をぐら離 文巻第7週 ─「表象に向かって」

2021/02/07(日)09:46
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 世界読書奥義伝 第14季[離]は、第7週“表象に向かって”。ネクスト・イシスに向かう方法論がすべて詰まっている週であり、松岡校長が今までの人生におけるすべての表象をこれでもかというくらいに開陳している週です。今までの「をぐら離」で、最も第7週に近い千夜千冊を引用しつつ、1日1日を振り返りました。
 「をぐら離」では、析匠、小倉加奈子の日常を通した離の姿をお届けしていきます。門外不出の文巻テキストをもとに進められていく離の稽古の様子を少しでも想像いただければと思います。

 

1月31日(日)


 もうひとつヴィリリオがいつも言っていることがある。グローバリゼーションとは、歴史の完成の開始を意味しているのではなくて、地球のもっていた可能性の領域の終了と閉幕を意味しているということだ。これをいいかえれば、メッセージの速度それ自体がメッセージになってしまっているということだ。
──千夜千冊1064夜『情報化爆弾』


 14離の渦中とはいえ、読書量が少なすぎる。これではヴィリリオが警鐘を鳴らしている状態に自分が陥ってしまいそうだ。メッセージの速度に負けない深度が必要だ。「セイゴオほんほん」で紹介されていた美馬達哉の『感染症社会』を読む。著者の美馬さんは、京大卒の神経内科の医師でかつ医療社会学も専門の先生である。コンパイルからエディットへの展開のお手本であるかのような目次。地を章ごとに変え、生命と社会を重ね合わせつつ感染の本質をえぐっていくような構成。MEdit Labの参考図書に慌てて投入する。

美馬達哉『感染症社会』人文書院

練られた構成の目次

 

2月1日(月)


 アナロジー学の基本の基本は「つなぎ学」だったといってよい。もうちょっと柔らかくいうのなら「つなぎ目」の発見の学であり(ということは「割れ目」の発見の学であり)、そのように現象や出来事や概念やイメージがつながっていくときの「関係の発見学」なのだ。
──千夜千冊1235夜『ヴィジュアル・アナロジー』


 泌尿器科と皮膚科に進む予定の研修医ふたりがやってくる。そうだ。もう2月なのか。先月までは、博物館で学芸員のボランティアをやっていて、解剖学の道に進もうとしている研修医、みやきくんがいた。わたしが倉谷滋先生の講義を聴いたと言ったら、身をよじりながらうらやましがっていた。カタチの不思議にみやきくんはぞっこんなのである。
 解剖学も病理学も美学も、そして編集工学も“つなぎ学”だなと思う。関節学とも呼べる。「表象」という言葉は、それぞれの分野で意匠とか意向とか趣向とか診断とかインタースコアとか、様々に言い換えられる。どう言い替えられてもそのつなぎ目の深部を覗くことは同じであり、覗いて何が見えるかはつなげ方次第なのだ。

 

2月2日(火)


 一方、世界中にはびこっているのは、プラスチック・ワード(plastic word)というペットボトルのような言葉なのである。プラスチック・ワードとは、意味が曖昧なのにいかにも新しい内容を伝えているかのような乱用言語のことだ。
――千夜千冊1685夜『プラスチック・ワード』


 コロナ禍はプラスチック・ワードを量産したのではないだろうか。マスクのように。特に「ニューノーマル」が代表格。意味が曖昧すぎる。ノーマルがわからないうえにニューまでついている。プラスチック・ワードはウイルスさながらのふるまいをする。ワクチンはただひとつ。意味の輪郭を自分が引くことだ。意味の実現に向かうことだ。
 新品のコンタクトレンズに換えて、病理診断。ふつうの症例が多かった。はっ!ふつうって何だろう?

 

2月3日(水)


 もうひとつ、ゲシュタルト学は視覚システムの解明に長けていたのだが、その長所にあたるものとして、「知覚は何かを囲みたがっている」という見方をしたことがあげられる。これをゲシュタルト知覚としての「囲みの要因」(factor of surroundness)という。境界をつくる知覚傾向というものだ。この「囲み知覚」説のおもしろいところは、知覚がランダムな現象や形状に何かの囲みをつくろうとしているということと、その一方で、われわれはどんな環境や体制にいても「何に囲まれているか」ということをたえず知覚しようとしているということ、この二つに注意を向けたことにある。

──千夜千冊1273夜『ゲシュタルト心理学の原理』


 朝、受験会場に向かう拓海を見送る。いつになく緊張している面持ちだったから姿が見えなくなるとちょっとだけホッとした。力を出し切れますように。
 1日病理診断に明け暮れる。自分の分の診断を終えると後輩たちがエサを待つ雛鳥みたいにサインアウトを待っている。大量の症例を抱えて”学欲旺盛”な彼ら。若い女性患者の迅速診断が入ってくる。ボスのまつもと先生が昨日連絡してきた症例だ。囲み知覚の違いでボスとわたしの診断の程がズレる。どちらが正解かということよりも患者さんにとって何がベストかを考える。

