この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

蠢動が始まっている。
気づいている人はどのくらいいるだろうか。実はこの春幕を閉じた48[守]では、「書く師範代」が次々と出現した。遊刊エディストでのライターデビューが相次いだのだ。
《ちむどんどんするさ~》と学衆インタビュー記事に登場した大濱朋子師範代を皮切りに(大濱は自分の教室の学衆対談も手掛けた)、渋江徹師範代は感門之盟のブレイクアウトルームでの出来事を《編集の糸は縦横に張りめぐらされていた》と驚き、その体験を記事に仕上げた。
[守]の教室と多読ジムを掛け持ちしていた佐藤裕子師範代は、その成果を【三冊筋プレス】のエッセイにまとめた。
「エディターシップ・トライアル2022春」の「編集力チェック」をイシスの型で分析し、記事にしたのが、はらあやこ師範代、秦祐也師範代、畑本ヒロノブ師範代のビジネス戦士の面々だ。はらは回答に滲む《すき》で分類し、秦は回答に対し《「まだ知らない懐かしい場所」を求めているかのようだ》と斬り込んだ。エンジニアの畑本は《わたし擬きのAI》を導入し、新たな可能性を探った。
正式にエディストライターデビューを果たした師範代もいる。
與儀香歩師範代は、《師範代の成長を見守る安心感は船の機関長のようだった》と、森本康裕師範とのチームラウンジの様子を切り取った(チームラウンジのバックヤードを詳細に記事にしたのは、これが初めてだ)。與儀の遊びゴコロ満載のカーソルは、さて次にどんなものを掴まえてくるか。
連載【言語聴覚士ことばのさんぽ帖】をスタートさせたのが、竹岩直子師範代だ。《身近な当たり前ほど未知の温床となり、注意深く観察してみる価値がある》と、羽毛のごとく柔らかなカーソルを手に、「ことばのさんぽ」に出かけるようだ。次はどこで足を止め、覗き込むのか。
彼ら師範代はなぜ「書く」のか。
答えは出ている。イシスの編集道を歩んでいると、たまらなく書きたくなるのだ。編集道とは、言葉をめぐる冒険だからだ。
ではなぜ「書ける」のか。
少なくとも守破を終えれば、その答えがわかる。イシスは、「わたし」を刷新する。
編集稽古が姉妹をつなぐ――48[守]の声(大濱朋子師範代)
競いが拓く、未知と道――48[守]の声(大濱朋子師範代)
兆しを見逃すまい。ブレイクアウト~熱血3姉妹譚【78感門】(渋江徹師範代)
【三冊筋プレス】修羅と恩讐(佐藤裕子師範代)
”分ける”の極意。エディトリアル・レポートvol.1【感知篇】(はらあやこ師範代)
「アンビバレントな’感’の行方」エディトリアル・レポートvol.2【照応篇】(秦祐也師範代)
「わたしを擬くAIに編集される私」エディトリアル・レポートvol.3【共遊篇】(畑本ヒロノブ師範代)
次の港へ向かう「そうてん座」(與儀香歩師範代)
vol.01嚥下【言語聴覚士ことばのさんぽ帖】(竹岩直子師範代)
角山祥道
編集的先達:藤井聡太。「松岡正剛と同じ土俵に立つ」と宣言。花伝所では常に先頭を走り感門では代表挨拶。師範代登板と同時にエディストで連載を始めた前代未聞のプロライター。ISISをさらに複雑系(うずうず)にする異端児。角山が指南する「俺の編集力チェック(無料)」受付中。https://qe.isis.ne.jp/index/kakuyama
コメント
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。