発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

卒門条件の全番回答締め切りまで、ひと月を切った。
遅れ気味の学衆もソワソワしてるだろうが、師範代もまた落ち着かない。全員卒門できるだろうか。皆、破に進むだろうか。
進破は義務ではないが、破での体験あってこそのジャイアンなのである。学衆たちにも「この先」の景色をみてもらいたいと心から思う。
ではどうするか。
ジャイアンは教室に、変化球を投げ込んでみることにした。
昨年末、学衆のひとりが、勧学会に「社長のプロトタイプ」の自主稽古スレッドを立ち上げた。自ら問いを考え出したそのことに、拍手を贈りたい。とはいえ自主稽古なので、仲間もそこまで手が回らない。かといって、師範代が回答するのもなあ。
ジャイアンは閃いた。
そうだ、ゲストに解いてもらおう。突然のゲスト訪問&回答の中身に、学衆は大いに驚くはずだ。その時、ゲストが破について語ったら? 今以上に興味が湧くのではないか。
そこで、破経験者のイシスの仲間に、声をかけてみた。すると、4名から見事な回答&心に刺さる破語りが届いたのである。
17日から4日連続で公開したが、学衆からは、「自主トレ会場に、突然原監督が来ちゃったような感覚です」と驚きの声があがっている。破語りだけでなく、突破者の回答を見せたことも、プラスに働いたようだ。
この場を借りて、4名の仲間に感謝申し上げたい。
さてここでジャイアンは考えた。
「おまえのものはおれのもの、おれのものもおれのもの」である。46[守]もまた、「おれのもの」だ。ならばジャイアンさまの46[守]の学衆全員に、破の先達の「破語り」という宝物を届けるべきではないか。
というわけで、ほんの少しだけお見せする。
「希望と不安に満ちたまま、未知に飛び込んで!」といざなうのは、乗峯奈菜絵さんだ(43破 転界ホログラム教室/33花伝所 むらさき道場)。
「破は、推敲の楽しさを味わえるところ。そして、自分を深く見つめる時間でもあると思います。指南で不足に気づき、再回答を重ねていく。読み解きの面白さ、言葉を紡ぎ出す苦しみと喜びに浸るうちに、いつしか、思考と編集術が馴染んでいきました。支えてくれたのは、守で学んだたくさんの型でした」
「守での学びが、この先どうなるのだろう?」という疑問が、乗峯さんを進破へと突き動かしたのだった。
「型を使って物語を書いてみたい」という一点突破で破に進んだのは、羽根田月香さんだ(43破 比叡おろし教室/33花伝所 わかくさ道場)。「遊刊エディスト」で「イシス人インタビュー☆イシスのイシツ」を連載しているライターでもある。
「(自主トレ回答を終えて)人間が生み出した創作物すべてにおいて、『物語』の要素が不可欠なことに思い至ります。[破]で校長がもっとも重視しているというのも『物語編集術』。じつは編集工学の根底にも壮大な命の物語がひそんでいるんですよね。ぜひ進破してお確かめください!」
現在、大学で製品デザインを専攻している石橋黛子さん(43破 綾釣水鏡教室)は、大学2年生の時に守・破を駆け抜けた。
「同期の方々と一緒に編集に取り組みたかった」と進破を決めた。
もちろん、破は楽しむだけでは済まない。
「ずっしりとしたお題を噛み砕くことも、毎回再回答を求められることにも慣れず、破と守の温度差を感じた時は、自信がなくなった時もありました。ですが、確実に学んでる感はありました。もっとやれることはあったのでは、と反省はたくさん出てきますが、全然後悔はしていません!」
木田俊樹さん(43破 比叡おろし教室/33花伝所 やまぶき道場)は、「守がホテルなら、破はキャンプ」と看破する。
「ホテルでは、清潔なベッドに飛び込み、困ったらルームサービスを頼ればいい。キャンプでは、自分でテントを張り、自炊しなければいけない。守を終えただけでは、編集の冒険に出ていなかったことに、破に行って気づいた。アウトドアショップで装備を揃えただけだった」
ではどうする?
「実地(破)で使ってみなくちゃ、面白くないでしょ」
46[守]の学衆諸君。4人の先達の言葉、しかと届けたぞ。
え? ジャイアンはどうして破に進んだのかって?
よくぞ聞いてくれた。破入門時の「点呼の自己紹介」に、「[破]に進むことを決めたきっかけは?」という質問項目があった。書いた内容は失念しているが、きっとここに万人を唸らせる文言が綴ってあるに違いない。
懐かしく思いながら読んでみた。そこにはひと言だけ記されていた。
「いきおい?」
▲「守と破でひとつ」を見える化してみた。裏返すと? 何があるか見当がついているが教えない。進破して確かめられたし。
◆バックナンバー
ああ、それでもジャイアンは歌う――46[守]新師範代登板記 ♯1
ジャイアン、恋文を請い願う――46[守]新師範代登板記 ♯2
ジャイアンとコップ――46[守]新師範代登板記 ♯3
ジャイアンの教室名 ――46[守]新師範代登板記 ♯4
ジャイアンは教室とともに――46[守]新師範代登板記 ♯5
ジャイアンの1週間――46[守]新師範代登板記 ♯6
ジャイアン、祭の後――46[守]新師範代登板記 ♯7
ジャイアンの聞く力――46[守]新師範代登板記 ♯8
汁講ぞ、ジャイアン――46[守]新師範代登板記 ♯9
角山祥道
編集的先達:藤井聡太。「松岡正剛と同じ土俵に立つ」と宣言。花伝所では常に先頭を走り感門では代表挨拶。師範代登板と同時にエディストで連載を始めた前代未聞のプロライター。ISISをさらに複雑系(うずうず)にする異端児。角山が指南する「俺の編集力チェック(無料)」受付中。https://qe.isis.ne.jp/index/kakuyama
世の中はスコアに溢れている。 小学校に入れば「通知表」という名のスコアを渡される。スポーツも遊びもスコアがつきものだ。勤務評定もスコアなら、楽譜もスコア。健康診断記録や会議の発言録もスコアといえる。私たちのスマホやP […]
スイッチは押せばいい。誰もがわかっている真理だが、得てして内なるスイッチを探し出すのは難しい。結局、見当違いのところを押し続け、いたずらに時が流れる。 4月20日の43期[花伝所]ガイダンスは、いわば、入伝生たちへの […]
【多読アレゴリア:勝手にアカデミア】勝手に映画だ! 清順だ!
この春は、だんぜん映画です! 当クラブ「勝手にアカデミア」はイシス編集学校のアーキタイプである「鎌倉アカデミア」を【多読アレゴリア24冬】で学んで来ましたが、3月3日から始まるシーズン【25春】では、勝手に「映画」に […]
【多読アレゴリア:勝手にアカデミア③】2030年の鎌倉ガイドブックを創るのだ!
[守]では38のお題を回答した。[破]では創文した。[物語講座]では物語を紡いだ。では、[多読アレゴリア]ではいったい何をするのか。 他のクラブのことはいざ知らず、【勝手にアカデミア】では、はとさぶ連衆(読衆の通称) […]
【多読アレゴリア:勝手にアカデミア②】文化を遊ぶ、トポスに遊ぶ
「鎌倉アカデミア」は、イシス編集学校のアーキタイプである。 大塚宏(ロール名:せん師)、原田祥子(同:お勝手)、角山祥道(同:み勝手)の3人は、12月2日に開講する【勝手にアカデミア】の準備を夜な夜な進めながら、その […]
コメント
1~3件/3件
2025-07-01
発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。
2025-06-30
エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。
2025-06-28
ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。