【二千光年の憂鬱】Chapter2 Fight or Flight

2022/05/04(水)08:00
img

1. spilit of 1976


あえて軋轢を生むような生き方をしたい。
無難にスマートに生きていたって面白くないから。
空気なんか読まない。KY上等。
人生はぶつからなければ分からないことだらけだ。

 

42.195kmを、最初から最後まで、全力疾走で駆け抜けたい。
もちろん途中でぶっ倒れるだろう。
それでも、起き上がったら、また全力疾走で行けるところまで行く。
ペース配分、カンケーない。
効率なんて言葉、知ったこっちゃない。
何時間かかっても、ぶっ倒れては起き上がり、
その度に全力疾走して、最後まで走り抜ける。
加減なんか出来ないし、力の抜き方は知らない。

 

バカで結構。ガキっぽい生き方かもしれない。
ソフィスティケイトされてないのは重々承知
大人になんかなる気はハナからない。
死ぬまでガキでいつづける。そう思って生きている。

 

今から46年前、ボクはパンクロックエクスプロージョン真っただ中のイギリスに留学していた。当時のイギリスは財政支出による赤字が膨張し、IMFに緊急支援を要請したが、IMFは交換条件として、財政赤字の縮小を求めた。その後キャラハン政権は緊縮財政に向かっていく。この流れは、いわゆる「小さな政府」へとつながっていく。「ゆりかごから墓場まで」をスローガンとしてきた戦後イギリスの福祉政策が、鉄の女サッチャーによって抜本的に変革されるのである。アメリカではレーガニズムが、日本においては中曽根内閣における三公社の民営化が行われる。その後、橋本内閣で金融緩和が、そして小泉内閣で郵政民営化が実施されて、日本でも本格的にグローバル化が進んで行く。

 

グローバル化は、緊縮財政と自由貿易と規制緩和の三位一体を特徴とする。


自由とか規制緩和と聞くと、なんだか有難いような気がするが、そもそも何故規制していたかを考えてみる必要がある。例えば郵政民営化によって何が起こったか。サービスの質は低下し、郵便料金は値上がりした。国立病院をつぶしていった結果何が起こったか。平時は良かった。人件費削減によって赤字解消。バンザイ。でも、今回の新型コロナウイルス流行によって、医師も看護師も医療施設も不足し、医療崩壊が起きた。

 

国家の重要なインフラに関わるサービスは、どうしたって黒字になるようにはできていないのだから、国が管理するのは当然だ。民営化すれば赤字を出さないために、効率の悪いサービスからは撤退し、コストカットが行われサービスの質は必然的に落ちる。そんなことは、ここ30年で十分学んだはずだ。極論すれば、グローバル化とは、自由と自己責任の名のもとに、国が果たすべき責任を放棄するということと、ほぼ同義である。

 

水道事業を民営化する計画が一部の政治家の口から聞かれたが、とんでもない話だ。民営化とは、外国企業の参入を容易にするということでもある。金融自由化、通称ビッグバンによって、海外の保険会社が雪崩のように日本に侵入してきた結果、何が起こったか、思い起こしてみるといい。もし、仮にチャイナに水道事業を独占されてしまったとしたら、どうなるだろうか。それは、中国共産党の都合で、いつでもサービスの供給をストップできるようになることを意味している。少なくとも、外交のカードとして使われるのは目に見えている。アメリカ企業にシェアをとられたとしても結果は同じだ。

 

グローバル化がダメだと言っているわけではない。経済がうまく回っているときは、メリットも大きいし、何もかも規制すればいいとは思わない。だからといって全てを自由化していいわけではないということだ。

 

それに、グローバリズムが成り立つためには、それなりに平和で、覇権国家が国際社会をコントロールできていなければいけない。19世紀にはイギリスが、20世紀はアメリカが、その役割を担ってきた。

 

ところが今やアメリカの力は相対的に弱まり、中国が力をつけてきた。ロシアも軍事力の面では大国である。つまりは東西のパワーバランスが崩れてきている。今回のロシアによるウクライナ侵攻は、そのことを裏付けていると言えよう。

 

国際社会と我が国の経済政策に関しては、貨幣観や国家観ともからめて、改めて取り上げたいと思うが、とりあえず時計の針を76年に巻き戻したい。


当時のイギリスは、一言で言うと、社会全体が閉塞感に覆われていて、スインギングロンドンなんて、どこを探しても見当たらなかった。ニューヨークで生まれたパンクロックが、ロンドンにおいて大きなムーブメントを引き起こしたのは時代の必然だったと思う。

