【AIDA】「見えない桜色」を見るチカラ 河本英夫インタビュー全文掲載

2022/04/03(日)10:15
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「アジの開きと目玉焼きを嘔吐しました」。ゲストセッションの冒頭、このあまりにも意外すぎる一言で座衆の注意を一挙に攫った。ウンベルト・マトゥラーナ&フランシスコ・ヴァレラの『オートポイエーシス』(青土社)の翻訳プロセスで起こった不思議な出来事を嬉々として語ったのは、Hyper-Editing Platform[AIDA]Season02「メディアと市場のAIDA」、第4講のゲスト、オートポイエーシスの第一人者・河本英夫さんだ。
松岡正剛座長、ボードメンバーの田中優子さん、大澤真幸さんが加わって、四名丁々発止を繰り広げた「最終セッション」では、「身体性」「身体性を巻き込むメディア」というキーワードが浮上した。荒川修作や勅使川原三郎をはじめ、多くのアーティストやダンサー、舞踏家たちと親交を深め、独自の思想を展開してきた河本英夫から見た「身体性」と何か。「身体性を巻き込むメディア」とは何か。セッション終了後にインタビューを実施した。

なお、文字数上限の都合、AIDAサイトではやむなく割愛された部分も含めて、エディスト版では全文掲載する。第4講の全体のカリキュラムについてのレポートはすでにエディストに掲載されている(【AIDA Season2 第4講!】ニクラス・ルーマンと河本英夫のAIDAで「オートポイエーシスの社会システム」を学ぶ)。

 

[interviewer:金 宗代]

 

 

―――今日のAIDAセッションは「身体性」というキーワードが最後に出て締めくくられましたね。河本さんがおっしゃっていた「身体を巻き込むメディア」についてもう少し詳しくお聞かせいただけますか。

人間の認知能力の中で現代人がいちばんよく使っているのは、基本的には「目」ですよね。圧倒的に「目」というものに寄りかかった能力の使い方、経験の使い方をしています。それに対抗できる根本的な能力は何かというと「触覚」です。

触覚というのは、例えばこれに触ります(と、テーブルに触れる)。すると、ツルツルしているか、少しザラザラしている、と感じる。通常の大人であれば、だいたい4000種類くらい区別ができると言われています。そうとう細かいことまで分かるわけです。

だけど、例えば早く動かすと、早さに応じて多くの感覚を無視していく。その「無視していく」というのは、ある意味で「創造的無視」です。つまり、身体の動きに必要な限りのものしか受け取らないようにしている。

 

―――「創造的無視」というのは、つまり無意識のうちに触覚にフィルターをかけているということですね。

「視覚」と「触覚」の違いについて、別の例をあげると、たとえば、体操の内村航平選手はどういう身体感覚を感じ取っているのか。これはテレビで見ていても分からない。実際に彼の技の近くまでいかないと本当は分からないはずなんです。

もっと簡単な例を挙げると、バラの棘は手で触れば痛い。ところが、バラを目で見て「目が痛い」と言う人はめったにいない。ということは、「触れる」という経験は視覚的な経験とはまったく別の仕組みを持っている。

棘の「痛み」とか、あるいは、その痛みを感じながらゆっくりと時間をかけて力を抜いて棘をスッと抜くとか、身体の活用の細かさや度合いというのは、触覚を巻き込まないと形成されない。「身体を巻き込む」というのはそういうことです。

触覚的な働きをするのは、味覚や嗅覚もそう。だって、普段の10倍辛いカレーを食べれば、どうしても身体が反応しちゃうでしょう。音も本来は振動だから、音として聴覚的に聞こえなくても、皮膚で受け取っちゃっているんですよ。50ヘルツ以下の低周波だって、振動として身体で受け取っている。

 

photo:後藤由加里

 

―――耳が聴こえなくても身体で音を振動としてキャッチすることができるんですよね。

けれども、現在の経験の作り方というのは、視覚ばっかり使っていますよね。なぜなら、それが最も便利だからです。ただし、視覚中心の経験はすぐに飽きる。それなら、もっと別の経験の仕方をしてもらえるような場所やメディアが作れないだろうかとよく考えます。

たとえば、家。なぜ家なのかというと、実用的な理由があります。日本ではまもなく60歳以上の方の5人に1人くらいは認知症になると言われています。認知症の大きな問題のひとつに「自分の身体を自分で感じられない」ということがあります。

たとえば、熱いものを熱いと感じられない。それとは知らずに50度ぐらいの熱湯風呂に入ってしまって、肌が真っ赤にただれているのに本人は全く感じられないということもある。こういうとき、どんな工夫をすればいいのか。生活の中での本人の選択肢の広がりを作るときには、やっぱり触覚にどう働きかけるかという点をよく考えなくてはいけません。

 

―――「身体性」という点では河本さんはずっと舞踏家やダンサーの活動にも深く関わってきましたよね。

舞踏というのは、近くで見ていても何をやっているのか、よく分かりませんよね。舞踏には、実は「重心を動かす」といった「見えない動き」があって、見えないところでダイナミックな変化を作り出しているのですが、見た目では何が起こっているのかよくわからないようになっている。ほとんど訓練がいらないようにも見える。つまり、間口は広いのに、奥行きは際限なく深い。

先ほどのセッションでも松岡さんと話しましたが、こういう舞踏のような経験の機会をメディアやワークショップの中に仕組むことができないだろうかということをずっと考えています。親友の勅使川原三郎さんがそれを実践しています。

 

「オブセション」@Bunkamuraシアターコクーン(2010/5/20~5/23)

