【イシスの推しメン/15人目】スイス在住・フルート指導者田中志歩が、海外在住日本人にイシス編集学校を勧める理由

2023/02/06(月)08:32
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イシス編集学校には校舎がない。受講生はネット環境さえあれば、いつでも「教室」にアクセスできる。東京のマンションから、オーストラリアの一軒家から、ウラジオストクの車の中から。日本の方法を下敷きにした編集稽古が、いまや世界各地で取り組まれている。
シリーズ「イシスの推しメン」で今回話を聞いたのは、スイス在住のフルート指導者。なぜ彼女は「海外在住の日本人やその子どもたちに、イシスを勧めたい」と熱弁をふるうのか。そこには編集稽古の真髄があった。

 

聞き手:エディスト編集部(川野貴志ほか)

推しメン プロフィール

田中志歩
フルート指導者、スイス在住。ケルン音楽大学フルート科を経て、フランクフルト音楽大学フルート科を卒業。イシス編集学校には、2021年基本コース47期[守]カンテ・ホンド教室入門。応用コース47期[破]は脈診カーソル教室(華岡晃生師範代)で学ぶ。37[花伝所]では中村麻人花伝師範の指導熱に焚き付けられ、放伝後すぐに50[守]の師範代へ。整然とした話しぶりと、さばさばとした豪快な笑い声が魅力。3児の母。埼玉県所沢市出身。


■18歳で単身ドイツへ
 スイス在住フルート指導者がイシス編集学校に出会うまで

――田中さんはスイスにお住まいなんでしたっけ。

そうです、ヨーロッパ生活はもう20年以上になりますね。スイスのチューリヒで夫と子ども3人の5人で暮らしています。

――ヨーロッパに移住したきっかけは?

高校を卒業してすぐドイツに行ったんです。フルートを当時から練習していて、その先生から「ドイツの音大もいいわよ」って勧められて。語学は、高校の夏休みに東京・青山にある「ゲーテ」というドイツ語学校に通ったり、高校の卒業式の前からドイツに移り住んでちょっと準備したくらいでしたね。

――18歳で単身ドイツ留学とは、相当にタフなご経験ですね。

もう、泣きながら生活してましたよ(笑)。音大にいるあいだは、あまりドイツ語もわからなくて、友達に聞いてなんとか授業についていった感じです。

――いまも音楽のお仕事をなさってるんでしょうか。

子どもが3人いるので子育てを中心に、自宅でフルートのレッスンをしたり、ドイツ語や英語から日本語への翻訳を請け負ったりしています。

――ヨーロッパ生活のなかで、どうやってイシス編集学校に出会ったんでしょう?

最初は松岡正剛校長の著作に出会いました。10年くらい前でしょうか、ドイツの音大への留学中、一時帰国したときに本屋で『17歳のための世界の日本の見方』をたまたま見つけたんです。当時の私は、ヨーロッパで生活しているけれど、アイデンティティは日本人というところで、ふたつの世界が自分のなかにある感覚でした。この本にはそんな感覚が書かれていて、おもしろい人がいらっしゃるんだなと思ったんです。

――ふたつの世界をまたいで見るという感覚を捉えているのが新鮮だったんですね。

そのあとスイス人の夫と出会って、スイスに引っ越したんですが、2020年ころコロナ禍で日本に帰れなくなったんですね。そのときは一番下の子が小学校にあがるくらいまで大きくなって、自分の時間ができたので何か始めようかなと。ヨガで身体を鍛え始めたので、次はアタマかなと考えていたときに『17歳』の本のことを思い出して、ネットで調べたという感じですね。


■「日本人」は怖かった
 海外在住の日本人に、編集学校を勧める理由

――イシス編集学校は完全にオンラインでのプログラムですから、海外にいながらでもまったく問題なく受講できるのが魅力ですね。コロナ禍での新たな習い事、ワクワクされたのでは。

それが、私の場合は「日本語大丈夫かな」っていう不安がかなりありました(笑)。日本を離れて20年以上経っていたし、高校を卒業してからはドイツ語で話していたので、大人の日本人として日本語での会話をした経験がなくて……。

――イシスが、大人になって初めての「日本人コミュニティ」だったわけですね。

そう。だから、日本人に対して勝手に壁を作ってましたね。「日本人って怖い!」「失敗したら絶対怒られる!」って思い込んでて(笑)。でも花伝所で、みっちり指導を受けているうちにそういう恐れはすーっと溶けていく感覚がありました。

――「日本人」という属性への見方が変わったと。

イシス編集学校の体験は「学びになった」ということ以上に「セラピー作業になった」かもしれません。ほかにも、応用コース[破]のカリキュラムのなかで自分史を作ったときも、人生の棚卸しができた感覚でした。
自分史を書き出すということは、私が高校を卒業してから、ドイツ語やフランス語で経験してきた25年間を、はじめて日本語で理解するという作業だったんです。「スイスにいる自分」と「日本にいた自分」のギャップがすこし縮まったといいますか。ようやくスタート地点に立てたなって思ったんですよね。

――ほうほう、自分自身を編集し直すという、イシスの本質を体験なさったんですね。

自分自身の編集といえば、[守]の「たくさんの私」というお題もとても衝撃的でした。これで、子どもたちへの見方がガラッと変わりました。

――「たくさんの私」いえば、「私は◯◯な□□である」と30以上書き出すというイシスの名物お題ですね。推しメンインタビューでは、久野美奈子さんも感激しておられました

