マンガのスコア LEGEND25 林静一 初恋の味と四畳半

2021/04/06(火)10:28
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 今回取り上げる作家は林静一です。

 ところで、下の私のプロフィール欄では「近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した」などと過分なご紹介をいただいておりますが、実はワタクシ、近大DONDENの時は、単なる実働部隊の一人でして、50人のリスト選定には関わっていないのですね。

 それにしても、このLegend50のリスト、つくづくよくできているなあと感心します。戦後マンガ史を総覧した上で、非常にバランスのとれた選別がされていますね。後で聞いたところによると、リスト選定に関わったのは、吉村堅樹、金宗代、西藤太郎を中心としたプロジェクトリーダーたちだったそうです。

 しかし、中には「ん?なんでこんな人が?」という個性的なチョイスもチラホラ見受けられます。

 もちろん、名うての選書メンバーの選んだリスト。何の理由もなく選ばれるはずがありません。その理由を考えてみるのも面白いところです。

 

■またしても「ガロ」

 

 冒頭の絵に見覚えのある人も多いでしょう。そう、ロッテのロングセラー商品「小梅」のキャラクターをデザインしたのが、今回ご紹介する林静一なのです。

 今では林静一というとイラストレーターというイメージが強くて、マンガ家の一人として取り上げられることに違和感を覚える方もおられるかもしれません。たしかにマンガの作品数は決して多いとは言えず、この50人の中では明らかに異質な一人です。

 しかし、林静一は、マンガ史的に特異なポジションを占める人物として、やはりはずせない一人なのです。

 

 この人を語る上で欠かせないのが「ガロ」という雑誌です。

またしても「ガロ」!

 当欄でも、しばしば名前が出てくるので、なんとなく覚えてきましたか?オルタナティブ系の牙城として長らく君臨してきた雑誌なので、マンガ史の中では、否が応でもしばしば顔を出すことになります。

 今回は、その初期「ガロ」における最大のヒット作の一つ『赤色エレジー」(小学館)から模写してみようと思います。

林静一「赤色エレジー」模写

(出典:林静一『赤色エレジー』小学館)

 

『赤色エレジー』は、コマ割りが非常にオーソドックスで、変形ゴマはまず出てきません。そして比較的【コマを大きく】使っていますね。このページのように、一ページを四段に割り、カメラアングルを固定して展開していく手法がしばしば使われ、面白い効果を上げています。

 男を【シルエット】にする手法は初期作「赤とんぼ」でも使われていましたが、ここでも効果的に使われています。

 ヒロインの幸子さんは、ずっと【横を向いて】いますね。正面顔を絶対に描かないと決めているわけでもないようですが、全編を通しても非常に少ないです。眼も常に【伏し目がち】で、瞳が描かれることはまずありません。

 林静一は初期の頃から【デザイン性】をかなり重視した描き方をしていて、のちに仕事の重心をイラストの方に移していったのも頷ける気がします。こうしたデザイン的な手法は、後続の「ガロ」系作家のみならず、80年前後から台頭してくるニューウェーブ系にも多大な影響を与えました。

 

■アニメからガロへ

 

 1945年生まれ(永井豪(LEGEND20)と同い年です)の林静一は、もともと東映動画のアニメーターでした。時代はテレビアニメ草創期で、かなり忙しく働いていたようです。そんな中、林は、東映動画の若手スタッフたちの中でも特にマンガ好きの人たちに声をかけて、同人誌を作ったりしていたと言います。その中には、あの宮崎駿もいました。宮崎駿が描いた20ページほどのマンガもあったそうですが、どんな作品だったんでしょうね。

 

