「もっと追い詰めないと(野嶋真帆)」「女の子がさらに性悪だったらなあ(高柳康代)」「せめて、子どもを殺していれば……(中村まさとし)」 物騒な物言いが付く。槍玉に挙げられているのは「やさしい敵だ」だ。
ある寒空の日曜日、 47[破]指導陣が豪徳寺に集まっていた。物語アリスとテレス賞の選評会議である。昼すぎから夕刻までコーヒーと赤ペン片手に、エントリーされた58作品を順繰りに吟味していく。選評委員がくちぐちに残念がったのは、敵らしさの希薄さである。物語編集術の稽古で書かれた作品は、スター・ウォーズなどの課題映画から翻案されたものである。課題映画を見ればわかる。ダース・ベイダーはルークの目の前で師を斬り、エイリアンはリプリーの仲間たちをを容赦なく食い千切る。主人公は強大な敵に出会うことで、なりふり構わず戦い、いつしか英雄になってゆく。
けれど多くの翻案作品には、戦いが欠けていた。「これは、主人公が旅しただけですね(原田淳子)」「いい人しか出てきていない(北原ひでお)」「敵がいないなあ(関富夫)」手厳しい評価が続く。友だちになれそうなダース・ベイダーや話のわかるエイリアンでは駄目なのだ。圧倒的な他者と向き合わない限り、いつまで経っても主人公は成長できない。
選評会議の前日、[AIDA]第4講が開催されていた。本楼で議論されたのは、メタモルフォーゼ。オートポイエーシス理論の第一人者河本英夫氏をゲストに迎え、田中優子氏、大澤真幸氏と校長松岡正剛が創発のふしぎを巡った。なぜ情報はメタモルフォーゼを起こすのか。コンティンジェンシーはどこに潜んでいたのか。松岡は看破した。
「異物というのは、混入した邪魔者ではない。システムを覚醒させるためのスイッチです」
松岡は例をあげた。人間は直立二足歩行を始めてから、足裏の感覚を鈍くしていった。けれども、靴のなかにある小さな小石には気づくことができる。小石によって、普段はオフになっている足裏の鋭い感覚システムがオンになったといえるだろう。
情報はつねに、コンティンジェンシーを孕んでいる。なにかの刺激によってそれがオンになり、メタモルフォーゼが起こる。そのスイッチが靴のなかの小石であり、エイリアンなのである。
物語に仕込むべきなのも、この「異物」なのだ。選評会議の委員たちが欲していたのは、いかにも悪人面をした登場人物ではない。英雄物語に欠かせないのは、主人公にとって危機を起こすような装置としての敵なのだ。
ひるがえって、英雄とは、その「一」と「多」の間に出現する危機と裂け目を克服した者であり、その境界がどこにあるかということを告げるために用意された装置だったのだ。
しかし、そこには必ず犠牲が伴い、予期せぬことがおこっていく。もし英雄を待望したいのなら、このことも見落としてはならないことなのだ。そして加えて、思いがけない者こそが味方であって、見かけぬところが境界の秘密なのであり、中心こそが静寂なのであることを知ったほうがいい。
704夜『千の顔をもつ英雄』
学匠原田淳子は、昨年末「鬼になれ」と師範代を焚きつけていた。
「師範代がカベになり、ちゃぶ台を返さないと、物語もプランニングも面白くなりません」
「イシスには『グッドアイデアからも自由になれ』という言葉あります。学衆さんから『オニ!』と言われるまで、ギアを上げていきましょう」
たんに背中を押されるだけでは、慣れ親しんだ思考から離れることはできない。メタモルフォーゼなど起こらないのだ。他者なるものに脇道へ連れ去られてはじめて、思いがけない者に出会い、境界の秘密に触れるのである。師範代は、学衆にとってのエイリアンになれるのか。講評は1月末発表予定。
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梅澤奈央
編集的先達:平松洋子。ライティングよし、コミュニケーションよし、そして勇み足気味の突破力よし。イシスでも一二を争う負けん気の強さとしつこさで、講座のプロセスをメディア化するという開校以来20年手つかずだった難行を果たす。校長松岡正剛に「イシス初のジャーナリスト」と評された。
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