マンガのスコア番外編 駕籠真太郎 驚愕の地平線

2021/05/07(金)10:36 img
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 毎度お騒がせしております。いつも突然やってくる番外編です(私にとっても「いつも突然」なんですが…)。

今回ご紹介するのは、なんと、あの駕籠真太郎先生。

いくらなんでもムチャブリすぎるでしょう!

「ですよね~。でも是非お願いします!」という副編集長・金宗代代将のご依頼に、またしても押し切られてしまいました。

 

 みなさもんもご存じの通り、金代将は、現在、駕籠真太郎先生とタッグを組んでWEB連載「GOZ」を進行中です。

これまでの内容については、第一章と第二章がWEBサイトでまとめて閲覧可能。また第三章が、つい先日発売された「アックス」最新号に掲載されました。

「アックス」発売に合わせて駕籠先生の最新作『都市とインフラストラクチャー』(青林工藝舎)も刊行されています。

 

(「アックスvol.140」駕籠真太郎『都市とインフラストラクチャー』青林工藝舎)

 

 さて、この「GOZ」という作品、関東大震災を真正面から取り上げた意欲作なのですが、そこへ駕籠先生の得意とするSF的大仕掛けがからんできます。タイトルの由来ともなった牛頭天王<1>については、金代将による渾身のレポートがあるのでそちらをどうぞ。

 連載はいまだ継続中で、物語がどこへ向かおうとしているのか現段階では未知数なのですが、駕籠先生の多彩な作品歴の中でも新機軸になる予感がびんびん伝わってきます。こういった作品をリアルタイムに伴走しながら味読できる機会なんて、めったにありません。気になる皆さんは是非チェックしてみてください。

 

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 さて、駕籠真太郎といえば、ご存じな方はご存じなとおり、とにかく攻めている作風の人なので、何を模写すればいいのか困るのですが、ぎりぎりセーフかもしれない、いやアウト?なページを模写してみようと思います。

 

駕籠真太郎「中の人」模写

(出典:駕籠真太郎『異物混入』青林工藝舎)

 

 うひゃ~。

 内臓ってグロテスクで気持ち悪いですが、緻密に丁寧に描かれた内臓は悪くないですね。個人的には、とり・みきの内臓とか好きなんですが、駕籠真太郎先生の内臓も好みのタイプです(どんなタイプやねん)。

 ふだんはGペンと丸ペンを併用しているそうですが、この絵に関してはミリペンを使っているかもしれません。とにかく【明快ですっきり】した線ですね。

 ご本人によると、絵的には士郎正宗の影響が大きいそうですが、たしかに初期の頃はタッチがしっかりついていて、キャラの顔も90年代風のクセのあるものでした。それが時代が下るにつれ、【つけペン】のカリカリしたタッチは残しつつ、入り抜きが徐々に取れてきたように思います。なにより【キャラの顔】がずいぶん柔らかくなりました。安定した画力は初期の頃から一貫していますが、アングラっぽいアクが抜けた分、その筋でない人が間違えて読んでしまう危険性が高まったかも(笑)。

 

 

(駕籠真太郎『万事快調』ビー・エス・ビー、『女の子の頭の中はお菓子がいっぱい詰まっています』 書苑新社)

初期の著作と最近の著作。たしかに手に取りやすくなってきた?

 

■駕籠真太郎のオススメは…

 

 駕籠真太郎ってどんな人?と思われた方は、公式HP「印度で乱数」をちらっと覗いてみてください。エログロナンセンスの極みのような作風で、ちょっと受けつけない、という人もいるでしょうが、上に書いたように、絵的にはポップでキャッチーなところもありますね。とにかく緻密で丁寧な描き込みは、内容のグロさを脇に置けば、心地よいとさえ言えます。

 しかし「このぐらいの絵なら大丈夫そう」と、うっかり足を踏み入れると、深々とナイフを突き立てられることになるのでご注意を。エログロの中身は、かなり高濃度です。

――と閲覧注意を喚起した上で、「それでも読みたい」という皆さんには、もう何も言いますまい。では何を読めばいいかといいますと、金宗代代将が編集に携わった美少女セレクション『恋の超時空砲』(久保書店)、SFセレクション『宇宙かける純情』(久保書店)、スポーツセレクション『左側に気をつけろ』(あまとりあ社)の<セレクション三部作>などどうでしょう。単行本収録済み作品を中心にした再編集版で、ベスト盤的要素もありオススメです。

