[週刊花目付#29] 虚に居て実を行うべし

2022/05/17(火)19:24
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週刊花目付#29

<<36[花]

 

■2022.5.14(土) 37[花]入伝式

 

 花伝所のカリキュラムはライブに始まってライブに終わる。
 37[花]入伝式に集ったのは、5道場30名の入伝生、5名の花伝師範、10名の錬成師範、花目付、所長、校長、他。折りからの乱世のなか、豪徳寺ISIS館はzoom回線によって各所とバーチャルに結ばれ、一座が一期に建立した。

 

 さてそもそも、なぜ人は集うのか
 その時その場でなければ交わすことのできない情報を、生命は文化に遊びながら歴史のなかで語り継いできた。「わたし」とは、それら情報の継承と蓄積によって編み上げられた編集的現在なのである。

 もしもこの世界に何か「かけがいのないもの」があるとしたら、それはライブでしか交換し得ないものであるはずだ。イマココ(INside-Here)は全ての「来し方行く末」に内属しながら、未だ見ぬ別様(OUTside-There)の「来し方行く末」を外包している。その既知と未知とを往還するために、人は場を設え、時を共にし、事を運ぼうとしてきたのだろう。それゆえ、あらゆる儀式には次第編集の洗練が求められ、参集者には儀礼とカマエが要請されてきた。

 

 かくして、花伝式目はダウンロードもコピペも不可な口伝奥義の型をとる。

 

ミメーシスしあうための往還工学_中村麻人師範

 

◆今や花伝所のエース中村麻人花伝師範による編集工学講義「ミメーシスしあうための往還工学」は、型を語り継ぎながら方法日本を語り重ねる編集冒険の端緒を開いた。
◆リバースエンジニアリングとは、「再現」「再演」「再生産」である。そこには「模倣」「まねび」「擬き」「肖り」「準え」「ミミクリー」「相似」「物学」が躍如し、「ふるまい」「しきたり」「いのり」を想起させ、仕組みやシステムごとを継承して行く。
◆中村は、自身のルーツでもある伊勢の式年遷宮を、日本的継承モデルの典型として示した。型は壊れるものであること。その偶然はノイズとして排除すべきものではないこと。それゆえ、状況に合わせた保守の方法を継承してきたこと。そうしたシステムごと継承するためには、「あらわれ」から「成り立ち」を推測する往還工学が求められること。畢竟、日本的継承は他者によって代行することのできない口伝スタイルへの親和性が高い。

 

 個性や多様性という主題を、人間のみならず国やウイルスまでもが主張しあう時代に、私たちは他者や異者とどう関係して行けば良いのか?
 環境と我が身について深く考えるほどに、文化や歴史や生命の「型」のなかで生かし生かされあっているこの宇宙の壮大な相互編集の営みに気づかされる。
 「師範代になる」とは、こうした編集的な世界像をイメージすることであり、そのうえで世界と関係していくための「ふるまい」を学ぶプロセスなのだ。

 

 この「師範代プロジェクト」と呼ぶべき編集道を、37[花]は今あらためて「方法日本」というフィルターで捉え直すことを志そうとしている。
 その作業は、世阿弥に肖った講座名「花伝所」を戴く者にとって、まさに文字通りの「稽古」であり、いわば「セルフ・リバースエンジニアリング」する往還工学的自己の出来(しゅったい)なのである。

 

エディティングモデルの交換_安藤昭子専務

 

◆編集工学研究所専務安藤昭子の講義はいつも、見晴らしの良いパースペクティブを提供する。膨大かつ縦横無尽にコンパイルされた情報が、高速かつしなやかにエディティングされ、明瞭かつ暗示的にオーディエンスの情報交換回路をノックする。安藤のエディティングモデルが、聴く者のエディティングモデルを解放するように作用するのだ。
◆方法日本は、「エディティング・モデルの交換」構造をそのまま文化として生かしてきた。日本語がその言葉の背後にある文化的文脈ごとの交換を促し、その手続きや次第がいちいちのプロセスを分断せず変化変容ごとの交換を運び、そうした身体感覚を含めた編集構造ごと「まねび」が継承されてきた。
◆私たちは、私たち自身のエディティングモデルを自覚する必要がある。自覚なき方法は社会通念に負ける。乱世に地殻変動する数多の主題を、恐れずに取り込んでエディティングモデルを更新せよ。困難や苦手に遭遇したら「松岡正剛」のモデルを借りよ。入伝生への餞のメッセージは、エディティングモデルごと転写され、次代での交換を誘うだろう。

 

イメージメント_方法日本編_吉村堅樹林頭

 

