ボカロ曲を歌う小林幸子を聴いたことがありますか。
まだならまずは『千本桜』からどうぞ。高速、高音、高気の三位一体の歌声に、度肝を抜かれることでしょう。
実際に対面したサチコサンもまた、ボカロ曲のように高速でした。笑って喋り、喋っては笑う。かと思うと、こちらが話している時はピタッと口を閉じ、ぐっと目を見据える。油断すると射貫かれます。
サチコサンは今や演歌の枠を超えて、ネット界やアニメ界でも自由に羽ばたいています。たまに本当に鳥に乗ってステージに登場します。「小林幸子」と聞けば、誰もが紅白歌合戦のあのド派手な衣装で宙を舞う姿を思い浮かべますが、サチコサンのコンサートに行けば、常に豪華絢爛、光彩陸離。ド派手な衣裳は健在です。
サチコサンは紅白には1979年から計34回出場していますが、実は最初の10年間は、極めて普通の衣装でした。いったい何があったのでしょうか。その「さしかかり」をご本人にうかがいました。
サチコサンはある日、三代目市川猿之助さん(現・二代目市川猿翁)のスーパー歌舞伎を観ていました。感激屋ですからね、すっかり魅せられてしまった。で、そのまま伝手を頼って楽屋へ突撃。
《感動しました! 私もスーパー歌舞伎のような衣裳を着たいのですが、マネしてもよろしいですか? 十八番の宙乗りもやらせていただきたいんです!》(『ラスボスの伝言』小学館)
ここからド派手伝説が始まりました。
すっかり意気投合した二人は、よく一緒に食事をしていたそうですが、あるディナーの席で、猿之助さんから幸子さんに唐突に「問い」が投げかけられます。
《幸子さん、型破りってどういうことかわかりますか?》(同前)
誰もやったことがないことを、といってやるのは、「型破り」ではなく、ただの「型なし」だと猿之助さんは諭します。代々受け継いできた「型」を全部わかった上で、新しいことに果敢に挑戦する。これが歌舞伎の「型破り」である、と。
サチコサンさんはピンと来たんだそうです。あなたの基本(演歌)を大切にしなさいよ、その上で挑戦を続けなさいよ。そう背中を押してくれているのだと気づいた。
英語の出来る関西人の女の子に、学生時代、コンコンと説教されたことを思い出しました。
「語学をマスターしよう思うたら、コツは我慢すること。目の前にコップがあるとするでしょ? そこに水を溜めるの。ちょっと溜まったからって飲んだらアカン。溢れるまで待って。それが語学のコツやで」
水を上まで溜めるとは、完全に理解したとなるまで踏ん張れ、ということです。せっかちなジャイアンはいい加減な理解で見切り発車するので、最後は寄る辺を失いグダグダになる。いわば「型なし」です。
幸子さんのコップには、水が溜まっていた。11歳から磨いてきた演歌という型があった。だからボカロであろうがアニメであろうが動じない。型を破って飛び出していける。
紅白の衣裳も、当時は「あの衣裳はやりすぎじゃないか」と叩かれたそうです。でも型があるから気にならない。まだまだいける、とアクセルを踏み続けた。最近はネット界隈やコミケにも出没し、「ラスボス」として人気を博していますが、これも型破り。
言ってましたよ。いつも「今」がいちばん面白いって。
型を守って型に着き、型を破って型へ出て、型を離れて型を生む。
イシスの守の型もコップの水と同じです。38番のお題すべてに真剣に向き合えば水が溜まる。さあ、あなたならどうします?
サチコサンなら一気に飲み干し、『千本桜』を歌うでしょう。守の学衆なら破でぶちまければいい。水がなくなってしまうって?
大丈夫、また型に戻ればいいのです。
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