持たざる水戸の皇国史観:片山杜秀【AIDA04】

2021/10/12(火)10:21 img
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2020年10月から翌3月にかけて、豪徳寺・本楼でHyper-Editing Platform[AIDA]SeasonⅠが開催されました。全六講のうち、第二講ではジャーナリストの石弘之第三講は建築家の隈研吾第四講は進化生物学者の倉谷滋、第五講は政治学者の片山杜秀がゲスト講師として参加。「AIDA考」では、代将・金宗代が各氏の編集方法を取り出しながら、講義のエディティング・レポートを連載します。

 

 ファシズムを語る。ボレロを歌う。高橋悠治をモノマネする。片山杜秀はそんな「本の芸人」である。その編集的芸風を一言でいうと、「ないもの」に熱烈に注意カーソルをそそぐアブダクティブ・アプローチというものではないだろうか。

 もともと「アブダクション」という思考方法には、「ないもの」すらも仮説にもちこむことができるという際立った特徴がある。じつは編集キーワードの「ないもの」とアブダクションは親和性が高い。片山はその「ないもの」を「ベース」(B)として仮説を組み立てるケースが少なくない。

 

 たとえば、課題本の『未完のファシズム 「持たざる国」日本の運命』はその分かりやすい一例だ。タイトルの「未完」と「持たざる」が、まさに「ないもの」である。「持たざる国」を「ベース」(B)に、「未完のファシズム」を「ターゲット」(T)に据え、日本近代史においてこれまであまり注目されることのなかった「日本の第一次世界大戦」という歴史の「プロフィール」(P)を抉り出していくのが本書のB・P・Tだ。

 もう一冊の課題本『鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史』も同様のことが言える。「鬼子」とは「望まれざる子」という意味である。ここにも「未完」「持たざる」と似たようなニュアンスの「ないもの」が漂っている。また、前口上に書かれているように、本書のキートピックであり、日本音楽の近代化を担った「東京音楽学校」の特徴についても「それは作曲科をずっと欠いていたこと」として取り上げている。

 こうして「欠けているもの」「ないもの」という入場のファンファーレが鳴り響けば、片山の文芸と話芸は、激しく咆哮するゴジラのように、もう誰も止められない。

 講義の冒頭では『鬼子の歌』の中の「第8章 深井史郎の交響的映像『ジャワの唄声』」と「第9章 山田一雄の『おほむたから』」が取り上げられた。『ジャワの唄声』と『おほむたから』という楽曲をめぐって、ここで片山がどのようなアブダクティブ・アプローチをとっていたかを確認するために、編集工学レクチャーでも紹介した千夜千冊1566夜『アブダクション』(米盛裕二)の三箇条をあらためて引用する。

 

  •  ①隠された意味をあらわし指し示すための概念化
  •  ②検索する自己を励起するための概念化
  •  ③退行した精神(effete mind)を広い解釈領域に転換するための概念化 

 

 はじめに①の「隠された意味をあらわす」に着目したい。これは言い換えれば、「どんな問いに注意のカーソルを向けているか」ということだ。

 一曲目の『ジャワの唄声』を例にとると、片山はまず取っ掛かりに「なぜラヴェルの『ボレロ』と似ているのか」という問いを立てた。さらに続けて「なぜ日本の民謡と似ているのか」「深井史郎とはどんな作曲家なのか」というふうに次々と「隠された意味」を明け伏せしていく。しだいに「音楽的日本近現代史」の片鱗ともいうべき「③退行した精神」がむくむくと立ち上がってくる。

 「②検索する自己を励起する」は、これは片山のすべての思索に通じることだが、書籍タイトルでも明言しているとおり、「偏愛的」であることでカヴァーしている。この『ジャワの唄声』の話の終盤においても「だからどうしたということでもないのだけれども、そういうことに気がつくとやっぱり非常に嬉しくなってしまう」とニコニコ笑顔で断りながら、大東亜共栄圏の正当化に使われた『ジャワの唄声』を戦後の東映の娯楽映画において、深井史郎がひっそりと日本語の歌詞をつけて時代劇の挿入歌として再利用していたという話を持ち出すあたりにフェチっぷりが横溢している。

 次の『おほむたから』の話は、アブダクション三箇条の該当箇所をいちいち記すことはしないが、①〜③のアブダクティブ・アプローチを意識して読んでいってもらいたい。

 『おほむたから』は、終戦前の「1945年1月1日」に発表された。その1月中にたった三度だけ演奏されたのみで、その後はまったく演奏されていないどころか、長らく譜面がどこにあるのかさえ分からなかった。譜面等の資料が見つかったのは、この曲の作曲家である山田一雄が亡くなったあとのことだ。つまり、戦後からしばらくの間、ずっと「隠された曲」だった。

