【三冊筋プレス】”つげ”ザーしようぜ〜! 《B面》(金宗代)

2021/10/18(月)10:30 img
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◉目 次◉

 

∈ B面、前菜、バイプレイヤーズ
∈ 「ねじ式」は「ギャグマンガ」か?
∈ 「おかしさ」をつくる六つの要素?
∈ まかりまちがって漫画でめしを食おうと思っている人へ
∈ 「ねじ式」を解剖する
∈ 「ねじ式」の元ネタ
∈ 「ねじ式」から「バカ式」へ、もしくはヘタウマ
∈ つげ義春の創作術 6つのステップ
∈ 手塚治虫の編集稽古① アタマの中のスケッチ
∈ 手塚治虫の編集稽古② 「見えない線」を描く
∈ 似顔絵編集術
∈ いちばん印象に残った体験から物語が生まれる
∈ もう一冊のレジェンドブック 石ノ森『マンガ家入門』
∈ ざっくりギャグマンガ史(おさらい「マンガのスコア」LEGENDs)
∈ 現代マンガ選集のコンセプト…1968
∈ ソーセージともやしを炒めて食べてね
∈ 今もこれから買い物に行くところです

 

 

◎・・B面、前菜、バイプレイヤーズ

 カトめぐと一緒に『情歴2020』(編集工学研究所)の定点観測データを集めているとき、米国でアナログレコードの売上がついにCDセールスを上回ったこと(2020年)を知った。ここ数年でカセットテープのリバイバルにも火がついて、デジタルストリーミング全盛の一方、あらためてアナログメディアが音楽好きから熱視線を浴びている。

 死語になりつつあった「A面/B面」というコトバも、ここにきていよいよ「火の鳥」のごとくよみがえってきたわけだ。今回の三冊筋プレスのタイトルは、「”つげ”ザーしようぜ〜! 《B面》」。ふつう「B面」というと、「メインのA面」に対する「サブ」、「おまけ」「ついで」の「位置づけ」だ。あわよくば、「おいしい前菜」や「別腹のデザート」にはなりえても、メインディッシュには到底およばない。と、そう思われている。

 が、ときに突然変異も起こる。ダークホースだって現れる。はからずもAとBがひっくり返り、B面の方が大ヒットすることもある。通な愛好家たちによる「B面特集」なんて企画が組まれることもままある。

 音楽ではないけれど、遠藤憲一、大杉漣、田口トモロヲ、寺島進、松重豊、光石研ら名脇役ばかりが出演するドラマ『バイプレイヤーズ』の映画版『バイプレイヤーズ 〜もしも100人の名脇役が映画を作ったら〜』はとびきりのB面賛歌だった。それにしても大杉漣の急逝は惜しい。惜しすぎる。

 

 

◎・・「ねじ式」は「ギャグマンガ」か?

 つげザー、つげる、つげさび、つげわび、つげつげしい、つげく。「”つげ”ザーしようぜ〜! 《A面》」は勝手な「ニューワード」をちりばめて、なんとか乗り切った(気でいる)。

 そのSeason06の「旅する三冊」に続く、Season07のテーマは「笑いの3冊」。前回も取り上げた雑誌『スペクテイター』の”ある記事”をA/Bの結節点にして、「ねじ式」や「ギャグマンガ」をめぐる三冊三つ編みにブックアレンジしてみたいと思う。

 『スペクテイター』の”ある記事”というのは、藤本和也と足立守正の対談「名作の読解法ーー『ねじ式』を解剖する」だ。ここに、手塚治虫『マンガの描き方―似顔絵から長編まで』の中で「ねじ式」が「不条理ギャグマンガ」の代表例として取り上げていると書かれていた。

 それを読んでふと、素朴な疑問がわいてきた。「不条理」は分かる。「笑い」ももちろんあるけれど、「ねじ式」ははたして「ギャグマンガ」なのだろうか。

 今にして思えば、はなはだどうでもいいことのように思える。けれど、その時は気になって仕方がなかった。勢いあまって、ちくま文庫の「現代マンガ選集」シリーズの数冊を取り寄せてみた。この全8冊シリーズのうち、つげ義春は3冊で取り上げられ、「現代マンガ選集」のキーマンとされている。

 だが、ギャグマンガを集めた『破壊せよ、と笑いは言った』(斎藤宣彦 編)には、つげの作品はやはり見当たらない。「ねじ式」が収録されているのは『表現の冒険』(中条省平 編)だ。

 

 

◎・・「おかしさ」をつくる六つの要素?