 早くから「ガロ」を愛読していた林は、しだいにマンガ制作の方に関心を移していき、やがて作品を投稿するようになります。

 林が「ガロ」に初めて投稿した作品は、どういうものだったのか分かっていません。分かっているのは、長井勝一編集長の「絵が雑だ」という一言で落とされたということです。

 これはちょっと驚くべき話です。のちの緻密で端正な画風を知っている私たちからすると、林静一が雑な絵を描くなんて、ちょっと想像しにくいですね。当時はアニメーターとして、大量の原画を描き飛ばしていたので、多少雑な手つきになっていたのかもしれません。

 三度目の投稿作で、林はようやくデビューします。それが「ガロ」1967年11月号に掲載された「アグマと息子と食えない魂」でした。

 

■第一次「ガロ」ルネッサンス

 

「ガロ」については、すでに何度か取り上げていますが、もう一度簡単におさらいしておきましょう。

 1964年に創刊された「月刊漫画ガロ」は、白土三平の『カムイ伝』(小学館)を主軸に、水木しげる、つげ義春、楠勝平など、貸本出身の作家たちが脇を固める形でスタートしました。

 やがて、つりたくにこ(65年9月号デビュー)、勝又進(66年6月号デビュー)、池上遼一(66年9月号より)、佐々木マキ(66年11月号デビュー)など、1940年代生まれの若手が台頭してくることになります。少し遅れて滝田ゆうも参入してきました(67年4月号より)。

 林静一が67年11月号でデビューしたときには、上記の作家はすでに勢揃いしており、はやくも第一次「ガロ」ルネッサンスが胎動し始めていたのです。

 

 多くの若者たちを「ガロ」に吸引する推進力になったのは「読者サロン」の存在でした。掲載作に対する賞賛と反発、批判と反批判が飛びかわされ、「読者サロン」は毎号、熱い激論の場となっていたそうです。読者の大多数は十代後半から二十代そこそこの若者たち、そして「ガロ」のスター作家である楠、勝又、池上、つりた、佐々木、林たちもまた、読者とさほど変わらない二十歳そこそこの若者でした。同じ時代の空気を共有する若者たちの共同体がそこにあったのです。

 林のデビュー作「アグマと息子と食えない魂」が載った翌々月の68年1月号の「読者サロン」には、この作品を讃える二千数百字に及ぶ激アツの大論文が一挙掲載されます。投稿者は東大の哲学科を卒業したばかりの若者だったそうですが、19世紀ロシアのテロリストに言及しつつ「地獄外の光源と作家の直接的なイメージと地獄内の論理の三つの面から表現世界の視覚化が試みられ、それはアクションとイメージのからみ合いの中で特異な描画を形づくっていく」といった調子の、むやみに晦渋で熱のこもった大論文は、たちまち話題となって侃侃諤諤の大激論の呼び水となりました。

 そうした読者の熱いうねりに呼応するかのように、林もまた「吾が母は」「巨大な魚」「赤とんぼ」「山姥子守唄」など挑戦的な作品を次々にぶつけていくようになります。

 林と人気を二分していたのが、彼より少し早く「ガロ」デビューを果たしていた佐々木マキでした。

 全く独自のスタイルで前衛的な作品を発表し続けていた佐々木にとっても、林の登場はそうとう刺激的で、否が応でも意識せざるを得なかったと、のちに回想しています。

(佐々木マキ『うみべのまち』太田出版)

 

「ガロ」68年6月増刊号につげ義春の「ねじ式」が発表され、世間の耳目を集め始めていた同じ頃、佐々木マキ「天国で見る夢」、林静一「赤とんぼ」などの問題作はすでに登場済みでした。

 

■同棲と四畳半の時代

 

 こうした意欲作を精力的に発表し続けていた林静一は、1970年にいたり、いよいよ本格的な長編連載に着手するようになります。それがあの『赤色エレジー』<1>でした。

 この作品は、それまでの、どこか生硬で難解な作風から一転して、青春の抒情と情念をストレートに打ち出したものとなります。マンガの中で初めて同棲というテーマを描き<2>、のちの上村一夫のヒット作『同棲時代』(復刊ドットコム)にも大きな影響を与えました。