 『ジャワの唄声』が『ボレロ』のアナロジーであるように、『おほむたから』は「マーラーの『交響曲第5番第1楽章』」を下敷きにしている。山田一雄は、マーラーの直弟子であり、「東京音楽学校」の教授だったクラウス・プリングスハイムが指揮をとった『交響曲第5番』の演奏を聴いて、音楽家になることを志したと言われている。

 山田一雄にとってそれほどに思い入れの深い曲であるとともに、じつは『交響曲第5番第1楽章』が「葬送行進曲」であるという事情に、この曲をモデルに作曲した作り手の「隠された意図」が潜んでいる。

 『おほむたから』は、「1945年1月1日」に発表された。「葬送行進曲」であり、しかも曲中では「天台声明」のメロディーが頻繁に使われているという。そして、極め付きのシークレット・メッセージが「おほむたから」というタイトルに隠れている。「おほむたから」とは「天皇の民」という意味である。はたして山田一雄は『おほむたから』に何を託そうとしたのだろうか。

 そもそも「天皇の民」という考え方は、この日本という国にいったいどのようにして根づいていったのか。この問いこそが今回の講義のメインテーマであり、話はそのまま一挙にして水戸イデオロギーを突き抜けていく。

 江戸時代、水戸藩から生まれた「水戸学」という思想が、近代日本の天皇中心のナショナリズムというかたちで日本という国ができてくることの大きな前提になった。「水戸学なくして尊王攘夷運動なし」という標語は、歴史の一つの定説になっている。

 その水戸藩もまた「持たざる国」だった。「持たざる国」だったからこそ、徳川光圀は『大日本史』編纂という特異なプロジェクトを実行し、そこから水戸学が発生した。どれほどに水戸藩が「持たざる国」だったのかを片山は切々と語った。

 やはり「ないもの」が片山の語りの「ベース」(B)になっている。さらに「プロフィール」(P)と「ターゲット」(T)は、一貫して史的レトロダクションを駆使する。「レトロダクション」は、「戻ってくるように推論を仕上げる」という方法であり、アブダクションのもう一つの大きな特徴である。

 

 「持たざる水戸」の特徴をごくごく掻いつまんで説明すると次の5点に絞られる。

 

  •  ①徳川光圀は「次男」であるにもかかわらず、藩主を継承した。これは儒教精神からすると大きな逸脱である。
  •  ②水戸徳川家は「天下の副将軍」と呼ばれ、「御三家」の一つに数えられながら、それはほとんど名ばかりの位階に過ぎなかった。
  •  ③水戸藩は尾張・紀州徳川家と比べても明らかに石高が低く、農業生産に恵まれたエリアではなかった。貧しかった。
  •  ④にもかかわらず、いざというときには将軍のために先頭に立って死に戦に出なければならなかった。
  •  ⑤参勤交代では「江戸定府」として大きな経済的負担を強いられた。ただし、政治的権限は小さかった。

 

 このように「ひどい目にばかり遭わされるばかりで見返りが少ない」過酷なミッションを背負ったことで、いわば「異常な精神状態」の中で徳川光圀は『大日本史』編纂プロジェクトに命懸けで取り組んでいくようになった。

 水戸学は結果的には「皇国史観」という思想を日本に根づかせる役割をおったわけだが、その歴史的な評価はいったん置いておくとして、これは見方を変えれば、新たな「編集的社会像」を作ろうとした運動であると捉えることもできる。

 そのことを念頭にいまいちど、編集工学レクチャーの「6つの編集ディレクション」の型を思い出してほしい。

 この「6つの編集ディレクション」の型を通して読み替えることで、水戸学は「歴史の片鱗」から「方法のヒント」に切り替わる。「方法としての水戸学」が浮上するはずである。

 水戸藩あるいは水戸学にとって「可能性を増やす」とは何だったのか。「人や場を生き生き」とさせる工夫はあったか。「よくよく練られた逸脱」に向かえたのか。水戸学の「6つの編集ディレクション」とは何か。明日の編集的世界像を考える恰好の編集稽古として、大胆な3A解読に臨んでもらいたい。

 

写真:後藤由加里

 

 

 


  • 金 宗 代 QUIM JONG DAE

    編集的先達:モーリス・メーテルリンク
    セイゴオ師匠の編集芸に憧れて、イシス編集学校、編集工学研究所の様々なメディエーション・プロジェクトに参画。ポップでパンクな「サブカルズ」の動向に目を光らせる。
    photo: yukari goto