「どうしようもなくクソみたいな世の中だけど、嘆いたってしようがない。悩んでも何も解決しない。世界がモノトーンなら、オレ自身の手で塗り替えてやる。」そんな思いを歌にしたのがパンクだ。それまでのロックが、自分より上の世代や、堅苦しい世の中に対する反抗の音楽だったとすれば、パンクは世界に否をつきつける音楽だ。だから、この世界の成り立ちそのものを否定する。気に入らないものは全部ぶっ潰す。どうにもならない不条理に直面したときに、目を背けない、あきらめない、逃げださない、カッコ悪くても、往生際が悪くてもいいから最後まで抵抗する。国家権力や政治家や金持ちに対して、「お前らの思い通りにはならないぜ」と宣戦布告するための音楽だ。

 

まあ、オリジナルパンクスの歌詞を冷静に読むと、言葉足らずで幼稚なものがほとんどだ。政治的なことに触れた歌詞も、目の前の現実について怒りをぶつけるだけで、ぶっ壊した後の世界をどうするのか、何も考えてはいないと言われれば、その通りである。負け犬の遠吠え。分別のあるオトナは、そう言って切り捨てるかもしれない。

 

だけど、どんな美しい言葉よりも、偉人と呼ばれる人の立派なスピーチよりも、聴き手の胸に真っすぐにつき刺さる。

 

そしてパンクロックには敗者の美学がある。巨大な力と向き合ったときに、どのように闘うか。勝てないのなら、どう負けるか。ボクはパンクから教わった気がする。

 

2. One man army

 

ボク個人のことを話すと、留学先のパブリックスクールでは、Ghostと呼ばれ、存在しないものとして、完璧に無視された。それは徹底していて、誰一人視線を合わせようとしなかった。例えば廊下ですれちがったとしても、彼らの視線はボクの身体を通り越して、その向こう側を見ている感じなのだ。

日本にいるときも、人とつるんだり群れたりするのは好きじゃなく、独りでいることの方が多かったので、まったく気にしていないつもりだった。しかし、誰とも話すことなく、ただただ寄宿舎と校舎を往復するだけの毎日は、自分で思っていた以上に消耗戦を強いられていたのだろう、2か月がたった頃に爆発し、無謀な行動に出た。

 

放送室を占拠して、当時流行り始めていたパンクロックを学校中に大音量で響かせた。今となっては何を言ったのかまでは覚えてはいないが、内側からほとばしる思い、誰に対するわけでもない、抽象的な怒りや失望や嘆きを、エンドレスでつないだ爆音にのせて叫んでいた。

 

たった一人の反乱は授業妨害を受けた学校側によって、1時間足らずで鎮圧され、あわや強制帰国されそうになった。しかし、留学プログラムの途中で、強制帰国させたとなると、学校的にも不名誉な記録になるため、強制帰国は免れた。ボクがやったことが公になって、学校の恥になるのを避けたかったのだろう。そんな事件は無かったこととされた。

 

そして、その日以降、ボクは一部の生徒たちにとって、ちょっとしたヒーローとなった。名門校にも、いわゆる落ちこぼれはいて、問題児の烙印をおされた連中が、声をかけ、近づいてくるようになったのだ。相変わらず、優等生たちからは無視され続けたが。

 

問題児たちは、それまで甘んじて受け入れていた、理不尽な扱い、わけのわからない校則等々、納得がいかないことに対して、抵抗し、声をあげるようになった。

17歳の頃のボクがやったことは、幼稚な反抗だったのかもしれない。

 

しかし、誰もやらないようなバカバカしい方法で、大きな力に無謀にも向かっていく事が、思いもよらぬ結果を生むこともある。勝ったものが正義の世の中で、勝敗を超えた強い意志に突き動かされた行動は、同朋意識を生むこともある。それが正しいのかどうかは分からないけれど、人を動かすきっかけにはなる。

 

大人になり、社会に出て学んだことは、集団による理不尽な暴力には、正攻法でぶつかっても意味がないということ。理屈で攻めればスルーされ、感情をぶつければ消費され、力で対抗すれば潰される。

 

潰されないためには、勝とうと思わないことだ。

 

成功しなければ意味がない、勝たなければいけないという成果主義は、そろそろ捨ててもいいのではないか。プロセスが正しければ結果は問わないというのも、ちょっと違うと思うが、始める前から結果を気にすることはない。成功体験は時とともに陳腐化するが、失敗から学んだことは風化することはない。

 