 『マンガの描き方』の「第二章◇案(アイデア)をつくる」に〈2「おかしさ」をつくる六つの要素〉という部立てがある。六つの要素とは「A 奇想天外」「B 不条理ギャグ」「C 日常ギャグ」「D 思考ギャグ」「E スラップスティック」「F だじゃれ」。

 このうち、「B 不条理ギャグ」の代表作に「ねじ式」が取り上げられている。

「不条理というのは、常識の理屈では思いもよらないなりゆきになることだ。奇想天外さには、どこかまのぬけたオトボケがあるが、こっちのほうは理屈もヘチマもない常識はずれのおかしさだから、いささか毒を含んでいる。

 このいい例は、つげ義春さんの『ねじ式』である。理屈にあわない場面や事件が次から次へ出てくるので、読むほうが気が狂ったかと思ってしまう。

 だいたい、不条理ギャグは、一コマの漫画に多く、それも若い新人の作品にすばらしいのがある。ベテランでも、たとえば秋竜山さんの漫画などは、ほとんど不条理なおかしさといっていいほどで、…。

ーーー手塚治虫『マンガの描き方』「おかしさとはなんだろう」

 と続く。つげ義春と秋竜山を同じ「不条理ギャグ」というラベルでグルーピングしている…。

 

 

◎・・まかりまちがって漫画でめしを食おうと思っている人へ

 つげ義春と手塚治虫の二人の関係は、そもそもその出会いからしてなんとなく”ちぐはぐ”していたようにも思える。つげと手塚が実際に顔を合わせたのは二度のみだ。

 《A面》にも書いたけれど、漫画家志望の若きメッキ工員のつげ義春がトキワ荘にまだ一人で暮らす手塚治虫を訪ねていった。それが最初の出会いだった。そのとき手塚はとても親切に応じてくれたとつげはエッセイなどで懐かしげに振り返っている。

 見ようによってはドラマチックな出会いなのだが、つげの目には「$」マークが浮かんでいた。つげの目的は「新人漫画家の原稿料を聞きだすこと」だった。

 いっぽう、手塚は『マンガの描き方』でこんな苦言を洩らしている。「まかりまちがって漫画でめしを食おうと思っている人へ」というヘッドラインのあとにこう続く。

 しかし、現在では、こんな若者が多い。

「プロになると、原稿料、一枚いくらですか?」

 のっけにこう聞いてくる。

「ちばてつやさんは『あしたのジョー』でものすごくもうけたって本当ですか?」

「先生のアシスタントになると月給いくら貰えますか? ボーナスは年何回?」

…描くことの生き甲斐は、生活の確立とか、食うことの保証とか、ましてや、楽をしようなんて欲からは、ほど遠いものものなのだ。

ーーー手塚治虫『マンガの描き方』 「まかりまちがって漫画でめしを食おうと思っている人へ」

 

 

◎・・「ねじ式」を解剖する

 『スペクテイター』の記事に戻る。藤本和也と足立守正の対談「名作の読解法ーー『ねじ式』を解剖する」だ。

 つげ義春は「無意識の作家」とも呼ばれている。その呼称の念頭に置かれているのが代表作の「ねじ式」だ。ストーリーを一言で要約するなら、海でクラゲに刺された少年が医者を探す途中でさまざまな奇想天外な出来事に出喰わしていく…という話なのだが、そう書いたところで何も伝わらない。そのくらいにあまりに脈絡がなく、それが「不条理マンガ」などと呼ばれる由縁でもある。

 そのため、発表当時、詩人や美術家たちが、いろいろ”深読み”をした。マスメディアでも盛んに取り上げられ、「ねじ式」を読むこと、語ることが一つのファッションにさえなった。「超現実マンガの最高峰」といった評判も立った。

