ジャイアン花火大会――46[守]新師範代登板記 ♯15

2021/02/26(金)09:42
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 2月21日は、46[守]の卒門日だった。
 10月26日に最初のお題が出されてからちょうど17週間。ここまで来たならひとりでも多くの学衆に、38番稽古を終えた後の景色を見せたい。師範代の共通の思いだ。46[守]の卒門にいたる過程では、大阪カルダモン教室をはじめ、いくつもの奇跡が起こったのだが、それはまた別の話。

 

 ジャイアンは自分の学衆時代を思い出していた。
 最終日にあと6番まで来ていた学衆Oがいた。〆切10時間前に師範代から激励のエールが送られた。仲間が声をあげるタイミングだ。しかしジャイアンは動かなかった。いや動けなかった。共読もいい加減にすまし、勝手気ままに稽古をしてきたジャイアンに、かける言葉は浮かばなかった。ようやく〆切1時間前に檄を送ったが、今思えば、「オレは応援したぜ」というアリバイ作りだったように思う。
 
 用法1で脱落した学衆もいた。
 中でも001番でトップ回答を果たした学衆Tは、冒頭で仲間に呼びかけるなど、積極的に関係線を結ぼうとしていた。最初から回答の前にマクラを書いていた学衆は、T一人だった。ジャイアンはどうしたか? まったく反応しなかったのである。Tの回答は徐々に遅れ始め、2週間経たずに教室から消えてしまった。

 

 この時のことがキズになっている。
 守の稽古は楽しかったし、いい仲間もできたけれど、このキズは癒えない。
 なぜか。自分にやれることがあって、しかも薄々そのことに気づいていたのに、動かなかったからだ。ジャイアンは様子見を決め込んでいたのである。はっきりいって臆病だった。
 師範代になったのは、この時のキズがうずくからだ。

 

「あの時のジャイアン」は、師範代となったジャイアンにとって、常に反面教師だった。「あの時のジャイアン」は臆病で遠慮していた。だったら師範代としてやるべきことはひとつ。「あの時のジャイアン」であっても、伸び伸びと声を出せる場をしつらえること、それだけだ。ここなら何をしてもいいよ。一緒に遊ぼう。17週間、ジャイアンが口にしてきたことは、これだけだ。
 

▲出題時に、花火の打ち上げを予告。


 最後の出題、ジャイアンは9人分のお祝いの打ち上げ花火を用意した。
 卒門記念に花火を打ち上げるのは、イシスの伝統行事だ。だが小さい花火じゃつまらない。ジャイアンはド派手に決めるべく、四尺玉の花火を何日も前から準備していた。
 出題日の夕方。教室のファーストペンギンから最終お題の回答が届いた。21分後、ジャイアンは暮れかかった空に四尺玉を打ち上げた。いい眺めだ。
 するとその30数分後、なんと学衆のひとりが「た~まや~っ~!!!」と二発目の花火を打ち上げたのだ。仲間がお祝いメッセージを贈ることはままあるが、花火とは! するとわれもわれもと、メッセージ付きの花火が夜空に開いた。あとで数えてみると、上がった花火は全部で80もあった。
 先にゴールの門をくぐった学衆は、38番のお題を駅伝に見立て、<勧学会>に応援席を設置。「大手町ゴール地点」に「こたつ」を用意した。ここで暖を取りながら仲間を応援しようという趣向だ。
 誰かがゴールするたびに空に大輪が咲き乱れ、奮闘を続ける仲間に、沿道から声援やアドバイスが飛んだ。仲間への回答ヒントを用意した学衆もいた。自分の回答が終わっていないのに、花火を打ち上げに来る学衆もいた。
 ジャイアンは何をしていたかって? 花火を9つ順に打ち上げただけだ。やるべきことは、学衆がすべてやってくれていた。

 

 最後の出題、実はもうひとつこだわったことがあった。
<教室>の「ウェルカムメッセージ」の文言を、稽古前半と後半でガラッと変えたのだが、ひとつだけ変更しなかったものがある。それがこの言葉だ。

 

 弱々しい声でも、調子っぱずれでもかまわない
 デタラメな歌でも、つぶやきでもかまわない
 自信満々でいい、自信がなくてもいい

 発すればカワル、言葉にすれば場が動く

 

「あの時のジャイアン」に向けた言葉だ。これを、最後のお題冒頭に掲げた。

 

 じりじりと時が過ぎた。仲間が固唾を呑んで見守る中、〆切より一日早く、最後の9人目の走者が大手町のゴールに飛び込んだ。
 回答の冒頭にはこう書かれていた。

 

師範代、皆さん 温かい声援ありがとうございます!
弱々しい声でも、調子っぱずれでもかまわない。
デタラメな歌でも、つぶやきでもかまわない。
自信満々でいい、自信がなくてもいい。
って、言ってくれてるから回答します!

 

「あの時のジャイアン」も一緒にゴールに飛び込んだ気がした。

 学衆全員が卒門したことが嬉しいんじゃない。9人全員が最後まで声を発し続けてくれたことが、たまらなく嬉しいのだ。
 ジャイアンは花笑んだ。「あの時のジャイアン」が泣いていた。

 

▲教室に80発打ち上げられた四尺玉の花火。学衆の一人からは「この花火が見たくてがんばった」と嬉しい言葉が。

 

 

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  • 角山祥道

    編集的先達:藤井聡太。「松岡正剛と同じ土俵に立つ」と宣言。花伝所では常に先頭を走り感門では代表挨拶。師範代登板と同時にエディストで連載を始めた前代未聞のプロライター。ISISをさらに複雑系(うずうず)にする異端児。角山が指南する「俺の編集力チェック(無料)」受付中。https://qe.isis.ne.jp/index/kakuyama

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コメント

1~3件/3件

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。

山田細香

2025-06-22

 小学校に入ってすぐにレゴを買ってもらい、ハマった。手持ちのブロックを色や形ごとに袋分けすることから始まり、形をイメージしながら袋に手を入れ、ガラガラかき回しながらパーツを選んで組み立てる。完成したら夕方4時からNHKで放送される世界各国の風景映像の前にかざし、クルクル方向を変えて眺めてから壊す。バラバラになった部品をまた分ける。この繰り返しが楽しくてたまらなかった。
 ブロックはグリッドが決まっているので繊細な表現をするのは難しい。だからイメージしたモノをまず略図化する必要がある。近くから遠くから眺めてみて、作りたい形のアウトラインを決める。これが上手くいかないと、「らしさ」は浮かび上がってこない。