「同棲」という言葉が、まだどこか背徳的で隠微な響きを持っていた時代、若い二人の同棲生活を描いた『赤色エレジー』は、多くの読者を魅了することになります。この作品に惚れ込んだあがた森魚の作るフォークソング「赤色エレジー」が大ヒットしたこともきっかけとなって、作品はさらに広く知られることになりました。あがた森魚のこの曲は、彼自身の代表曲となるとともに、吉田卓郎や、かぐや姫など、その後隆盛を誇る四畳半フォークの先駆けともなります。世はまさに「四畳半」の時代に突入していくのです(前回ご紹介した松本零士が最初の四畳半ものである『元祖大四畳半大物語』を描きはじめたのも同じ1970年でした)。

 70年頃を境に学生運動は退潮期を迎え、若者たちの中にも厭世的なムードが漂いはじめた頃でもありました。山本直樹『レッド』に描かれていたように、一部の先鋭的な学生たちは、相変わらず激しい内ゲバ闘争を繰り返していましたが、大部分の若者は、社会変革の夢よりも、四畳半で膝を抱えて哀愁に浸る方がしっくりくるようになっていたのです。

 

■マンガからの離脱

 

 70年代に入る頃から、「ガロ」はさらに世代交代を起こし始めます。新たに登場してきた安部慎一、鈴木翁二、古川益三などは「ガロ三羽烏」あるいは名前の末尾を取って「一二三トリオ」とも呼ばれ、多くの読者に支持されますが、幻想性と私小説性がないまぜになった彼等の作風は、林たち先行世代のスタイルを、さらに継承発展するものでした。

 一方、林静一の方は、『赤色エレジー』で、ある程度出しきってしまったのか、次第に「ガロ」への登場回数が少なくなっていきます。竹久夢二を思わせる儚く抒情的な画風が注目を浴び始め、画集やイラスト制作の依頼が多くなっていきました。またアニメの仕事も並行して続けるなど、次第にマンガの世界から離れていきます。

 同様に、林と人気を二分していた一方の雄である佐々木マキの方も、やがてイラストレーターとして有名になっていったのは、みなさんご存じのとおりです。

 この両者の前衛性を「マンガ」というメディアとして受け止める受け皿は、60年代末から数年の一時期にしか存在していなかったというのも残念ながら事実なのです。

(村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』上・下 講談社)

今では村上春樹本の表紙の人という

イメージが定着してしまった佐々木マキ

 

■小梅ちゃんの大ヒット

 

 林静一の「赤色エレジー」につづく次のステージ、そして今なお林静一の中核的イメージを形成することになる大きなステップとなったのが、ご存じロッテの「小梅ちゃん」です。

 ロッテのキャンディ「小梅」は、1974年の商品発売と同時に、林静一と、「白組」創設者としても知られるアニメ作家・島村達雄がタッグを組み、高品質のCMシリーズを作っていくことになります。特に1975年に作られた第三作「雪国」編はベネチア国際広告映画祭で受賞するなど話題になりました。

 画面中に大きな明朝体で「す」と書かれた吹き出しが出てくる演出はディレクター富田良彦のアイディアとも言われていますが、なんとも「ガロ」っぽいですよね。佐々木マキをヒントにしたのかもしれません。

(林静一『初恋ぬりえ 小梅ちゃんの世界』小学館)

 

 その後も林静一は時代の要請にこたえるように大正ロマンあふれるイラストを描き継いでいくのですが、杉井ギサブローによる87年のアニメ「源氏物語」にキャラクター原案として参画したことを機に、本格的に日本画の方に吸い寄せられるようになっていきます。