 それから四十年ほどを経て、2006年頃、「ねじ式」はSNS上で再注目された。ミクシィに「ねじ式」の「元ネタ」と思しき写真が連続投稿されたのである。投稿者によると、同作の奇妙な街の風景や蒸気機関車、人物などには「元ネタ」とされる写真が数多く存在しているという。

 これまで「ねじ式」は「作者が見た夢」を元に描かれたというのが定説とされてきた。しかし、すべてが「夢」ではなく、実は既存のイメージを複数つなぎ合わせて描かれたコラージュ的な作品だったというわけである。

 『スペクテイター』の記事はここに調査のメスを入れた。

 

 

◎・・「ねじ式」の元ネタ

 「ねじ式」の創作方法が「写真のコラージュ」にもとづいていたことは、実はつげ本人がとっくに白状していたことではあった。くだんの「深読み」について『つげ義春漫画術 下』で次のように語っている。

そういう評論に関してどうのこうのと言う気はないんですけれども、眼科の看板の並んでいるカットは視線恐怖症だなんてされるけど。まったく関係ないですね。これは台湾の町筋の写真を見て描いたのです。いろいろ写真や雑誌を見ていてなにか面白い絵はないかとあたっているだけでね。

ーーーつげ義春、権藤晋『つげ義春漫画術 下』

 「元ネタ ねじ式」とググれば一目両然。つげが拝借した写真は以下のようなものだ。

◆朱逸文「目」(『フォトアート』1963年5月号)◆エリオット・アーウィット『メキシコ』(『アサヒカメラ』1965年1月号)◆青野義一「緩慢な殺人」(『アサヒカメラ』1962年12月号)◆木村伊兵衛「知里高央氏」(「新・人間記」より)(『アサヒカメラ』1965年7月号)◆掛川源一郎「熊のシャリコウベ」(「アイヌの祭り」より)(『フォトアート』1965年4月号)◆薮出直美「干し物のある浜」(『カメラ毎日』1963年11月)◆鹿島忠一「祭礼の日」(『フォトアート』1965年4月号)◆慶應義塾大学鉄道研究会「阿里山森林鉄道」(「写真紀行 台湾の汽車」より)(『鉄道ファン』1966年8月)◆高木尚雄「壁画のある家」より(『フォトアート』1964年4月号)◆北井三郎「しぶきとかぜ」(『日本カメラ』1963年7月号)…etc

 

 

◎・・「ねじ式」から「バカ式」へ、もしくはヘタウマ

 「なるほど きみの言わんとする意味がだいたい見当がつきました」とスパナを持ってあぐらをかく男の登場するコマの「元ネタ」は木村伊兵衛の写真「知里高央氏」だ。火鉢にのせたヤカンの前に座るのは、アイヌ語学者の知里高央。

 余談だが、実はその娘の知里むつみと漫画家・横山孝雄夫妻の縁を結んだのは、横山とアマチュア時代から盟友だった赤塚不二夫だった。トキワ荘の住人の中でもつげは赤塚不二夫とは交流をもっていた。「ねじ式」はフジオ・プロでも話題になったのだろう。赤塚のブレーンの長谷邦夫は「ねじ式」のパロディ作品「バカ式」を描いている。

 「ねじ式」には、のちの「ヘタウマ」に通じるような、変に気の抜けた絵を描こうとするカマエもみられて、そういう意味では手塚治虫が「不条理ギャグマンガ」として紹介したくなったのも分からなくはない。あながち間違ってはいないのかもしれない。

 ついでに言えば、「ねじ式」はシュルレアリスティックな作品でもあるが、どちらかといえば藤本和也のいうように「うっかりシュルレアリスム」とあらわしたほうが合っている。いずれにしても、写真コラージュにしても、ヘタウマにしても、もっと「方法」に着目したい。写真を選ぶ眼、素材の使い方、構成と展開のリズム…云々。

 

 

◎・・つげ義春の創作術 6つのステップ

 『スペクテイター』には「つげ義春の『創作術』について」という記事もある。ライターは『ガロ』時代からのつげの担当編集者・高野慎三(権藤晋)だ。

 『つげ義春漫画術』(ワイズ出版)は高野の手による。『つげ義春1968』『つげ義春を旅する』(ちくま文庫)など著書も多数ある。

 高野によると、およそ三十年ほど前、つげ義春は「『マンガの作法』のような文章を一冊分書いてみたい」と語ったことがあるらしい。結局、その構想は日の目を見ることはなかったが、もし実現していたら次のようなことが明かされていたのだろう。

