“たくさんの「別」”の先にあるものは? 第三の広場「別院」開院!【47[守]week4】

2021/05/20(木)22:00
img JUSTedit

”用法1は、たくさんの「別」である。”

 

「分別のある人」

「悲しい別離」

「格別な時間」

 

別には、いろんな「別」がある。[守]の学衆であれば、「分離」や「区分区別」を意味するこの文字から、用法1「わける/あつめる」を連想するかもしれない。事実、入門者に手渡される用法1の「講義篇」には、この「別」という文字が何度も登場している。例えばこんなふうに。

 

【情報の見方を切り替える(004番:地と図の運動会)】

●まずは「地」(ground)と「図」(figure)のがつかなくてはなりません

●〝通常〟とはの世界や場面(=地)にその情報(=図)を置いてあげれば、たちどころに驚くべき意味や見え方の変化が生じるはずです

 

【分類軸をたてる・動かす(007番:ラベリング・トラベリング)】

●世の中の分類には、人間をや年齢といった属性で分けたり、(中略)『会社四季報』の産業分類や病気の分類…(以下略)

 

【固い分類・柔らかい分類(008番:豆腐で役者を分ける)】

●「創発的」とは、物事が進行していくなかで、それがある臨界値を超え、これまでにないまったくな様相が現れるさまを言います

 

意識的に「別」の地を設定すること、既存のカテゴリーに囚われない「別」の分類軸を設定すること。このような編集で、情報は更に多様に集めることができる。自分では到底思いつかないような他の学衆の回答に心が動かされるのも、その回答がもたらす「創発」に他ならない。

 

用法1は”たくさんの「」の編集稽古”でもあったのだ。

 

 

教室、勧学会につづく、第三の広場

2021年5月20日、イシスの新たな編集システムが明かされた。教室を越えて期の全員が参加する「」である。開講から1ヶ月ほどがたち、用法1から用法2へ向かう頃の開院。この開け伏せ具合もイシスの編集のひとつだ。

 

別院に控えているのは、「[守]護神」と「景山“30点”」と対照的な名をもつ景山和浩番匠と、「料理の先生」から「石牟礼道子」まで、何にでも擬くことができる「”茶”レンジャー」の石井梨香番匠。

 

「番匠」は、学匠とともに全ての教室の動向を見ながら情報発信と全体のコミュニケーションを動かしていく。そのあり方も「かつて諸国から毎年京に上って建築の現場を統括していた職人たち」に語源をもつとされる「番匠」というロール名にふさわしい。

 

この「別院」には、4月26日に開講した定常コース18教室が登録された。5月24日開講する速修コース3教室がしばらく後に合流、47[守]の21教室182人の学衆が集うことになる。

 

教室、勧学会につづくこの第三の広場は、特別で別格な、松岡校長の著書『擬』の副題にもあるように「様の可能性」に満ちた場にこれからなっていく。

  • 上杉公志

    編集的先達:パウル・ヒンデミット。前衛音楽の作編曲家で、感門のBGMも手がける。誠実が服をきたような人柄でMr.Honestyと呼ばれる。イシスを代表する細マッチョでトライアスロン出場を目指す。エディスト編集部メンバー。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。