◆編集の国ISISには方向性だけが示されている。林頭吉村堅樹は、J・G・バラードが「人類に残された最後の資源」と呼んだ「想像力」に「6つの編集ディレクション」を重ねて、ISISモデルイメージメントを指し示した。そのBPTは、グローバルスタンダードである資本主義モデルのように利潤や利便、合理性や生産性を指向するばかりのスタティックなプロフィールを描かない。資本主義モデルのBPTは、イメージメントの欠けたマネージメントなのだ。
◆さて方法日本のBPTは、イノリミノリを予祝するように、世阿弥の「能」が「能(よ)くする」を含意するように、ターゲットへ向かう「道」の行程や手順の其処此処にイメージメントが横溢している。その例示として吉村は『日本的文芸術』を引きながら、

a) 柿本人麻呂の、言霊への感応とその遠心波及力

b) 松尾芭蕉の、「虚にいて実を行う」日本語による日本的文芸術への試行錯誤

c) 鶴屋南北の、「世界定め」に絡まる「世界擬き」あるいは「世界遊び」への展開

の3例を紐解いて共読を促した。
◆方法日本は、常にイマジナティブな虚数空間でアブダクティブに「ルール・ロール・ツール」をイノベートしてきたのである。

 

 思えば人麻呂の時代も乱世だった。白村江の戦いで敗れた倭国は、「日本」なる国家を急ぎ仮設しなければならなかった。自己は非自己によって型どられるのだ。
 下って、芭蕉の世は徳川幕府が安定期へ向かっていたが、巨大帝国の明が滅亡し、グローバルスタンダードが崩壊するなかで「日本らしさ」の自問が迫られていた。そして、先人の築いた参照モデルを受け継いだ南北は、原型を鋳型にワールドモデルをReプレゼンテーションしてみせたのである。
 
 中村→安藤→吉村による「方法日本語り」が、こうして繋がった。

 この3本の編集工学講義による編集冒険を、花目付は入伝生にどこまでナビゲートできただろうか。次第に伏せた「問」に遅かれ早かれ感応し、感染し、継承され、再表象へ向かう様を、これから始まる式目演習を通して見守りたい。

 

編集工学とインタースコア_松岡校長

 

◆何かについて「わかった」と思ったとき、そこでは何が起きているのか? ワカルはカワルを連れてくる。そのカワルを、初めから想定しておく必要がある。虚にいて、herethereのみならずanotherへのイメージメントを起こさなくてはならない。
◆「セルフ(自己)」はカワルの邪魔をする。主語を揺らし「たくさんのわたし」を用意しなさい。IF/THENの思考をもち、AND/OR/NOT状態のレパートリーを置きなさい。3Aもイメージメントもミメーシスも、そこからでなければ起こらない。カワルは「変わる」だけではなく、「代わる」「替わる」でもあるのだ。

◆世阿弥は評価の言葉をつくった。伏せて開けるために次第を用意した。虚にあって動く型が型を型取り、型によって型が運ばれる。生命は始めにをつくって多様性を生んだが、多様性から編集された型は最後に膜を仕上げて世界へ接地する。そのインタースコアの最前線で5Mが求められている。

 

 花伝所が5Mの修練を引き取っているのは、「人」を育成するからだ。人こそが、生命の生んだ多様性を継承しており、意味を生きたまま運ぶメディアであり、虚実を往還する皮膜となって別様の可能性に接している。
 これら一連の継承モデルが、日本という方法によってメタフォリカルに示されているのだ。

 

 

■2022.5.16(月)

 

 5道場に第1週目の課題が配信され式目演習が始まった。6名が即日回答で応じている。
 37[花]の「e-馬力」と「e-トルク」はプレワークから引き続き、観測史上最高値を更新し続けている。発言の活発さに内容の充実が伴っていることも頼もしい。

 

 講座設営の面から言えば、今期は連想仮説を持ち込みやすいようにいくつかの細かな改編を施している。それがこれまでのところ功を奏しているように見える。指導陣もそれに応えて、機を逃さずに差し掛かるカマエが充溢している。
 満員御礼の一座建立、初動は上々。問感応答返の連環と、イノリとミノリの往還が、今期も開幕した。

 

写真:後藤由加里

アイキャッチ:阿久津健

 

>>次号


  • 深谷もと佳

    編集的先達:五十嵐郁雄。自作物語で語り部ライブ、ブラonブラウスの魅せブラ・ブラ。レディー・モトカは破天荒な無頼派にみえて情に厚い。編集工学を体現する世界唯一の美容師。クリパルのヨギーニ。