①ふとなにかの拍子であるシーンが浮かぶと、それを小さなノートに鉛筆で記す。

 

②その数行のメモから発して、メモ帳に粗筋を書き込んでいく。新しく浮かんだいくつかのシーンも付け加え、次第にストーリーが完成に近づく。さらに推敲が繰り返される。

 

③そのあたりで、登場人物の体型や顔、そして衣服等がスケッチされる。ときにケント紙に二十、三十と主人公をはじめとする「人物の表情」が描き出されることもある。

 

④わら半紙を四分の一に切り裂いて、そこに鉛筆でコマ割り。人物のセリフやナレーションなども書き込まれるが、人物の顔や形はきわめて粗雑なコンテ風。この段階では、むしろストーリー展開やセリフに重点が置かれている。このときはまだ、ページ数が増減することもしばしば。

 

⑤こんどは、わら半紙半裁(『ガロ』と同じB5版サイズ)。鉛筆でコマ割り。一つ、二つ、空白のコマが生まれることもある。本人によれば「そこだけ定まったイメージいたらない」から。

 

⑥ペン入れ。「ペン入れは難しいことじゃない、話は最終ページまで出来上がっているのだから、あとは職人として描けばいいんですよね」。

 ちなみに①の段階で作品のイメージが浮かんだとき、すでに最終頁をどのような絵で物語を「締めくくり」するのかは決まっているのだそうだ。

 作品の総頁が二十から三十頁だとして、ペン入れの仕上げまでの作業は、発想から完成までおおよそ一か月ほど。「長八の宿」も「二岐渓谷」も「オンドル小屋」もほぼ毎月のように仕上げていった。

 そのあとの「ほんやら洞のべんさん」だけ三か月の時間を要したのは、同時並行で『ガロ』の臨時増刊号のための描き下ろし作品「ねじ式」を手がけなければならない事情があったからだ。

 

 

◎・・手塚治虫の編集稽古① アタマの中のスケッチ

 「マンガの作法」といえば、やはり手塚治虫の『マンガの描き方』だ。手塚はまず言い切っている。

「省略」「誇張」「変形」、この三つは、幼児画の特徴で…そして、漫画の、すべての要素なのだ!

ーーー手塚治虫『マンガの描き方』「小さい子の絵にある漫画の原点3つ」

 そう、マンガがうまくなりたいのなら、まずもって「省略」「誇張」「変形」の三位一体を手とアタマに叩き込むことだ。では、どうすれば、叩き込むことができるか? 稽古をするしかない。手塚は親切にもマンガの編集稽古をいくつも紹介している。

 アタマの稽古はいつだってできる。マンガを描くということは、自分のアタマの中に浮かんだイメージを描くということだ。だから、描きたいものをアタマの中にスケッチするスキルがどうしてもいる。とはいえ実は、この「アタマの中にスケッチする」という行為は誰もが毎秒毎分やっていることでもある。

 たとえば、「居酒屋」を思い浮かべてみてほしい。お酒を飲まない人でも「居酒屋」のイメージくらい簡単に浮かぶはずだ。それをなるべく細部までありありと想像する。そこにはかならず「省略」「誇張」「変形」がともなう。これが「アタマの中のスケッチ」だ。

 

 

◎・・手塚治虫の編集稽古② 「見えない線」を描く

 次は手の稽古。「省略」「誇張」「変形」はいかに「見えない線」を使うかだ。本書ではざっとこんなツールを用意している。「イメージの辞書」を充実させたい。

A びっくり B 目がまわった C ノビた D 死んだ E 愛してる F 砂けむり G フキダシ H 名案! I おそろしい J ゆげ K どなる L いびきの音 M ぶつかった

 手塚クラスになると「字を覚えるように、見たものを覚える」ことができるようになるらしい。このことについて、巻末の解説(「手塚マンガと漢字のあやしい関係」)で夏目房之介は「手塚は漫画の絵を、無意識に漢字と同じように考えたのだと思う」と書いていた。