 

2月4日(木)


  いわば、「界」は世界につながる大きなものへの道でできていて、「隈」は個人や隣どうしの面影でできている。
──田中優子・松岡正剛『江戸問答』p.40


 今日も朝から晩まで病理診断漬。合間に[離]と[MEdit Lab]とその他の雑務。「界」と「隈」のデュアルスタンダードを今の日本に。どちらも大きく分断されてしまっているようだ。グローバリゼーションという大きすぎる「界」の中で窒息しそうな「隅」。病理診断でもMEdit Labの教材開発でも離の稽古でも、界隈という方法が表象に向かう上でこれからのキーワードかもしれない。つねに二兎を追う者はプラス1を得るのが編集的世界観。

 

2月5日(金)


 こうして舞い手は、目を前のほうに見すえつつも、心を後ろのほうに置くという「目前心後」を心掛ける。ここに「見所同心」という風体と心境が生まれる。フリや所作もそういう風体になる。これが「離見の見」である。イシス編集学校では、世界読書の奥義を通して「離見の見」を求める「離」というコースをもうけた。
──千夜千冊夜1508夜『世阿弥の稽古哲学』


 今日は、外苑前のスタジオで1日コモリ。MEdit labの音取り+撮影。素晴らしい音響のスタジオ内に響く音は非常にクリアで、ひとつひとつの粒粒が立っているように聞こえる。発音時の唇の擦れる音や無駄な息つぎなどの雑音を取り除き、聞きやすい音に磨いていく。映像がいまいちだった病名ワークのコーナーの撮影が急遽前々日に決まり、改めての撮り直し。せっかくだからラジオブースからの出題にしようということになる。コンダクター上杉さんも見守る中、コモリ監督とシンガーきぬがさジュンちゃんのディレクションでDJおぐらになりきる。自分の意識の5倍はテンションを上げないとラジオDJっぽくならず。まさに離見の見の難しさ。たくさんのみんなのおかげで、だいぶたくさんのわたしが増えた。ううん、大好きなみんなぶんのわたしだった!

 

ブース内で映像を見ながら音声を収録 撮影:コモリ監督

撮ったばかりの動画を編集するコモリ監督

をぐらの音声に効果をつけて遊ぶコモリ監督とMA山崎さん、そして笑う衣笠さん(と、をぐら)

 

2月6日(土)


 つまりは、自身におこった偶発性や偶然性を、その来し方と行方を情報知覚して、そのコンティンジェントな機会によって出入りした出来事・情報・知覚・思索のいっさいを新たに編集していくということ、これがコンティンジェントであるということになる。

──千夜千冊1350夜『偶然・アイロニー・連帯』


 大澤真幸さんのようなパーマをかけてからどうにも髪形がおさまらず(寝起きの状態は、髪型の別様の可能性を感じさせるほど)、美容院でさらに短く髪を切る。最近、多忙過ぎるせいか、大事なことまで色々忘れる。急に、「そういえば、拓海のもうひとつの大学の出願書類ってちゃんと送付したっけ?昨日が締切だったのでは?!」と美容院で焦りまくり、ひとり泣きべそをかく。不肖な母を許しておくれ、拓海、と最悪を想定しながら涙声で拓海に電話すると、「だいぶ前にパパと出したじゃーん!ちょっとびっくりさせないでよ、じゃ、ティラミス買ってきて」と笑われた。神様、ありがとうございます(泣)。あまりにどきどきしたので、ローティの千夜を読んで心落ち着ける。

 

 

【をぐら離】

をぐら離 文巻第0週

をぐら離 文巻第0.5週

をぐら離 文巻第1週

をぐら離 文巻第2週

をぐら離 文巻第3週

をぐら離 文巻休信週

をぐら離 文巻第4週

をぐら離 新春特別便「セイゴオの生き方・対談もどき」前篇

をぐら離 新春特別便「セイゴオの生き方・対談もどき」後篇

をぐら離 文巻第5週

をぐら離 文巻第5.5週

をぐら離 文巻第6週


  • 小倉加奈子

    編集的先達:ナシーム・ニコラス・タレブ。病理医で、妻で、二児の母で、同居する親からみると娘、そして師範であり火元組。仕事も生活もイシスもすべて重ねて超加速する編集アスリート。『おしゃべりな図鑑』シリーズの執筆から経産省STEAMライブラリー教材「おしゃべり病理医のMEdit Labo」開発へ。おしゃべり病理医の編集的冒険に注目!