 

―――私事になりますが、勅使川原さんは学生時代の恩師です(笑)。ビデオアートの制作を指導してもらっていました。確か人生で初めて見た勅使川原さんの舞台はシアターコクーンで見た「オブセション」だったと思います。衝撃でした。

立教大学に勅使川原さんを連れてきたのは私です(笑)。勅使川原さんの稽古場が亀戸にありますね。「稽古場に通っているのはどんな人なの?」と彼に聞いてみたら、七割くらいは普通のサラリーマンだと言っていました。つまり、ほとんどの人がプロのダンサーを目指しているわけではない。何をしに来ているのかといえば、自分の身体をリセットする機会を求めて稽古に通っているのだそうです。

 

―――大学のワークショップの授業でもやっていた、小さくジャンプしながら身体を分解していくような稽古ですね。勅使川原さんが「みんな、呼吸がうまくないね」と言っていたのをよく覚えています。

それが勅使川原三郎という人の方法なんですよ。深〜く吸えるだけ息を吸って、ばーっと体を伸ばす、吐くときはふーっとゆっくり吐きながら体をできるだけすぼめる。そうやって身体の振れ幅の度合いを大きくして、身体をリセットしていく。こういう体験ができるような機会を日本中にもっといっぱいつくるべきだと思いますね。

たとえば荒川修作も建築で身体をリセットするための装置として、「三鷹天命反転住宅」を作りました。そこに「住む」ということを通じて身体をリセットする仕組みです。

でも、中国語のパンフレットを見てみると、「不老不死の死なない建築」というふうにも見えるから、観光客がそこに行ってビール買って飲んでるわけですよ(笑)。もちろん、観光で訪問することはまったく構わないけれど、もっと活用法がいろいろとあるはずですよね。「身体を巻き込むメディア」というのは、舞踏みたいなやり方もあれば、建築を環境とするような活用法もある。

 

荒川修作、マドリン・ギンズ『三鷹天命反転住宅 ヘレン・ケラーのために 荒川修作+マドリン・ギンズの死に抗する建築』(水声社)。帯文は河本英夫さん。

 

―――たとえば、職人さんの手仕事も「身体を巻き込むメディア」の一つと言えますよね。

そうですね。そのとき、職人が「何を狙って何をやろうとしているのか」ということを、説教にならないような形で、うまくメッセージとして伝えるのが大切ですね。

たとえば、染め物をするとき、桜のピンク色を染料として欲しいと考える。それで花びらを煮出してみると、あのきれいなピンク色が出る。でも、これをすくい上げた途端、灰色に変わってしまう。色素がすべて壊れてしまうわけです。それなら、桜色の染料ってどうやって取ったらいいのか。どうしたらいいと思いますか?

 

―――え…と、木の皮とかですか。

そうです。でも、桜が咲いてるときにはピンク色が花びらのほうに移ってしまっているから、真冬の雪の中で葉っぱがまったくないときの桜の皮を剥ぐんです。つまり、4月にあれだけの桜色が花びらに出てくるんだったら、冬場には木の全体が桜色に染まってるはずだと考える。この「見えない桜色」を見る力です。こういう「材料のメッセージ」を見る力を鍛錬できるメディアがあるといいですよね。「あっ、こういう世界があるんだ」ということに気がつくだけでも非常に大切ですよ。

 

河本英夫『メタモルフォーゼ オートポイエーシスの核心』(青土社)

 

―――たんなる視覚ではなくて、触知感覚からやってくる「見る力」をどうやって稽古するかということですね。「材料のメッセージ」というとモホリ・ナギを連想します。また、マハトマ・ガンディーも「ナイー・タリム」(新しい教育)という構想で「手仕事」が重視していました。松岡校長はそれを参考にして「大人のための手仕事」を工夫することでイシス編集学校のカリキュラムを組み立てたと話していました。

それでは、最後に「身体を巻き込むメディア」について、今回の課題図書『メタモルフォーゼ』(青土社)の視点からいうと、どのように捉えることができるでしょうか。

本の最後の方に少し書いたんですが、鳥の羽根というのは、もともとは体温調整のためにあるんです。ところが羽根をこうやってパタパタとやっているうちに、何かの拍子でちょっと強くやったとか、早く動かしたとかの理由で、あるとき体が浮いちゃった。「あれ? 何か変なことが起こったぞ、飛べちゃった!」と。身体ってそういう性能を持っているんですよ。

だから、人間だって「触覚的な眼差し」のための稽古を繰り返していれば、メタモルフォーゼが起こりうる。「触覚的な眼差し」とはどういうことなのかという問いを立てて、ある程度の選択肢を設定し、少しずつでいいから前に踏み出していく。

そもそも、人間の知覚は五感だと言われていますが、おそらくは「触覚プラス四つの感覚」というふうに、触覚がすべての基礎になっています。だから「五感」という言い方も直したほうがいいし、知覚の定義も作り替えたほうがいい。

そして「感覚の深さ」にもっと着目すべきです。何度も何度も触覚の稽古を繰り返して、ある程度までいったらそこからまたリセットしてさらに稽古ができるというのが「深さ」なんですよ。こういうところまで立ち入るようなレッスンをAIDAや編集学校でもぜひ組み立てていってほしいです。


  • 金 宗 代 QUIM JONG DAE

    編集的先達:エドワード・W・サイード
    セイゴオ師匠の編集芸に憧れて、イシス編集学校、編集工学研究所の様々なメディエーション・プロジェクトに参画。ポップでパンクな「サブカルズ」の動向に目を光らせる。