 マンガは誰でも描ける。漢字が書けるのだから、日本人はマンガだって描けるというのが手塚のリクツだ。石ノ森章太郎、つのだじろう、両藤子不二雄、赤塚不二夫らが、みんな四コマから育ったことを挙げて、「四コマ漫画がつくれればどんな漫画でも描ける」とも書いていた。

 

 

◎・・似顔絵編集術

 『マンガの描き方』のサブタイトルは「似顔絵から長編まで」。「似顔絵」も大事な編集である。[離]に行ってみれば、よくわかる。

 似顔絵というもの、男なら眼鏡や髭、女なら顔の輪郭と口もとを描いただけでも、その人だとわかることもある。けれども困るのは、それほど顔の特徴がない人だ。

 こういうときは、「そばの二、三人の別な人物の似顔もいっしょに描いてみる」といいらしいが、それでもまだ特徴がつかめないときもある。

 そういう時は「首すじまで描くといい」。

 それでもダメなら「こんどは肩まで描く」。

 まだダメなら「似顔のむきを変える」。

 昔、「手塚治虫は女性が描けない」と言われて、それをすごく気にしていたことがあったみたいだが、手塚は「美人を描くコツ」も紹介している。

 その一、かわいらしさ、愛くるしさのポイントは、目にある。

 その二、首をなるべく長く描く。

 その三、胸のふくらみ。

 その四、ヒップ。手塚治虫は人にかぎらず、動物でも怪物でもお尻を描くのが好きだった。

 ところで稽古に臨むにあたって、手塚が口すっぱく強調している注意点が一つある。それはたとえどんなにヘタクソで、人に見せられないような習作でも、それを絶対に捨ててはならないということだ。失敗した絵こそ役に立つ!

 

 

◎・・いちばん印象に残った体験から物語が生まれる

 手塚マンガは戦後の焼け跡を過ごした学生時代のこんな切ない体験がその源泉になっている。

 あるとき町を歩いていると、米兵に道を聞かれた。相手は六人で、かなり酔っ払っている。なにを言っているのかわからないし、スラングもそうとう混じっているらしい。

 とうてい返事もできそうになく、やっとのことで「自分は英語を話せない」と言ったつもりが、いきなり殴られた。相手は、手塚とほとんど年の変わらない米兵である。六人は大声で笑いながら去っていった。

 このときほど腹の立ったことはなかった。殴られても我慢しなければならないという屈辱は、ずっと頭から消えずに残った。手塚はこの思いを全マンガにぶちこんだのである。

 

 

◎・・もう一冊のレジェンドブック 石ノ森『マンガ家入門』

 上野顕太郎『暇なマンガ家が「マンガの描き方本」を読んで考えた「俺がベストセラーを出せない理由」 (SPA!BOOKS)』の巻頭カラーには、いわゆる「マンガの描き方本」の驚くべきモーラコレクションが収録されている(※AmazonのKindle版で「試し読み」可)。

 それだけ数多ある「マンガの描き方本」の中でも手塚治虫『マンガの描き方』はレジェンドな一冊だろう。しかし、しかしである。〈2「おかしさ」をつくる六つの要素〉はやっぱり当てにならない。

 ギャグマンガということなら、ホリエさんも絶賛するもう一冊のレジェンドブック、石ノ森『新入門百科 少年のためのマンガ家入門』がある。実は1965年に秋田書店から刊行されたこの一冊が、まぎれもなく日本で初めて「ギャグマンガ」の描き方を実践的に解説した本なのである。

 それだけではない。以降、本書はマンガ家志望者に絶大な影響を与え、「ギャグマンガ」という新語を世間に知らしめる役割を果たした。

 ギャグマンガの代表として石ノ森は石ノ森自身と赤塚不二夫の作品を挙げている。

 

 

◎・・ざっくりギャグマンガ史(「マンガのスコア」LEGEND振り返り)

