この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

ようやく「道元の時代」までたどりついた。座衆は心中そう思っているに違いない。
毎月最終日曜のイシスの恒例となっている輪読座が開催中である。昨年10月から始まった「道元を読む」は、来月に最終回を控える第五輪にして、ようやくバジラ高橋の図象に道元のクロニクルが登場した。講座の開始から約5ヶ月が経過してのタイミングである。そのクロニクルも、保元の乱(1156年)、平治の乱(1160年)源平の乱(1180〜1189年)と、道元が誕生する1200年以前の戦乱の連打から記述をはじまっている。
「ここまでやらないと道元はわからない」と、バジラ高橋はその理由を明かす。
道元にとっての仏は、釈迦からはじまり、道元の師匠までずっとつづいてきている。仏のありようは時代によって変動するが、仏たちは常に前の仏を乗り越えようとしてきた。道元も例に漏れずに古仏に学び、古仏を超えるべく編集をしつづけてきた。(バジラ高橋)
この視点で振り返ると、禅の起源のブッダ(第一回)から中国禅始祖の西天二十八祖達磨(第二回)を経て、曹洞宗祖の洞山良价(第三回)、五代十国時代の禅宗五家(第四回)、本日の道元(第五回)へと、座衆が禅をめぐるクロニクルを多軸多層につかめるようにバジラが図象を組み立ててきたことがわかる。
中国と日本では文化の違いがあるように、同じ日本でも穏やかな時代と戦乱の世では生き方が同じではないように、道元の生きた戦乱の日本と私たちの生きる現在とでは状況は大きく異なっている。だからこそ、バジラ自身も道元の編集に肖りながら「道元を読む」をつづけているのである。
そこまで尽くすバジラが何より楽しみにしているのは、道元のエディティングフィルターを踏まえて「今を編集しつづける座衆の姿」なのだろう。
座衆の力作の図象に思わず笑顔がこぼれるバジラ高橋。毎回設けられているワークタイムでは、座集はバジラの図象解説や輪読した『正法眼蔵』の内容を踏まえ、わずか20分足らずで一枚の図へ高速編集する。
バジラ「みんなのほうが僕より図象がうまくなってきていて困るなぁ」
吉村林頭「でも、仏を超えるのが禅ですから」
バジラ「ああそうか。あはは」
『情報の歴史21』より、1150年(左)と1200年(右)のページの一部。この頃日本でも争いと混乱がつづいていたが、反十字軍のエルサレム占領(1187年)やチンギス・ハンの大遠征開始(1208年〜)など、大きな変革が起こっていた。『情歴21』の時代タイトルも、「支配と交易(1000〜1199年)」から「内省か観察か(1200〜1299年)」へうつり、道元の誕生した1200年前後で大きなパラダイムシフトが起こっている。
(撮影:阿久津健)
上杉公志
編集的先達:パウル・ヒンデミット。前衛音楽の作編曲家で、感門のBGMも手がける。誠実が服をきたような人柄でMr.Honestyと呼ばれる。イシスを代表する細マッチョでトライアスロン出場を目指す。エディスト編集部メンバー。
コメント
1~3件/3件
2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。