 

(駕籠真太郎『恋の超時空砲』『宇宙かける純情』久保書店『左側に気をつけろ』あまとりあ社)

 

■駕籠真太郎の軌跡

 

 1969年生まれの駕籠真太郎は、88年、マンガ情報誌「COMIC BOX」でデビュー(デビュー作は『宇宙かける純情』で読めます)。その後10年ぐらいは地下アイドルみたいな感じだったのですが、90年代終わり頃、「マンガ・エロティクス」登壇と、『輝け!大東亜共栄圏』(太田出版)刊行を機に、注目を集め始めます。ご本人の中では、昔から一貫して同じことをしていたのかもしれませんが、世間の扱いの方が変わったというか、「サブカル」「アート」という立ち位置が、いわば外から降って湧いてきたのですね。

 そこからの刊行ラッシュはすごいものがあります。この20年ばかりの間に40冊以上の著書があるのですが、短編型の作家としては異常な多さです。

 こんなにアクセル全開で走り続けていて、エンジンが焼き切れないのか心配になってしまいますが、「奇想」の一点だけに全体重をかけて勝負し続けている駕籠真太郎のスタンスは、あっぱれという他ありません。テーマ主義的な逃げ道がない分、ネタそのものが面白くなければお話にならないわけですから、常に高いハードルが課されているわけです。駕籠真太郎は、こういった真剣勝負のストロングスタイルを、30年以上にわたって維持し続けてきました。

 とりわけ驚かされたのは2009年と2010年に刊行されたミステリー長編『フラクション』『アナモルフォシスの冥獣』(コアマガジン)の二作です。叙述トリックを駆使した驚愕の大仕掛けには誰しも脱帽することでしょう。絵のあるマンガで叙述トリックなど可能なのかと思いきや、まさにマンガであるからこそできる驚異のアクロバットでした。

 

(駕籠真太郎『フラクション』『アナモルフォシスの冥獣』コアマガジン)

 

■奇想の系譜

 

 ところで駕籠真太郎は、自らを「奇想漫画家」と名乗っています。

 既成のどのジャンルにも属さない自身の作風を一言で表す適当な名称を求めて、「奇想」という言葉にたどり着いたとか。まさに駕籠作品を表すぴったりのフレーズです。

「奇想」といえば、美術史家・辻惟雄の出世作『奇想の系譜』(1970年)を思い浮かべずにはいられません。この本の中で、辻惟雄は、若冲、山雪、蕭白、蘆雪、国芳、又兵衛といった、その当時、ほとんど顧みられることのなかった異端の絵師たちを取り上げました。

「奇矯で幻想的なイメージの表出を特色とする画家」の系譜を、辻は「奇想」と名づけ、血生臭い残虐表現も含む「陰」の奇想から、観客へのエンタテインメントとして演出された奇抜な趣向を含む「陽」の奇想まで幅広く論じ上げています。

「わび・さびの日本」とは一味違う、日本絵画の隠された<主流>にスポットを当てた本書は、大きな反響を呼び、以来半世紀にわたって読み継がれてきた古典となっています<2>。

 

(辻惟雄『奇想の系譜』小学館)

 

 さて、辻惟雄は、奇想の系譜こそが、近世絵画史における隠れた<主流>だったのだ、とブチ上げたわけですが、この系譜は確実に、現代マンガの中にも脈々と息づいているように思われます。それはマンガという表現ジャンルが本来的に持っている特性なのではないでしょうか。

 辻惟雄のいう「陰」の奇想の系譜は、幕末の国芳、芳年などの無残絵にはじまり、「ガロ」系の花輪和一、丸尾末広などに受け継がれ、それが次世代の駕籠真太郎にまで通じているように思います。また、諧謔や機知に向かう「陽」の奇想も、「笑い」という要素として、駕籠真太郎の中の大きな成分を占めています。

 

 とにかく駕籠真太郎の、どの一冊でも手に取ってみれば分かるとおり、その作品は全編、奇想と驚愕に満ち満ちています。そしてそれは、日常のすぐ隣に拡がっている。最近、駕籠先生が精力的に取り組んでいる「特殊似顔絵」に見られるごとく、皮膚を一枚ベロンとはがすだけで、たちまちそこにはグロテスクな世界が展開するのです。