 1968年のターニング・ポイントの前にマンガ史にはプレ・ターニング・ポイントとでも言うべき年がある。1959年。「劇画工房」の設立、白土三平(L-21)の『忍者武芸帳 影丸伝』連載開始、「ギャグマンガ」の語が使われ始めるのもこの時期だ。そして、日本初の週刊少年誌『週刊少年サンデー』(小学館)と『週刊少年マガジン』(講談社)の創刊である。

 『週刊少年サンデー』は、「ギャグのサンデー」とも呼ばれ、赤塚不二夫の『おそ松くん』(L-19①)、藤子不二雄の『オバケのQ太郎』などが牽引した。藤子不二雄の十八番芸のいわゆる「日常SFギャグ」は、藤子・F・不二雄(L-09)の『ドラえもん』、藤子不二雄A(L-08)のブラックユーモアものにつながっていく。

 「ギャグのサンデー」に対する『週刊少年マガジン』は「劇画のマガジン」の陣を張った。先日亡くなったさいとう・たかを、川崎のぼるなど関西劇画勢を起用し、『巨人の星』『あしたのジョー』(L-26)といった大ヒットを生み出し、また、『天才バカボン』の赤塚不二夫、ジョージ秋山、永井豪(L-20)、谷岡ヤスジ、みなもと太郎などギャグの気鋭も積極的に使った。

 「ギャグマンガ」という言葉が流布していく一方で、それまでとは明らかに笑いのテイストの異なる「不条理マンガ」なるものが青年雑誌を中心に現れてくる。とりわけ佐々木マキ、つげ義春、林静一(L-25)らの作品は「難解マンガ」とさえ呼ばれることもあった。

 「不条理マンガ」は蛭子能収らに継承され、その後の70年代後半からの「ヘタウマ」につながっていく。また、ギャグの王道である赤塚路線の笑いは、山上たつひこ(L-27)が王の座を継承し、赤塚以降の一時代を築いていく。

 はい、ざっくりギャグマンガ史でした。詳しくは『破壊せよ、と笑いは言った』の斎藤宣彦の解説や米沢嘉博『戦後ギャグマンガ史』(ちくま文庫)を読んでほしい。

 

 

◎・・現代マンガ選集のコンセプト…1968

 全8巻にわたる「現代マンガ選集」にはきわめて明確なコンセプトがある。それは、「戦後日本マンガの決定的な転換点を1960年代後半に見る」(責任編集・中条省平)という見方だ(「恐怖と奇想」で奇想漫画家・駕籠真太郎にまったく触れられていないのが残念だが、それも仕方のないことだ)。

 いうまでもなく、60年代末の日本マンガのスピリットと実践の成果は『ガロ』と『COM』と言う2つの固有名詞に集約される。そのため『現代マンガ選集』の作品の多くも『月刊漫画ガロ』『COM』両誌から選ばれているというわけだ。

 60年代末といえば、小学館が青年誌『ビッグコミック』を創刊し、さいとうたかを『ゴルゴ13』の連載も始まった年。《A面》にも書いたけれど、集英社が『少年ジャンプ』を創刊し、永井豪『ハレンチ学園』、本宮ひろ志『男一匹ガキ大将』(L-22)というタブーもへっちゃらの二大ヒットを生み出した年である「1968年」こそ、やはり歴史のターニング・ポイントと見るべきだろう。

 ちなみに、1968年8月、ビートルズのアップル・レコードは最初のシングルをリリースした。「ヘイ・ジュード」だ。B面は「レヴォリューション」。もともとジョンは「レヴォリューション」をA面にしたかったらしい。

 どんでん(DONDEN?)返しのラディカル・ウィルは表立っては語りにくい。B面に追い払われるのが世の常である。

 

 

◎・・ソーセージともやしを炒めて食べてね

 「現代マンガ選集」全8巻のうち、つげ義春は「表現の冒険」「日常の淵」「悪の愉しみ」の三冊で取り上げられている。「日常の淵」「悪の愉しみ」にいたっては弟のつげ忠男とともに兄弟で載っている。つげ義春とつげ忠男は、中条省平にとっては「兄弟で金」なのだろう。

 つげ義春の掲載作品は「ねじ式」(「表現の冒険」)、「チーコ」(「日常の淵」)、「不思議の手紙」(「悪の愉しみ」)である。「ねじ式」がつげマンガのA面なら、「チーコ」がB面だ。「チーコ」はぼくも大好きな一作だ。