 92~93年の「ビッグゴールド」連載分をもとに再構成された大判サイズのフルカラーマンガ『夢枕』(PARCO出版)が2007年に刊行されます。

 この作品は、周文の山水や、弘仁、周臣などの文人画を借景にしながら、主人公の青年が、中国の山水画、雪谷派、大雅、蕪村、北斎、清親、さらには黒田清輝の裸体画論争、セザンヌやピカソ、クールベ、フォービズム、社会主義リアリズムなど、縦横無尽に連想を展開していく、林静一版「山水思想」の集大成です。校長の『山水思想』(筑摩書房)の愛読者なら是非一度は手に取って欲しい一品ですね。

(林静一『夢枕』PARCO出版)

 

 それと並行して、林静一は、自らの脚本・演出・作画による「画ニメ 赤色エレジー」も制作しています。

 グールドがゴルドベルク変奏曲を、もう一度弾き直したようなものでしょうか。かつてのマンガ版と比べると、タッチもかなり洗練され、美しくリニューアルされていますが、どちらも捨てがたいですね。是非、両方とも手に取って見比べていただきたいものです。

 

(林静一『赤色エレジー』朝日新聞出版/「画ニメ 赤色エレジー」幻冬舎)

1970年の幸子さんと2007年の幸子さん

 

◆◇◆林静一のhoriスコア◆◇◆

 

【コマを大きく】68hori

コマだけでなく、コマとコマのあいだの間白もかなり太くて均等です。

 

【シルエット】77hori

「つげ義春②」の回で「ガロ」系に特徴的なシルエットの使い方を紹介しましたが、林静一は特にシルエットや背景の闇を効果的に使う人でした。

 

【横を向いて】86hori

「プロフィール」とは、まさに横顔のことですが、林静一は、女性のプロフィールをひたすら追究しつづけた人でした。

 

【伏し目がち】85hori

この頃は、まだまつ毛が多いですが、のちになると細い線だけになっていきます。

 

【デザイン性】92hori

「古くは林静一『赤色エレジー』(71年)のころからはじまり、『マカロニほうれん荘』(77年)の鴨川つばめ、『ストップ!!ひばりくん』(82年)の江口寿史、『アイドルを探せ』(94年)の吉田まゆみなどが、ストーリーとは直接関係ないようなデザイン的な扉絵、デザイン的な構図、カット、などをマンガに取り入れるようになった。80年代頃から、マンガの手法として流行しはじめたのである。」(『マンガ夜話vol.4』キネマ旬報社)

との指摘もあります。 

 

 

  • ◎●ホリエの蛇足●◎●

 

<1>林静一は画集や絵本などと比べるとマンガ単行本の数は必ずしも多くないのですが、『赤色エレジー』だけは、さすがに何度も刊行されていますね。ネットなどでざっと調べた限りでは以下のものがあるようです。

 

①『赤色エレジー』青林堂・現代漫画家自選シリーズ1971年

②『赤色エレジー』小学館文庫1976年

③『赤色エレジー』主婦の友社ロマンコミック 1978年

④『赤色エレジー』小学館叢書 1992年

⑤『赤色エレジー』小学館文庫 2000年

⑥『赤色エレジー』朝日新聞出版・シリーズ昭和の名作マンガ2008年

 

初期の①~③あたりは現物を確認していませんが、ページ数からしておそらく表題作のみでしょう。最近の④~⑥は表題作に短編が5、6本加わる形になっています。小学館から出ている④、⑤(内容同じ)は、デビュー作を含む初期作品が読めるのでオススメですが、表題作以外の収録作があまりかぶっていない⑥も併せて手に入れるのも悪くないでしょう。

 

<2>マンガの中で描かれる同棲としては、つげ義春「チーコ」(1966)のような先駆作もあります。

 

アイキャッチ画像:林静一『小梅ちゃん 初恋すとおりぃ』近代出版社


  • 堀江純一

    編集的先達:永井均。十離で典離を受賞。近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した。かつてマンガ家を目指していたこともある経歴の持主。画力を活かした輪読座の図象では周囲を瞠目させている。