汁講鍋からその先へ―50[守]

2022/12/26(月)08:23
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「汁講鍋の残りで〆の雑炊をつくろう」
未だ温もりが冷めぬ汁講の翌朝、厳選タングル教室の勧学会に学衆の細井あやがスレッドを立ちあげ、呼びかけた。待っていたかのごとく、学衆たちの発言がつながった。「それぞれの土地の味わいが加わって、滋味深い雑炊ができあがった」と一同で称えあった。「汁講鍋の底に見事に残る!」と、交わし切れなかった問答を鍋に残る出し汁や具材に見立てたからこそ、投稿が加速したのだ。

 

 汁講の直前、師範代の川村眞由美は、学衆に幾つかのお題を出した。その中のひとつが「『厳選タングル教室』を一冊の本に見立てよ」というものだった。

『足摺り水族館』panpanya
「なんとも言えない不思議な感じの本なのですが、ずっと気になっ
 て手放せないのです」と師範代の川村。「私にとって、この教室も
 同じです」と誇らし気だ。

 

エモーショナル・デザイン 微笑を誘うモノたちのために
『人を賢くする道具 ――インタフェース・デザインの認知科学』
 ドナルド・A・ノーマン
「道具のあり方について書いた本です。良い道具も使いよう。私た
 ちが学んでい方法も同じ。ちゃんと使えるようになりたいです」と
 細井は方法に一途だ。

 

『ちか100かいだてのいえ』いわいとしお
 子どもの本棚から絵本を持ってきたのは、学衆の青井隼人だ。「こ
 の教室は、ふだんは静かなのに何が出てくるか分からない感じがあ
 る。地下に降りていくほどに賑やかになっていくこのお話がぴった
 り」と目を細める。

 互いの本と語りに引き込まれていく。その本に結実するまでに、当人に去来したであろう稽古への切実に想像を飛ばすひとときとなった。見立ては、一見関係ないものを別のものにあてはめて表現する方法である。ふたつの物事の間に思ってもみない関係線を見つけることができれば、かえってそのものの本質を伝えることがある。

 

 「実際に会ってみると、テキストから想像するみなさんと一致していました」との声もあった。さらに「初対面のはずなのに、すでにお互いのことを知っていて、話題も尽きない。なんとも不思議で心地のいい時間でした」と青井が汁講を振り返った。型を介して、問感応答返を積み重ねてきた厳選タングル教室の学衆たちの間には、既に堅い関係線が引かれていたのだ。見立てと対話によって、滋養豊かな教室のプロフィールを確認しあい、今やその先のターゲットに向かって、新たな料理がはじまっている。

 

 

 

2022年12月16日(金)開催の厳選タングル教室汁講に参加したのは、学衆の細井あやさん、
松浦克太さん、青井隼人さん、
M.Sさん、川村眞由美師範代、石井梨香番匠、師範阿曽祐子。

  • 阿曽祐子

    編集的先達:小熊英二。ふわふわと漂うようなつかみどころのなさと骨太の行動力と冒険心。相矛盾する異星人ぽさは5つの小中に通った少女時代に培われた。今も比叡山と空を眺めながら街を歩き回っているらしい。 「阿曽祐子の編集力チェック」受付中 https://qe.isis.ne.jp/index/aso

コメント

1~3件/3件

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。

山田細香

2025-06-22

 小学校に入ってすぐにレゴを買ってもらい、ハマった。手持ちのブロックを色や形ごとに袋分けすることから始まり、形をイメージしながら袋に手を入れ、ガラガラかき回しながらパーツを選んで組み立てる。完成したら夕方4時からNHKで放送される世界各国の風景映像の前にかざし、クルクル方向を変えて眺めてから壊す。バラバラになった部品をまた分ける。この繰り返しが楽しくてたまらなかった。
 ブロックはグリッドが決まっているので繊細な表現をするのは難しい。だからイメージしたモノをまず略図化する必要がある。近くから遠くから眺めてみて、作りたい形のアウトラインを決める。これが上手くいかないと、「らしさ」は浮かび上がってこない。