この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

太田香保総匠ほど黒の似合う人はいない。
感門之盟の初日、井寸房に飾られた千夜千冊エディションの字紋を背景に、太田総匠は、全国で展開中のエディション20冊突破記念フェアの真意を静かに語り始める。そもそもこのブックフェアは、4月末に二度目の肺がん手術を受けた松岡校長がぜひ元気になって、これからも書き続け、編集し続けてほしいという願いを込めて、立ち上げたのだという。その想いを受け取り、編集学校の門をくぐった全国のイシス人が、地元の書店フェアに世話人として駆けつけ、校長本との共読を誘う断然ダントツなディスプレイを次々と生み出したのだ。
フェアの模様を、林朝恵師範の制作した映像で紹介した総匠は、その中に一瞬映っていた小布施の古書店スワロー亭へと、中継を繋げる。とっぷりと暮れた空の下、温かく灯る店の前に立つのは、店主の奥田亮さん。カメラを回すのは、編集学校で知り合い「イシス婚」した妻の中島敏子さんだ。
店内には千夜千冊エディションの一冊一冊が、宝石のように並べられている。そのそばにある、校長の著書をはじめとする関連図書の古書の並びも美しい。スワロー亭オリジナルのフェアのチラシも見える。目玉は、小布施での校長の貴重な講演録。全巻まとめて買う人への心づくしのプレゼントだ。
豪徳寺にカメラが戻ると、意外な出来事を総匠は告げる。新しい読者層を広げていったフェアだが、いちばん売れたのは、レイ・ブラッドベリの『華氏451度』だったのだ。エディション『本から本へ』に収められているこの物語では、本も人も燃やされていく炎のディストピアが描かれ、最後には、それぞれ一冊の本をマスターして本の人となった少数の語り部が登場する。「イシス編集学校はそもそも本の人たちの集い」だと、総匠はこの偶然を読み解く。イシスの指導陣たちは、校長の描いてきた読書世界や編集的世界をマスターできるよう、本との接点を、心を砕いてつくってきた。とりわけ太田総匠と火元組の率いる離は、校長の書き下ろした文巻を丸呑みする講座だ。今期の14離は千夜エディションを全面的に取り込み、カリキュラムを改訂した。「卒門、突破した人たちにも、ぜひ『本の人たち』のように、人類が築き上げてきた知の営みを担う人となるべく、離を受講していただきたい」。総匠の切実なメッセージが、井寸房に沁みわたった。
小布施のスワロー亭は、エディションフェアを9月末まで続ける。古書店の窓から漏れていたオレンジ色の灯りは、校長の編集的世界観という火種を大切に守り続ける熾火のように、今夜も温かな光を放っている。
写真:後藤由加里
丸洋子
編集的先達:ゲオルク・ジンメル。鳥たちの水浴びの音で目覚める。午後にはお庭で英国紅茶と手焼きのクッキー。その品の良さから、誰もが丸さんの子どもになりたいという憧れの存在。主婦のかたわら、翻訳も手がける。
コメント
1~3件/3件
2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。