金宗代代将の特殊似顔絵

 

 駕籠真太郎の傑作短編集のタイトル『異物混入』(青林工藝舎)は、まさに氏の全作品の特質を象徴しています。私たちが、当たり前と思っていた日常に、ほんのわずかな亀裂が入り、異物が侵入してくることによって、たちまち虚構と現実のあわいが融解しはじめ、確かなものと思っていた土台がぐらぐらと揺るぎ始めるのです。

 駕籠真太郎の作品は、読むと必ず精神汚染を受ける劇薬です。日野日出志風に言えば「それはキミのことだ!」といきなり指を突きつけられ、思わず本を閉じて後ろを振り返りたくなってしまうのです。

 

(駕籠真太郎『異物混入』青林工藝舎)

 『情報の歴史21』にも掲載された名著

 

■藤子・F・不二雄というルーツ

 

 いくつかのインタビューによると、駕籠真太郎は、自身が影響を受けた作家の一人に、藤子・F・不二雄の名前を挙げています。

 これは一見意外なように見えて、どこかストンと腑に落ちるところがあります。

 藤子・F・不二雄のSF作品には、藤子A氏の一連のブラックユーモア作品とは一味違う、鋭利な刃物で切りつけるような、ひんやりとした味わいがあるのですね。人間や社会にまつわる悲喜こもごもの事ども、いや、この宇宙の存在そのものを、遠く突き放して眺めているような冷めた視線が感じられるのです。

 駕籠先生がマイベストとして挙げている「間引き」をはじめとして、「ミノタウロスの皿」「気楽に殺ろうよ」「流血鬼」など藤子・F作品には、私たちが日常的に常識としている価値観を、さらりとひっくり返すような作品が、しばしば登場します。「絶滅の島」でえんえんと展開される描写のむごたらしさ、そしてそれが最後になって、まさかのギャグで落とされるという驚愕の結末は、喪黒福造も裸足で逃げ出す恐ろしさです。普段は国民的児童マンガを量産しつつ、いつでもリミッターを外して裏コードビーストを発動できる人、それが藤子・F・不二雄でした。

 駕籠真太郎という作家のイメージから、なんとなく想像されるアングラ系、オルタナティブ系の作家ではなく、藤子・F・不二雄の名前が、真っ先に出てくるあたり、かえって底知れぬヤバさが感じられます。F先生もそうでしたが、駕籠真太郎先生も、きっと見た目は、チョー普通の人なんだろうと想像します。

 

■聖なるもの

 

 こうした駕籠作品の透徹した視線の先には、なにか聖性のようなものが感じられると言えばうがちすぎでしょうか。

 とりわけ『万事快調』(青林工藝舎)、『輝け!大東亜共栄圏』(太田出版)などの初期作品には、まるでアレクセイ・ゲルマンの「神々のたそがれ」を思わせるような、血と泥と糞尿にまみれた汚穢の極みのような饗宴がしばしば描かれますが、そこから立ち現れる、なんとも異様な感興をどう名づければいいのでしょう。

 20世紀ドイツの哲学者ルドルフ・オットーは、その主著『聖なるもの』(岩波文庫)の中で、聖性や崇高さの本質には「ヌミノーゼ」があると言いました。ヌミノーゼとは、「不気味なもの」「畏るべきもの」「戦慄すべきもの」といったニュアンスを持つオットーの造語ですが、合理性や道徳的な善といったものとは別のところにそれはあり、そしてそれこそが「聖性」の中核にあると言うのです。私たちは、こういったものを前にしたとき、しばしば硬直し、それを忌避しようとすると同時に、一方でそれに強く魅せられ、引き寄せられる感覚を覚えます。

 駕籠作品には、このような、読む者をして茫然自失させると同時に、どこか惹きつけられずにおかないタウマゼインに満ちており、世界の基底に触れさせるような生々しい感覚を呼び起こすのです。

 そして、そのような驚愕の地平を切り開くのは、確かな技量に裏打ちされた緻密な描き込み<3>。

 若き日の庵野秀明は「創作者に必要なものはカンとセンス。あとは努力と根性だ」と言いました。カンとセンス、すなわち類まれなるインスピレーションがなければ、そもそもお話にならないのですが、それを紙上に実現するためには、モノマニアックに紙面を埋めていく努力と根性が必要となります。