私のなかに30以上の私があるということは、子どもたちのなかにもそれくらいあるということ。それなら「わからなくて当然だ」と思ったんです。違うのが当たり前、わからないのが当たり前ということを前提にできるようになりました。
自分とは違う意見も排除せず、いったん取り入れて理解する姿勢はとても大事なものですよね。イシスに通底している価値観は日本以外でも通用するし、海外でもかならず必要とされるものだと思います。だから自分の子どもたちには、「お母さんはこういう学校で学んでいるよ」って日々話していますね。

――松岡校長の『17歳のための~』で田中さんが共鳴したのは、「たくさんの私」を内包していてもよいという考え方なのかもしれませんね。

そうですね。私だって、ふつうに言えば「スイスに住んでいる日本人」という枠組みでとらえられますが、それだけじゃないはずなんです。母語は日本語、国籍は日本という《属性》は変わらなくとも、日本在住の日本人と話すときと、スイス在住のフランス人と話すときでは、違う「私」が出てくる。相手によって、自分を構成する《属性》の割合が変わってくるわけです。

――相手という《地》によって、自分という《図》が変わるという体験は、海外生活だからこそ実感しやすいんでしょうか。

ドイツに行くと、彼らは私を「日本人」と見て、日本代表のように扱うんですよね。日本のことなんでも知っているでしょって。そういう環境に行ってみて、私は日本のことぜんぜん知らないと気づきました。

――ドイツという《地》に置かれると、田中さんという《図》に期待されるものも変わってくる《地と図の転換》ですね。田中さんはきっと、地を図がどんどん変わるという環境でずっと暮らしておられたんですね。

あぁー、まさにそうなんだと思います。私は日本にいたときから、ものをハッキリ言うほうだし、「みんなで仲良く輪になって」ということがとにかく苦手だったので、海外に行ったんです。でもドイツで出会ったのは、「私」はこう思う、「私」はこうしたいと、「我」を全面に押し出すドイツ人たち。そういう環境だと「あ、私日本人だ」って思いましたもん(笑)。

――「私」とは相対的なものですものね。

海外生活している人は、否応なく自分の《地》をずらすという体験をしているから、絶対に編集学校に向いていると思います。


■音楽家 ≒ 師範代?!
 イシスEU支部の拡大に向けて

――いま田中さんは50[守]の師範代として、「50gエンシオス教室」という教室を担っておられる真っ最中ですね。イシスで「50g」といえば、千夜千冊のなかでも屈指の名フレーズ「その勇気は『50グラムの勇気』である」が連想されますが。

花伝所に入伝したときに、500夜『エクリ』(ジャコメッティ)を読んで、あの松岡校長でさえ、50グラムの勇気を必要としたということに親しみを覚えたんです。教室名案を校長に提出するときに、「50gの勇気をください」ってメッセージをしたら、ほんとうに「50g」が届いてただただびっくりでした。50[守]で50gですもの。運命だと思いました。

――もともと師範代になるつもりでした?

ぜんぜん(笑)。でも、花伝所に入ったとき、指南の方法って演奏家の方法と一緒だって気づいたんです。音楽家って、師範代に向いていると思いました。

――おぉ。そのこころは。

演奏家は、「楽譜」と対話しているんです。作曲家自身ではなくて、作曲家の残した「楽譜」から彼らの思いを汲み取って、それを「演奏」に変える。師範代も同じですよね。学衆さんの「回答」を読んで「指南」としてお返しする。

――なるほど! お話をうかがっていると、田中さんは泣きながらドイツ留学をしていたときからずっと「編集」をしてきたように思います。イシスで新しいスキルを身に着けたというより、いままでご自身がなさってきたことに名前が付けられたような経験をなさったのではないかと思うのですが。

まさにそうです。私はこの学校に入って救われましたね、ほんとに。イシスに来ていなかったら、いまごろどうなっていたんだろうって思います(笑)。
2023年の1月は田中優子先生の講義を聞くために、一時帰国してはじめて豪徳寺の本楼に行きました。鈴木康代学匠や担当の渡辺恒久師範にお会いしたりすると、もう「家に帰ってきた!」って感じでしたね。実際には初めてお会いしたわけですが、私はイシスというコミュニティに、すでに含まれていたような感じといいますか。

――「すでに含まれている」とは。イシスが出会うべくして出会ったコミュニティだったのですね。

だからもっと海外在住の人たちにも、編集学校を広めたいです。じつはすでに「イシスEU支部」を結成しているんです、勝手に(笑)。前回の感門之盟では、チェコ在住の三浦一郎師範代や、同じ教室だった町田有理さんとともに、プラハに集って感門に参加しました

――イシスEU支部! もっとこれを拡大していきたいですね。

そうです。海外から見ると、日本の見え方も変わりますし、スイスの方法やチェコの方法などを日本の方法と比べてみることもできる。編集学校で学ぶ方法や価値観は、日本だけでなくて、全世界で必要とされているものだと思うんですよね。編集稽古は、日本文化を学ぶ入口としてもとても入りやすいですし、海外で暮らす日本人やその子どもたちにはぜひとも勧めたいです。

 

アイキャッチデザイン:山内貴暉

アイキャッチ写真撮影:渡辺恒久

 

 

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  • 梅澤奈央

    編集的先達:平松洋子。ライティングよし、コミュニケーションよし、そして勇み足気味の突破力よし。イシスでも一二を争う負けん気の強さとしつこさで、講座のプロセスをメディア化するという開校以来20年手つかずだった難行を果たす。校長松岡正剛に「イシス初のジャーナリスト」と評された。
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