「楽康バッタ」と呼ぶことにしよう。