【太田出版×多読ジム】二次元志向型女子へ(佐藤裕子)

2022/08/11(木)10:00
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多読ジム出版社コラボ企画第一弾は太田出版! お題本は「それチン」こと、阿部洋一のマンガ『それはただの先輩のチンコ』! エディストチャレンジのエントリーメンバーは、石黒好美、植村真也、大沼友紀、佐藤裕子、鹿間朋子、高宮光江、畑本浩伸、原田淳子、細田陽子、米川青馬の総勢10名。「それチン」をキーブックに、マンガ・新書・文庫の三冊の本をつないでエッセイを書く「DONDEN読み」に挑戦しました。


 

サクマ君の第一ボタン

 中学の卒業式で、憧れのサクマ君に「第二ボタンください」と言った。サクマ君は第二ボタンではなく第一ボタンをくれたが、それでもうれしかった。ときどき眺めては淡い恋心を募らせた15歳の春だった。


都合のいいオトコ

 『それはただの先輩のチンコ』は、オトコの大事なモノをめぐるオンナたちが、本当に求めているモノは何かを探るオムニバスだ。
 本体から切り取った「それ」を愛でる女子たち。気軽に手に入る好きな人の分身として、消耗品的な愛玩物である「それ」にぬくもりを求める。そこには愛しい人の一部につながりを代理させ、心の隙間を埋めようとする女性の孤独が見える。オトコに「それ」があるから浮気をするのだから、いっそのこと切ってしまおうというオンナの独占欲も隠さない。では、一部を切り取って手にしたら、オンナのものになるような、オトコはそんなに都合のいい相手なのか。


 

メスとオスの法則

 『米原万里の「愛の法則」』では、生殖という人類が存続していくための営みと、男と女が惹かれ合うという感情とは、根底でつながっているという。一つの個体の中にオスとメスの両機能が具わっていてもいいわけで、そうすれば、ふられて、傷つくこともない。
 しかし、オスとメスの両性が参加する次の世代づくり、生殖だと、遺伝子がミックスされて、まったく新しい形質の子どもが生まれる。それゆえ人類の存続のためには男は必要ないが、人類が進化していくために男が必要なのである。
 進化とは、環境の変化に対応していくことができること。そのためにあえて異質なもの同士が交わることなのだ。一部を切り取り、本体を置き去りにすることで適うものではなく、全存在をかけての交流なのだ。
 ロシア語通訳者である米原は「理解と誤解のあいだ」で、人間というのは他者とのコミュニケーションを求めてやまない動物なのだという。受け手が「ああ、この人はこういうことが言いたいのだ」とわかるところまで行って、コミュニケーションは成り立つのだ。


 

コトバとうるおい

 『夫婦茶碗』で町田康は、夫と妻のすれ違い、妻への狂おしいまでの愛を、果てしない妄想の暴走で語る。働かず、金を稼げない負い目から、愛する妻と口を利くこともできぬと思い込んでいる。二人のうるおいは急速に減少し、人間的な情趣どころか、本能むき出しの動物じみた罵声が飛び交い、乾ききった家庭となり果て、ついに妻は出て行ってしまった。
 「わたし」の一方的なボタンのかけ違いによって、離散したかに見える。しかし、ボタンがパチンとはまっていた時には、求めてやまないうるおいある言葉のやりとりがあった。妻は家を出て行ったのではなかった。
 「わたし」は自らが破壊した家財道具を片づけ、夫婦茶碗を用意し、二つながら茶柱を立てようとする。その滑稽なまでの茶柱への執着は、妻と紡ぎたい潤いへの渇望である。
 私も夫との対話で「ああ、この人はこういうことが言いたいのだ」という意味を理解せず、そっぽを向くことがあった。それどころか、夫に「ごめん」と言わせるための冷酷な言葉を浴びせることもあった。そんなときには、家庭の茶碗は割れ、壁に穴が空いた。


 

わが家のコワレモノ

 15歳の私は、サクマ君のボタンだけでは飽き足らずたびたび会いに行った。しかし高校をすぐに辞めたサクマ君を責めてしまい、それきり会わなくなった。ボタンはどこかへ行ってしまった。
 今、目の前にいるのはサクマ君ではなく、壁に穴を空ける夫とその穴を塞ぐ15歳の娘である。つい先日空いた穴の上に、娘がニコちゃんのイラストを描いた画用紙を貼ってくれた。私は夫の行動を責めずに我慢した。いや堪えていたのは夫のほうだろう。そのあいだにいる娘はゲームに興じ「三次元の人を好きになってもいいことないから」と語る。その言いっぷりは「それチン」女子のようである。デジタルの中にいる本体のないモノに代理させる想いは、かつて私がボタンをほしがったときの未詳の恋のようでもある。
 二次元志向型の娘も、いずれ三次元で出会ったリアルな身体を持つ人と、その人が発する言葉と想いに翻弄されるだろう。そのときはこう伝えたい。異質な相手だからこそ、あなたに必要なのだと。
 茶柱も第二ボタンもそれチンも、相手と解り合うための仮初めの身代わりだった。

 

 

Info


⊕アイキャッチ画像⊕
∈『それはただの先輩のチンコ』阿部洋一/太田出版
∈『米原万里の「愛の法則」』米原万里/集英社新書
∈『夫婦茶碗』町田康/新潮社文庫

 

⊕ 多読ジムSeason10・春 

∈選本テーマ:版元コラボエディストチャレンジ

∈スタジオよーぜふ(浅羽登志也冊師)

 

  • 佐藤裕子

    編集的先達:司馬遼太郎。剣道では幕末の千葉さな子に憧れ、箏曲は天璋院篤姫と同じ流派で名取り。方法日本と志士の魂をもつ立正佼成会の歩く核弾頭として、師範代時代は大政奉還指南や黒船来航指南、五箇条の御誓文指南を繰り出し、学匠を驚愕させる。

コメント

1~3件/3件

若林牧子

2025-07-02

 連想をひろげて、こちらのキャビアはどうだろう?その名も『フィンガーライム』という柑橘。別名『キャ
ビアライム』ともいう。詰まっているのは見立てだけじゃない。キャビアのようなさじょう(果肉のつぶつぶ)もだ。外皮を指でぐっと押すと、にょろにょろと面白いように出てくる。
山椒と見紛うほどの芳香に驚く。スパークリングに浮かべると、まるで宇宙に散った綺羅星のよう。

川邊透

2025-07-01

発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
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