『輝け!大東亜共栄圏』のセカイ設計など、頭のおかしい人のアウトサイダーアートを見ているようなのですが、それが綿密なタッチで執着的に描かれているのですからたまりません。『アナモルフォシスの冥獣』の大仕掛けも、あのびっしりした描き込みがあるからこそ説得力を持つのですね。

 このようなスキゾフレニックでパラノイアックな駕籠真太郎の世界は、一度そこにはまり込んでしまうと抜けられない魔力があります。虚実皮膜の向こう側を見てしまった者は、二度とその光景を抹消することはできません。現実と二重写しになったアナモルフォセスの冥獣とともに生きていくことを受け容れなければならないでしょう。

 その扉は目の前にあります。その扉を開くかどうかはあなた次第です。

 

 

◆◇◆駕籠真太郎のhoriスコア◆◇◆

 

【明快ですっきり】88hori

最近はマンガだけでなく、アート方面での活動も盛んになってきた駕籠先生ですが、この明快でポップなタッチは、現代アートとの親和性も高いと思われます。

 

【つけペン】67hori

『宇宙かける純情』の自作解説によると、一時期、ミリペンを試したことがあったそうですが駄目だったようです。たしかにミリペンでもイケそうな気がしますが、描かれたものを見ると、やっぱりちょっと違う気がします。

 

【キャラの顔】71hori

最近は、おとぼけキャラ成分も滲み出てきて「なんだか上野顕太郎のマンガに出てきそう」と思います。

 

 

  • ◎●ホリエの蛇足●◎●

 

<1>牛頭天王

牛頭天王と関わりがあるのかどうかはわからないのですが、「GOZ」では、物語のはじめに“件(くだん)の剥製”という怪しげなものが出てきます。

件というのは、人偏に牛というその字のごとく、牛の体に人の頭をした姿をしていて、現れるやいなや、たった一言、重大な予言をし、その後すぐに死んでしまうと言われる妖怪です。天変地異や災害にまつわる妖怪としては、最近流行りのアマビエに勝るとも劣らぬ存在で、その独特の冷え冷えとした存在感は日本の妖怪の中でも特異なものです。

そこに注目した内田百閒の「件」という傑作短編もありますが、実はこの妖怪、Legend50の面々とも少なからぬ関わりがあります。水木しげるが、これを取り上げているのは当然のことながら、石森章太郎「くだんのはは」(原作・小松左京)、近藤ようこ「五色の舟」(原作・津原泰水)という二大傑作があるのです。

この二作、ともに原作付きでありながら、マンガとしても一級品であることは間違いありません。皆さんも機会があれば是非読んでいただきたいところです。

 

<2>『奇想の系譜』

この本、これまでにも何度か版を変えて刊行されてきましたが、収録図版がモノクロの小さなものだったのが、ちょっと玉にキズでした。しかし、初版刊行から半世紀たった2019年、ついにフルカラーの大型本として刊行されました。税別5,000円と、それなりなお値段ですが、これは買いですね。

 

<3>緻密な描き込み

これは駕籠先生が藤子・F・不二雄と並んでリスペクトする筒井康隆にも感じられるところです。「バブリング創世記」なんて「ドンドンはドンドコの父なり。ドンドンの子ドンドコ、ドンドコドンを生み…」といった調子ではじまる、マタイ書をもじったパロディなのですが、最初のうちは「ハハハッ」とかいって笑って読んでいられるものの、これが延々9000字以上にわたって続くとなると、しだいに笑いは引き攣りに変わっていきます。『虚構船団』の歴史パロディなど、病的な緻密さで一つの文明世界を作り上げ行くのですが、それが最終的に、ただの冗談に収斂していくところが凄いのですね。

たわいもない冗談一つ言うために、冗談で済まされないほどの途方もないコストをかける心意気は駕籠先生の、よく受け継ぐところです。

 

「マンガのスコア」バックナンバー

 

アイキャッチ画像:「アックスvol.140」青林工藝舎


  • 堀江純一

    編集的先達:永井均。十離で典離を受賞。近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した。かつてマンガ家を目指していたこともある経歴の持主。画力を活かした輪読座の図象では周囲を瞠目させている。

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