ロシアはヨーロッパなのか 大澤真幸氏の語る「情歴」の読み方とは【イベントレポ】

2022/04/01(金)12:16
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ロシアだってヨーロッパになりたい。「ウクライナ侵攻は、ロシアのアイデンティティが引き起こした問題です」大澤真幸氏は早口で畳み掛けた。3月23日夜、停電が心配されながらも東京豪徳寺・本楼から配信されたイベント「情報の歴史21を読む」でのワンシーンである。

大澤氏は古くからの情歴ユーザーであり、松岡正剛との同志。およそ30年前、千葉大学の教員時代に「情報の歴史を読む」という集中講義を松岡に依頼した仕掛人だ。

大澤氏は「千年単位で歴史を見ることと、現代を考えることは直結する」と語る。人類の歴史のなかで繰り返される「文化的定数」を見つけ、歴史の本質を探るには、紀元前7000万年から2020年までを1冊にまとめたこの情歴こそが本領を発揮すると説明した。

ウクライナ侵攻から1ヶ月が経とうとするこの日は、「西洋」をテーマに講義が行われた。連日、世界中で報道されるこの戦争は、いったいなんのためのものなのか。大澤氏はロシアの気持ちを代弁してみせた。いわくこうである。

 

現代における近代化とは西洋化のことである。つまり、世界はみんなヨーロッパになりたがっている。ではロシアはヨーロッパなのだろうか。

ヨーロッパとは、地域のことを指すわけではない。近代化をもっとも果たした点で見れば、いまや、アメリカこそが真のヨーロッパである。では翻ってロシアを見てみればどうか。ロシアはヨーロッパであり、ヨーロッパでない。この両義性が問題なのだ。

 

ヨーロッパとはなにか。大澤氏は、「西側のキリスト教の雰囲気をもつところ」と説明する。キリスト教には2種類ある。西のカトリックに、東の正教。ポーランドのような位置であっても、カトリックの雰囲気をもつ国は西側陣営といえる。ロシアは、988年、決定的な選択をしたのだ。東方教会に入ることを決断した「ルーシの洗礼」である。このときロシアは、当時最大の先進国であったビザンツ帝国にならって、キリスト教のなかでも正教を選んだ。ロシアは、キリスト教地域という意味ではヨーロッパと言えなくもないが、正教ゆえに本物のヨーロッパとは認められない。

▲参加者は情歴をめくりながらレクチャーを聞いた。


大澤氏は、プーチン大統領が抱えるのは「ヨーロッパへの嫉妬」と推察する。「プーチンとしては、ほんとうはEUに入りたいのだろう。しかし、EUというヨーロッパ諸国のなかでロシアは二流国の扱いとなる。それはプライドが許さない」「いちばん近いウクライナでさえも、ロシアを捨てヨーロッパを選ぶというのは脅威である」大きなヨーロッパのなかには、「本物のヨーロッパ」たるカトリック地域と、「ヨーロッパになりたい」正教地域がある。大きな火種としてくすぶるのは、同じキリスト教であるのにも関わらず、資本主義が発達してきた段階であきらかに西側優位になったことだ。


大澤氏は1364夜に取り上げられたイマニュエル・ウォーラーステインなどをとりあげながら、いつから東西の差が生まれたのか歴史を遡っていった。最初の決裂は、8世紀に起きたビザンツ帝国でのイコノクラスムだと大澤氏は分析する。正教では厳格に偶像崇拝が禁止されたのに対し、西側では曖昧。この違いはいまでも、教会を見れば明白である。教会のなかの聖遺物が置かれる「内陣」のつくりが異なる。内陣が見えるカトリックと、見えないオーソドキシー。言い換えれば、「隠す正教・現すカトリック」として神をどう扱うかに違いがあるのである。

▲『〈世界史〉の哲学 中世篇』のカバーは、キリストの脇腹がモチーフになっていると明かした大澤氏。

 

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その後、東西で立場が分かれる「フィリオクエ」に関する神学論争や、1052年の東西教会分裂について、そしてさらには中世の中心には「死体」があるという大澤歴史観を概略。『〈世界史〉の哲学 中世篇』を引用しながら、2時間を超えるレクチャーを終えたとき、大澤氏から80名を超える視聴者にお題が出された。それは「人類の歴史のなかで反復される『文明的定数』を仮説せよ」という内容である。


大澤氏は言った。「1000年、2000年くらいでは、人間は変わりません。繰り返される出来事から、ことの本質が見えてきます」「間違っていてもいいので、仮説を立てることで自分なりに『情報の歴史』を読むことができます」


歴史のなかに型を見つける。そのためのツールとして、人類史を一気通貫する情歴がある。2022年のウクライナ紛争と1052年の東西教会の分裂とを重ねてみてみる。これが大澤氏の提唱した情歴の読み方だった。

 

▼大澤真幸氏に関するエディストはこちら

 大澤真幸の四つの”読みスジ”【超人気講座★多読SP】

 


【次回予告】

 ISIS FESTA「『情歴21』を読む」第3弾は、4月10日(日)

 ゲストは感門での祝辞も記憶に新しい田中優子氏だ。本楼参加も可。この機会を見逃すな。


 

撮影:上杉公志(本楼)、梅澤奈央(情歴紙面)

  • 梅澤奈央

    編集的先達:平松洋子。ライティングよし、コミュニケーションよし、そして勇み足気味の突破力よし。イシスでも一二を争う負けん気の強さとしつこさで、講座のプロセスをメディア化するという開校以来20年手つかずだった難行を果たす。校長松岡正剛に「イシス初のジャーナリスト」と評された。
    イシス編集学校メルマガ「編集ウメ子」配信中。

コメント

1~3件/3件

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。

山田細香

2025-06-22

 小学校に入ってすぐにレゴを買ってもらい、ハマった。手持ちのブロックを色や形ごとに袋分けすることから始まり、形をイメージしながら袋に手を入れ、ガラガラかき回しながらパーツを選んで組み立てる。完成したら夕方4時からNHKで放送される世界各国の風景映像の前にかざし、クルクル方向を変えて眺めてから壊す。バラバラになった部品をまた分ける。この繰り返しが楽しくてたまらなかった。
 ブロックはグリッドが決まっているので繊細な表現をするのは難しい。だからイメージしたモノをまず略図化する必要がある。近くから遠くから眺めてみて、作りたい形のアウトラインを決める。これが上手くいかないと、「らしさ」は浮かび上がってこない。