モノづくりから、物語づくりのナゴヤへ-「ナゴヤ面影座」の芸と道

2021/11/12(金)14:00
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 世界を眺める〈方法〉の旅。〈あいだ〉を展く、〈あいだ〉に遊ぶ。都市の物語を駆動していく。-遊刊エディスト読者ならば思わず目を瞠るコンセプトを掲げ、毎年秋に名古屋市で開催されているのが「やっとかめ文化祭」だ。尾張徳川家の藩主徳川宗春は幕府の緊縮財政に抗して芸能を重んじ手厚く保護した。名古屋は「芸どころ」と呼ばれ、大名から庶民までさまざまな芸事を愛でてきた。これに肖り、伝統芸能の公演や町の歴史を学ぶ講座を通じて名古屋の「小さな物語」を編集し発信する祭典だ。

 中でもひときわ異彩を放つのが「ナゴヤ面影座」の企画だ。産業や経済と文化の「あいだ」を編集し、この地域に「目利き」や中世の「同朋衆」のような集団を育てていくことはできないか-そんな名古屋市文化振興室からの与件に応え、イシス編集学校の中部支部である曼名伽組の有志が中心となって旗揚げしたのがナゴヤ面影座である。

 

 荒子観音に岡井隆と松岡正剛を迎え、能楽師の安田登は大須で「夢十夜」を舞った。佐治晴夫の量子論と不思議の国のアリスの講義がパイプオルガンの演奏とともに日本福音ルーテル復活教会に響きわたり、名古屋城本丸御殿にエバレット・ケネディ・ブラウンの湿版光画を掲げて茶会を催した。本條秀太郎は都々逸発祥の地・熱田の白鳥庭園に集まった人々をたちまち「俚奏楽」の虜にした。当代一流の客人を招いて名古屋のトポスと一種合成し、名古屋に潜む記憶や文化の原型を発見していく。それが、面影座が連打してきた方法だ。

 

 チケットは瞬く間に売り切れ、面影座の会場はいつも満員の「密」な空間だった。それが昨年からは一転、新型コロナウイルスの感染拡大により「やっとかめ文化祭」の多くの企画は中止、またはインターネット配信で開催となった。

 「制約の中で、いかに遊びきるか」。曼名伽組の小島伸吾組長は芸術や芸能に自粛という逆風が吹きつける状況をこそ編集の契機とした。2020年にはさっそく名古屋の俳人・馬場駿吉がアルチュール・ランボオの『イリュミナシオン』を独吟連句に見立てた詩に、ファゴットと打楽器による演奏、小島による影絵を組み合わせた。変更されたルールを逆手に取り、映像というツールにしかできない表現を巧みに編集したのだ。

 

 そして今年の面影座はうた、能、科学、詩、映像という、過去6回の面影座で先達から学び、実践してきたテーマを、一途に演劇という表現で編み直すことに挑んだ。選んだ演目は三島由紀夫の『近代能楽集』から『卒塔婆小町』と『葵上』。進歩や調和といったターゲットに向かって一直線に邁進しながら、自らのベース、「本来」を消失させていく戦後の日本に三島が抱いていた違和感と、リスクを恐れて不安や傷つきを排除してばかりの現在の日本が重なる。『面影実験劇 卒塔婆小町・葵上』は光、音楽、カメラワーク、アニメーションと、動画の持つ要素と機能をフル活用して三島の夢幻能を再編集した。(ちなみに小島組長自身も役者というロールに挑戦している。)

 

 面影座が揺さぶりをかけるのは私たちの「自己」や「世界」の見方であり、突きつけるのはその多様さだ。ランボオが「<私>というのは、一人の他者です」と言ったように、一人ひとりの中にある多様性、「たくさんのわたし」を見つけていくこと。三島の戯曲にさまざまな解釈を可能にする余白が残されているように、一見ばらばらに見えるものにつながりを見出し、新たな物語をつぎつぎに生み出していくことが、面影座がめざす「一途多様」だ。

 パンデミックはこれまでの「当たり前」をひっくり返し、世界に新たなルールを作ることを強いた。モノづくりの技で世界と日本の産業と経済を牽引してきた名古屋に、面影座の自分と世界を編集する<方法>が波及していくことを、願ってやまない。

 

『面影実験劇 卒塔婆小町・葵上』

https://www.youtube.com/watch?v=EzguIRmHw4g

 

舞台美術の影絵をどう撮るか綿密に打ち合わせ。撮影監督の木藤良沢氏の技が冴える。

 

冒頭の公園シーン。老婆役の山内拡氏と詩人役のエリ氏がアヤしく登場。

山内氏は主役、演出、映像編集すべてを担った。

 

下手のカメラ担当は米山拓矢氏。何をお願いしても安定感ある仕事っぷり。

舞台管理には野村浩史氏が活躍。

 

謎の旅芸人?として出演したのは貴ボー氏。幽玄な謡いが劇的効果を上げた。摺り足がうまくできなかったと反省している。

笙とトイピアノを演奏しているのは、オーリー&ジェイソン。プロです。

 

途中からエリ氏が老婆役に早変わり。エリ氏の熱演は大女優の風格。惚れます。

 

山内氏と小島氏が現場でガチ演出。用意と卒意の現場編集。撮影の木藤氏へ無理難題が

 

逆風であればあるほど燃える面影座。演劇という別様の可能性に挑んでみました。

 

Photo by 大野

  • 石黒好美

    編集的先達:電気グルーヴ。教室名「くちびるディスコ」を体現するラディカルなフリーライター。もうひとつの顔は夢見る社会福祉士。物語講座ではサラエボ事件を起こしたセルビア青年を主人公に仕立て、編伝賞を受賞。

コメント

1~3件/3件

川邊透

2025-07-01

発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。