「間」の松岡塾長の書。
アップされた「日」が徐々にズームバックされ「間」の全貌があらわれる。
「本楼」と記された木板に切り替わりトポスの提示を経て、進行の佐々木局長が登場する。
パンデミック下の4月25日13:30、オンラインによるハイパーコーポレートユニバーシティの最終講「稽古と本番のAIDA」の幕開けだ。
「今日の最終講を『テレワーク』のようなものと思われているかもしれませんが、私はそういうつもりはありません。本楼を緊急のスタジオにしてあります。何かその中でやったことのないことをしてみたいと思っています」
その宣言から松岡塾長の導入講義が始まった。
「ひとことでいえば、私たちは全て生命情報の一部であり、会社員である前に家族であり、免疫的自己でもある。そうしたたくさんの私が本来動いていたものが、暗号やマイナンバーのように限定されてしまった。それに待てよ、それでいいのか、ということです」
グローバルキャピタリズムや官僚、四半期決算といった強力な体制によって、たくさんの私が限定・固定されてしまっている。世界的なパンデミックの今はますます制限が進んでいる。
こうした現状にどう向き合うか。
まずは千夜千冊エディションの『編集力』を手すりにする。
「第1章に『意味と情報は感染する』とあります。
このエディションはコロナウイルスが流行する前に書いていますが、ウイルスだけが感染しているわけじゃないんですよ。情報も感染する。
また、ウイルスが増殖・感染するにはホストに仮住まいしながらするしかない。つまり、編集というのは負を抱えているんです」
ウイルスが想定外の変異をするように、19世紀から20世紀の近代社会の中で、今までにない動向に気づいた人がいる。
その一人が『パサージュ論』のヴァルター・ベンヤミン(編集力A3「数奇のパサージュ」という方法)だ。
「ベンヤミンは、個人の外部性と集団の内部性には別々の夢が交差していると見た。
そうした配置や布置を『敷居』といっているが、個人の夢と集団の夢が壊れるということは敷居を忘れるということ。
だから敷居を意識しながらまたぎ続けることが大切だといった」
もう一人、エドワード・ホールの『かくれた次元』(編集力E2「知覚と行動にひそむ『文化距離』に感づく方法」)のプロクセミックスへ向かう。
「私たちには、ホルモンやリンパ液などの内分泌というものがある。ホールは社会や文化にも分泌があるとみてそれを『外分泌』といい、その中のかくれた次元を『プロクセミックス(知覚文化距離)』と造語した。
今話題のソーシャルディスタンスは2メートルなどと固定されているが、ホールのいうプロクセミックスは密接距離、社会距離、公衆距離などもっと多様なものです」
今日の問題は、ベンヤミンの敷居やホールのプロクセミックスをどうやって取り戻するかということでもあった。
そこで松岡塾長は今回のテーマ「稽古と本番」を「平時と有事」にとらえ返す。
「有事とはエマージェンシー(Emergency)。有事であり創発。創(キズ)を以って発するということ。
有事というのが何かの創発の機会なんです。平時の中でこの有事をもっともっと引き取っていかなきゃならないと思います」
さらに、有事には重要な意味があるという。
「もう一つの意味とはコンティンジェンシー(Contingency)。あるシステムが別様の可能性を秘めているということ。
システムの奥にある本来の別様の可能性が出現するということが、コンティンジェンシーなのです」
飛行機の事故も翼がストレスを溜めてあらわれている。情報や生命のアクシデントというのは、奥の本来にあるものが出てきて何かの形を取っている。
自己の中でコンティジェンシーを含めるためには。
「外部多様性を取り込んでおくということです。非自己を入れてこないと自己は作れないから、最初から非自己を排除せずに入れていくことです」
非自己を平時から織り込まないからこそ、パンデミック下でみんな同じことをしてしまう。
最後に、今の問題を解く方法が日本の本来に潜んでいるのではないかと塾長はいう。『日本文化の核心』の第8講から「小さきもの」を取り上げる。
「なぜ昔話に一寸法師や桃太郎、かぐや姫のうような小さいものを想定して重視してきたか。
今日の一日の中でときおり参照しながら話をしていきたいと思います」
「緊急のスタジオ」のしつらえも、平時に有事を持ち込む方法の一つだった。有事下の「稽古と本番」を、『編集力』と『日本文化の核心』を手すりに敷居を往来する最終講は、20:00まで続く。
上杉公志
編集的先達:パウル・ヒンデミット。前衛音楽の作編曲家で、感門のBGMも手がける。誠実が服をきたような人柄でMr.Honestyと呼ばれる。イシスを代表する細マッチョでトライアスロン出場を目指す。
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