 編者ササキバラ・ゴウの解説では「子供の視点で日常をとらえて、詩的な表現のリアルさで描いたのが『寺島町奇譚』ならば、大人の視点で日常をとらえて、私的な表現のリアルさで世界を描いたのが、つげ義春『チーコ』」であり、「私小説」に対する「私マンガ」というジャンルを切り開いた一作として位置付けている。

 発表以来、「チーコ」は根強い人気がある。隠れファンも少なくない。押井守も推している。主人公と同棲している女性について「つげさんの中では珍しいキャラですよね。10代の頃に読んだけど、『ソーセージともやしを炒めて食べてね』っていうセリフが忘れられない(笑)」と。

 正確にはセリフは「あんた、こん中にもやしとソーセージ入ってるからね」ではあるけれど、こんな細部を記憶しているなんて、よほど気になったのだろう。

 

 

◎・・今もこれから買い物に行くところです

 最後につげ義春の近況だけ記して「締めくくり」としたい。

近況は、早くこの世からおさらばしたい。もうそれだけですよ。

ーーー『スペクテイター〈41号〉 つげ義春』「貧乏しても、気楽に生きたい」

 「おさらばしたい」のは嘘ではないのだろうけれど、近況といえばやはり、“マンガのカンヌ”とも言われるアングレーム国際漫画祭における特別栄誉賞の受賞だろう。エディストでもJUSTした。「漫画界のゴダール」と絶賛された。

 個人的には、受賞したことに驚いたというよりも、失踪せずにちゃんと授賞式に参加したことに驚いた。おそらくは、息子のつげ正助さんのお膳立てだ。漫画祭と同時にアングレーム美術館では、世界初となる「つげ義春原画展」も開催された。その開催に尽力したのが、正助さんだった(今年3月に完結した講談社『つげ義春大全』全22巻の”大敢行”も正助さんが影の立役者)。

 つげファンのあいだで、正助さんはわりとなじみの人物だ。マンガには正助さんがモデルと思しき少年がたびたび登場するし、旅の写真でも幼き正助さんの姿をよく見かける。パウル・クレーやジョン・レノンがそうだったように、つげ義春もなかなか子煩悩なパパだった。

 つげパパについては、まだ読んでいないけれど、『芸術新潮』(2021年9月号)のつげ正助と矢部太郎の対談記事「ぼくたちのお父さん」でいろいろ語られているようだ。家事も育児も仕事も”まぜこぜ”、 職住一致や公私混同も、マンガ家やアーティストなら、それほど珍しいことではないけれど、つげ義春の場合、いつのまにか「住」が「職」を食べてしまった。

 レオ・レオーニの絵本『あおくんときいろちゃん』で「あおくん」と「きいろちゃん」が合体して「みどり」になってしまったように、つげ義春の生活は「職」と「住」が一種合成して「主夫」に相成ったのである。

 ライフスタイルも表現スタイルもつげ義春はいささか先取りし過ぎていた。『極主夫道』は流行っているけれど、いまだに「主夫」は少数派だ。けれど、こんな御時世なので、もしかしたらつげ義春のように、リモートワーカーから主夫に転身する「”つげ”る・ピープル」もこれから増えてくるかもしれない。

 毎日買い物に出かけるようになったら、御用心。

コロナコロナと言っても素人ですからよく分かりませんし、気にしだしたらキリがありませんから、生活はあまり変わっていませんね。日常の買い物で毎日のように近所に出かけています。今もこれから買い物に行くところです。

ーーー『朝日新聞デジタル』つげ義春さん「今から近所へ買い物に」(小原篤のアニマゲ丼)

 

 

Info


⊕アイキャッチ画像⊕

『スペクテイター〈41号〉 つげ義春』エディトリアル・デパートメント 編/幻冬舎

『マンガの描き方似顔絵から長編まで』手塚治虫/知恵の森文庫

『破壊せよ、と笑いは言った 現代マンガ選集』斎藤宣彦 編/ちくま文庫

 

⊕多読ジム Season07・夏⊕
∈選本テーマ:笑う三冊
∈スタジオ茶々々(松井路代冊師)