ビジネスマン時代には、盛んにPDCAサイクルを回せと言われたものだ。今やPDCAは古くて、「今はOODAだ」とか「STPDだ」とか、「いやDCAPだ」とか次から次に新しい手法が生まれてきている。

 

しかし、ボクから見れば、いずれも大差ない。マーケッターの人たちが、ひねり出した理論に過ぎない。ある一定の条件の下では確かな効果はあるのだろう。大きな成功を収めることもあるだろう。だけど、共通して言えることは、いずれも失敗しないためのフォーマットだということ。

 

成果主義の世界においては、失敗することは悪であるから、どうしても失敗しないような目標に向かって、失敗しない無難な仮説のもとに、失敗しないための計画をたててしまうことになる。その結果、確かに失敗はしないかもしれないが、予め約束された、予測可能な成功しか生まれない。そんなものにワクワクもドキドキもしない。情報から生命が生まれたような離れ業は期待できないのだ。

 

そもそも生命が辿ってきた歴史は、ミスコピーから始まったのであり、人類の歴史を振り返っても、間違った仮説が新しい技術を生んできたのである。

 

そして、いつの時代も、理解不能な社会や人の中からトランスは起こってきたことを忘れてはならない。

 

今日を生き延びるための10曲(2)

1.Neat neat neat / The Dammned

2.IF THE KIDS ARE UNITED / Sham69

3.London’s burning / The Clash

4.Anarchy In The UK / The sex pistols

5.I DON’T MIND / Buzzcocks

6.NO FUN / Iggy Pop & The stooges

7.Blank Generation / Richard Hell&The Voidoids

8.Born to loose/Johnny Thunders

9. Doesn’t Make It Alright/ Stiff Little Fingers

10.MY GENERATION /The Who

 

10はイギリスの国民的バンドであるザ・フーが世に出るきっかけとなったモッズのバイブル的名曲。初期衝動の塊のような演奏と、若さゆえの特権意識と、傲慢さを純粋培養したかのような自己肯定感はパンクに通じるものがある。

 

7のリチャードヘルは、破れたTシャツを安全ピンでとめたパンクファッションの創始者と言われている。テレビジョン時代のリチャードヘルのステージからインスピレーションを受けたビビアンウエストウッドは、ロンドンの古着屋でキャリアをスタートさせ、ボンデージパンツやガーゼシャツ、安全ピンや剃刀のピアスなど、パンクファッションのプロトタイプを完成させる。彼女は後にロリータファッションにも目を付け、デザイナーとして大成する。

 

【二千光年の憂鬱 Back Number】

Chapter2 Fight or Flight

Chapter1 Remix the world

 


  • 倉田慎一

    編集的先達:笠井叡。Don't stop dance! 進めなくてもその場でステップは踏める。自らの言葉通り、[離]の火元を第一季から担い続け、親指フラッシュな即応指南やZEST溢れる言霊で多くの学衆を焚き付けてきた。松岡校長から閃恋五院方師を拝命。

  • 【二千光年の憂鬱】Chapter7 Dawn Of A New Order

    ■幻の30年     1950年の朝鮮戦争に始まり、1991年ソ連の崩壊によって終焉するまでの冷戦時代、この41年間は日本の黄金時代、高度経済成長の40年だった。   第二次世界大戦が終わり、アメリカ […]

  • 【二千光年の憂鬱】Chapter6 All about buddha

    今回は仏教について語ってみたい。解脱した釈迦がなぜ、そのまま入滅せずに現世に戻ってきたのか。釈迦以前に解脱した阿羅漢たちとは何が違ったのか。そもそも解脱とは何なのか。仏教ではヒンドゥ教における永遠不滅のアートマンの実在を […]

  • 【二千光年の憂鬱】Chapter5 Good Bye Cruel World

    ■非攻兼愛   あなたは正義の戦争はあると思いますか。 あるいは戦争に正義はあると思いますか。   例えば十字軍、キリスト教徒にとっては、イスラムからエルサレムを奪還するための正義の戦争だっただろう。 […]

  • 【二千光年の憂鬱】Chapter4 Anarchy in JP

    chapter2でロンドンのパンクロックについて少し話したので、日本のパンクについても語っておきたい。長くなるので3回に分けて、お届けしようと思う。   ■パンク黎明期   日本でも、ロンドンに遅れる […]

  • 【二千光年の憂鬱】Chapter3 Roll over nihilism

    諦めてしまう前に、俺たちと組まないか ぶら下がってるだけの、マリオネットのつもりかい シェルターの中に隠れてないで 暗闇から手を伸ばせ 世界を塗り替える、共犯者になろうぜ   ■ニヒリズムという病   […]