【AIDA】KW File.06「半信半疑」

2021/01/20(水)10:31 img
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KW File.06「半信半疑」(2020/12/12-13.第3講)

本コーナーでは、Hyper-Editing Platform[AIDA]の講義で登場したキーワードの幾つかを、千夜千冊や編集学校の動向と関係線を結びながら紹介していきます。

荒俣宏氏:
"あのお方"とは何か。それが分かればいい。

 Hyper-Editing Platform[AIDA]の第3講は、2日間にわたる特別編である。1日目は豪徳寺の本楼、2日目は所沢の角川武蔵野ミュージアムの4F・5Fを借り切って行われた。

 講座のプログラムが始まるまでの自由時間に、座衆は4F・5F以外のエリアを探索した。目玉はもちろん「荒俣宏の妖怪伏魔殿」である。おどろおどろしい真っ赤な門をくぐった先には、原始から現代までを網羅する妖怪絵巻の回廊。翻る垂れ幕を振り仰ぎ、おそるおそる歩みを進める背中に、無数の妖怪の視線が突き刺さる。北海道から沖縄まで、日本全国の妖怪の紹介文に添えられた多様な絵図や文物、東北のカミサマを模した巨大な人形、果てはミイラに化石にと、めくるめく展示がグランドギャラリーを埋め尽くしている。

 プログラムの終盤、松岡座長・隈研吾氏との鼎談の中で「妖怪伏魔殿」のコンセプトを尋ねられた荒俣氏は、「"あのお方"とは何か」、それがここで分かればいいのだと答えた。

 かつての日本には「何となく偉くて怖そうなもの」をただ一言、"あのお方" で済ませていた時代があるという。異様な力を外から与えてくれるもの。ワケの分からないもの。やがて人々は、そのなにものかに神や妖怪といった姿を与え、名づけ、編集していった。各地の特色あふれる妖怪は、人間の根源的な不安や希望が「モノ」として語り交わされることで、長らく息づいてきたのである。

 モノは「物」であり「者」でり、また「霊」である。一個のオブジェには必ずモノザネ、モノダネが生きている。人はそれに幽閉されて、モノ好きはモノ狂いになっていく。

◆松岡正剛『間と世界劇場』199p

荒俣宏氏:
「あのお方だ」というふうに言っていた頃の基本的なアイデアや、肌合いのようなもの。今の会話やコミュニケーションの中では、それがあまりに少な過ぎるんじゃないかという感じがしたんです。一言 "あのお方" で済んでいた時代のイメージを、この妖怪の展示会の中でお知らせしたい。

 とすれば「荒俣宏の妖怪伏魔殿」は、ただ妖怪を紹介するためのものではない。妖怪を、より遡っては "あのお方" を、類としての私たちが半信半疑できていた頃の感覚を、高度なテクノロジーも駆使しながら、直感的に呼び覚まそうとするもの、と穿っても良いのかもしれない。そう感じるほどに、圧倒的に肌にせまってくる展示であった。IT技術を駆使して、妖怪と一緒にダンス(盆踊り)ができるコーナーもある。ここはアフォーダンスの伏魔殿なのだ。

松岡座長:
今の社会に一番欠けているのが「半信半疑」なんです。曖昧領域を消して、本物と偽物を区別する。「どうかな」っていう状態、グレーゾーンがなくなって、二者択一か多様性。だから、半信半疑を展示するっていうのには、ありとあらゆる技術を使った方がいいんですよ。

 半信半疑といえば、角川武蔵野ミュージアムの4Fには「荒俣ワンダー秘宝館」がある。エディットタウンの壁の裏側に位置し、展示物を手に取って見られるコーナーを持つ「半信半疑の地獄」と、生物の美しさや不思議を体感できる「生命の神殿」に分かれる。うっかり迷い込んだヴンダーカンマーに、座衆は少年少女のように驚き、しげしげと見入っていた。

荒俣宏氏:
ここには「UFOのかけら」なるものが置いてあります。こういうものに出会って、第1段階として半信半疑の状態になり、やがてはヌードになって「生命の神殿」で自然との付き合いをもう一回やる。これが面白いんじゃないかなということを考えました。だから、今日の隈さんのお話*は本当に参考になるものでした。

*鼎談の前に隈氏による講義プログラムがあり、有機的な建築、自然の作用・反作用といったことが語られた。

 半信半疑とは、本の読み方にも似ている。本の情報を丸呑み(信)するのは味気ないし、断乎として感化を拒む姿勢(疑)では本は読めない。読んでいるときに「わたし」に何が起こっているのかを慎重に探りながら、内側と外側を少しずつあいまいに交換してゆく、さしかかって分かって変わる、それが半信半疑の生き生きとした読書であろうと思う。

 松岡座長と荒俣氏の共著『月と幻想科学』は、半分だけの表情を見せる月を表紙に飾っている。

  • 加藤めぐみ

    編集的先達:山本貴光。品詞を擬人化した物語でAT大賞、予想通りにぶっちぎり典離。編纂と編集、データとカプタ、ロジカルとアナロジーを自在に綾なすリテラル・アーチスト。イシスが次の世に贈る「21世紀の女」、それがカトメグだ。

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コメント

1~3件/3件

川邊透

2025-07-01

発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。