∈3冊の関係性(編集思考素):三間連結型

 

『スペクテイター

『マンガの描き方

◉『現代マンガ選集

 

⊕著者プロフィール⊕
∈つげ義春
編集的先達B:イエス・キリスト。文学は私小説、音楽は「バッハ以前」のクラシック。「もうベートーベンなんかになってしまうとつまらなくなってしまう」。古本屋、カメラ屋、喫茶店など副業を企む癖がある。

 

⊕書誌情報⊕

∈雑誌『スペクテーター』

雑誌『Spectator』(スペクテイター)は、1999年に創刊した有限会社エディトリアル・デパートメントが発行するカルチャー雑誌。B5版変型。年3回刊行。編集長は青野利光。編集部には『Quick Japan』(クイック・ジャパン)の初代編集長・赤田祐一がいる。

「Spectator」とは目撃者という意味。ホームページには雑誌名の由来について次のように書かれている。《ひとつのジャンルにとらわれず、地球上のあらゆる場所へ足を運び、気になる人と言葉を交わし、体験できることはやってみる。そうして手に入れた真実を、飾らない言葉で自由に表現できる存在であり続けたいという想いが、”見物人””目撃者”という誌名には込められています。》

「つげ義春」号は重版出来。近年の雑誌の「つげ義春」特集といえば、2014年に『芸術新調』で80ページ超の特集が組まれ、とんぼの本『つげ義春 夢と旅の世界』として刊行された(第46回日本漫画家協会賞大賞受賞)。さらに2017年、『アックス』(青林工藝舎)119号で大特集「生誕80周年記念 祝・トリビュート」発売。弟のつげ忠男、丸尾末広、近藤ようこ、末井昭など名だたる漫画家や作家が寄稿した。『Spectator』が特集を組んだのは、その翌年の2018年のことである。

 

『マンガの描き方

本書は1977年にカッパ・ホームス(光文社)から出版された。1977年というと、手塚治虫がちょうど低迷期を抜けて『ブラックジャック』(1973〜83)、『三つ目が通る』(1974〜78)などで少年漫画家として復活を果たした頃にあたり、講談社から「手塚治虫漫画全集」が刊行され始めたのもこの年である。

1994年、タイトルを『マンガの心』に変え、同じく光文社から刊行。その2年後の1996年、タイトルを元に戻して「知恵の森文庫」に入った。

2020年11月に刊行された『手塚治虫のマンガの教科書 マンガの描き方とその技法』(興陽館)にも本書と同じ内容が掲載されている。ただし、『マンガの教科書』には、手塚のマンガデッサン集や元アシスタント・堀田あきおのインタビューなども特別収録されている。

 

∈シリーズ『現代マンガ選集』

筑摩書房創業80周年記念出版「現代マンガ選集」全8巻は、2020年5月から12月まで刊行された。責任編集は中条省平。1960年代以降半世紀にわたる日本の「現代マンガ」の流れを新たに「発見」する試み。マンガ表現の独自性を探り、「本物」を選りすぐって、時代を映すマンガの魂に迫る。「表現の冒険」(中条省平)、「破壊せよ、と笑いは言った」(斎藤宣彦)、「日常の淵」(ササキバラゴウ)、「異形の未来」(中野晴行)、「俠気と肉体の時代」(夏目房之介)、「悪の愉しみ」(山田英生)、「恐怖と奇想」(川勝徳重)、「少女たちの覚醒」(恩田陸)の8つのテーマに基づいて、決定的な傑作、知られざる秀作を集め、日本の社会と文化の深層をここに浮かびあがらせる。

筑摩書房創業80周年記念出版には本シリーズほか「世界哲学史」(ちくま新書)、「よみがえる天才」(ちくまプリマー新書)、「近代日本思想選」(ちくま学芸文庫)シリーズがある。


  • 金 宗 代 QUIM JONG DAE

    編集的先達:モーリス・メーテルリンク
    セイゴオ師匠の編集芸に憧れて、イシス編集学校、編集工学研究所の様々なメディエーション・プロジェクトに参画。ポップでパンクな「サブカルズ」の動向に目を光らせる。
    photo: yukari goto